※3兄弟神を指導する神様の話
ガチャン!と何かが割れる音がして、執事やメイド達は、いつもの発作かとため息をつきたくなる気持ちを押し隠し、いつものように掃除道具を手にして、部屋をノックし、中に入った。ここ最近、毎日のように花瓶やガラス窓を割るのは、この屋敷の主人である、へディック国で護衛集団の長を務めている男だった。執事は暴れる主人を宥めようと、彼の名前を呼んだ。
「落ち着いて下さいませ、アキュート様!」
執事の声に老人はさらに激情し、執事に向かって、枕を投げつけた。
「ええい、忌々しい!その名前で呼ぶな!儂の名はアキュートなどという名ではないわ!あんな大嘘つきが寄越した名など、溝に投げ捨ててくれるわ!」
7月を半分ほど過ぎた辺りから、老人は今まで以上に気難しくなり、今までは亡きクローニック侯爵から賜った、有り難い名前なのだと言っていたのを、態度を180度急変させて、毎日のようにクローニック侯爵へ呪詛めいた暴言を吐きながら、部屋の中で暴れるようになっていた。
「畜生、畜生、畜生め!!よくもよくも!!」
老人が暴れるのに慣れてしまった執事は、主人を宥めつつ、メイドに向かって言付けをした。
「わかりましたから、落ち着いて下さいませ。……すみませんが、侍医の先生を呼んできて下さい」
執事の言葉にメイドも慣れた様子で、会釈した後に部屋を退出した。5分もしないうちにメイドは侍医を連れて戻ってくると、暴れる老人の体を執事とメイドが押さえつけ、侍医が沈静作用のある薬が入っているという注射を打った。しばらくして老人が眠ると執事とメイドは安堵から、フゥ~!と深くため息をつくと、感心したように最近、侍医となったばかりの紅い髪の医師に礼を言った。
「ありがとうございます、先生。いつも、お見事なお手並みですね。これで夕方まではアキュート様は静かになります。前まで雇っていた侍医が急にぎっくり腰になって、ここに来られないと聞いた時は、どうなることかと思いましたが、代理で来られた先生が優秀な方で、アキュート様の家族も喜んでおられます。先生がただの代理なのが惜しいので、是非、代理ではなく、専属の侍医となることをご検討いただけないかと打診するよう、言伝を預かっております」
執事が話し終わると、侍医代理の医師は柔らかく微笑んで礼を言った後に、首を横に振って、断りの言葉を述べた。
「お言葉は嬉しいのですが、お断りをさせていただきます。本来私はここにいるはずがない者ですので。今、私がここにいる理由は例えるならば……子の不始末は親の責任という意味合いの理由のためだけですから……」
医師の言葉に執事は首を傾げつつ、尋ねた。
「それはどういう意味でしょう?前の侍医をしていた医者は一人前の医者でしたよ。彼がぎっくり腰になったのは、7月の初め頃に手紙を受け取ったアキュート様が突然激高し、暴れ出したのを体を張って止めたからで、彼に非はありませんでしたよ?」
執事の言葉に医師も頷きつつ、こう言った。
「ああ、すみません。彼のことを指しての言葉ではなかったのですよ。ふぅ、人間の言葉というのは中々に難しいものですね。私は、こんな風に人間の世界に来たのは初めてのことですので、色々勝手が分かっていないようですね。勉強不足ですみませんでした。
もちろん彼は一人前の……他者を思いやることが出来る立派な人間……失礼、立派な医者だと私も知っています。何せ、ぎっくり腰になった後、彼が真っ先にしたことは、代理の医者を探すことでしたしね。不慮の事故の責任は彼にはないのに、自分がいないと困る患者のことをいつも考えていた彼は、ぎっくり腰になった自分が悪いと思い、責任を感じて、傷む身を引きずり、人の激減した王都を駆けずり回っていました。本当に……どこかのはた迷惑な親子に見習わせたい程に立派な責任感を持っていたので、私は手を差し伸べずにいられなかったのです」
医師はそう言葉を終え、残りの言葉は心の中だけで付け加えた。
(……まぁ、それに元はと言えば、医者がぎっくり腰になったのは私の生徒の……金の神のせいでしたし、この老人が日記をきちんと読んでいるかを確かめなければいけなかったので、一石二鳥で都合が良かったですからね。例え半人前の未熟な者とは言え、自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばなりませんからね。半人前の彼等がしでかしたことは、彼等が責任を負うのは当然だけど、彼等を放置していた師である私と、彼等の自習を見守らなかった親である父神にも責任がありますからね。
……それにしても、現実世界に残っていた”名前なき者達の復讐”を終わらせるためとはいえ、この老人の他に、”名前なき者達の復讐”の主人公の条件に該当する人物がいなかったなんて。これが兄弟神達が好む世界でのゲームなら、老人が主人公のゲームなんて、絶対に売れませんでしたよね……)
紅い髪の医師……三兄弟神達の師である、紅の神は金の神が再現した僕イベを頭に思い浮かべ、こうも思った。
(確か”僕のイベリスをもう一度”の元となった復讐ゲームは中高年の男性が対象のゲームだったらしいですから、若者が主人公をするよりかは、感情移入しやすいでしょうけど……)
物思いにふける紅の神に……侍医に、執事は声をかけた。
「先生。私どもは退室します」
「わかりました。私はもう少しだけ様子を見て変わりがないようならば、退室することにします」
「ありがとうございます、先生。では先に失礼します」
執事とメイドがガラス破片を片付けて、先に退室すると、紅の神は眠っている老人の額に手をやった。
(……うん、どうやらへディック国の始祖王の日記を信じる気持ちが上手く定着してきているようですね。よし、もう一度、念入りに彼の夢に映像を送り込んでおきましょうかね……)
紅の神が眠る老人に見せているのは、バーケックの7月の”観劇”である”偽りのウルフスベインにレクイエムを”の5人兄弟達の登場場面である。紅の神は、あの劇を主人公のキャラ設定及び”名前なき者達の復讐”の最終章の導入となるプロローグに利用することにしたのだ。
(老眼で細かい字が読めず、中々、日記を手にとって読もうとしなかった老人に対して、あの劇は実に有効でした。私がここに来てから毎日夢で、あの劇を見せているおかげで、老人は自分で日記を読んだと思い込んでいます。後は白いリボンの秘密にさえ気付かせればいいだけですし、私はそろそろ退散して一足先にバーケックに向かうイヴちゃん達を見に行きましょうかね……)
紅の神は老人の枕元に置いた白いリボンを手に取り、リボンの中の刺繍の文字を、老眼でも読みやすいようにと大きくし、一部だけ文言を変えて、また老人の枕元に置いておいた。
(よし、これで無事に21日に”僕達のイベリスをもう一度”のゲームは終わり、”名前なき者達の復讐”の物語の残りである最終章が始められますね)
僕イベのゲームの終わりの日と復讐物語の最終章の始まりを、7月の21日と決めたのは紅の神だった。
(確か……僕イベが作られた世界では、その頃に”修了式”という、学校の行事があると聞いたことがありますし……。僕イベの始まりが入学式なのだから、最終章の始まりも学校の行事と絡ませる方がよいでしょう)
その名前の通り、最終章は物語の最後の一章である。物語全体と比べると、一章というのはとても短い物語である。
(ふふふ、夏休みは短いですから、最終章にぴったりですね。それに……)
通常、”夏休み”、”冬休み”、”春休み”という季節の一定期間の学校の休みでは、大部分の学生は学校生活を休むものである。普段学校があるときもないときも、夏休みも冬休みも春休みも、生徒のより良い学校生活を守るために一年通して活動をしているのは……教師と保護者だけである。
学生達は教師と保護者が、自分達のために協力して学校の中外で活動をしていることは知っていても、具体的には何をしているのかまでは、最初から最後まで知らないのが普通である。
(夏休みならイヴちゃん達に気付かれることはないですからね)
父神の言いつけを守らなかった神の息子達に比べ、金の神の”英雄”であるイヴは、物語のことを知らないまま……気付かないままハッピーエンドを4つも神達に見せてくれたのだ。1つでも充分なのに4つも叶えたのだから、”英雄”達の願いは4つ叶えられて当然なのではないだろうか……と紅の神は思っていた。
僕イベの舞台を整えた影の”英雄”である、スクイレル達の願いは叶えられて当然だし、イヴの願いごと……ミグシスを守ったカロンに会いたいという願いごとは、本当に彼女が神に願っていた願いごとではないことを紅の神は気付いていた。
(”英雄のご褒美”は、必ず”英雄”が本心から望んでいることでないといけないのに、あの親子はイヴちゃんがスクイレル達を慮って口にした気遣いの言葉を鵜呑みにし、後先考えずに二人のカロンを無理矢理バーケックに向かわせてしまった)
紅の神は、金の神が……何故か彼だけでなく、他の兄弟神や、その父神までが寄ってたかって、皆で”英雄のご褒美”を最優先しようと迅速に動いたことは褒めつつも、願いごとの本質をきちんと見て判断してから落ち着いて行動するということを、どう教えていけばいいのだろうかと暫し悩み、思いを巡らせた。
(彼等に指導することは山ほどありますが、とりあえずは一番先に、これを教えることから始めましょうか……)
言葉というものは難しく、本当に相手に正しく伝わっているのかどうかがわからないと思った紅の神は、手っ取り早くお手本を見せればよいと思いついた。
(そうだ!ちょうどいい教材がありましたね。僕イベの物語は21日に終わる予定ですし、確か学院行事の真夏の日の夕べは、その次の日に終わるから……よし!23日の日にでもイヴちゃんの魂に直接、本当に心から望んでいることを聞いてみることにしましょう)
紅の神は金の神達よりも、この世界の父神よりも高位の神で高潔な存在だったので、新婚夫婦の初夜を覗くことなく、イヴが眠った気配を《神の領域》で察知してから、イヴの魂に”英雄”の願いごとを聞くために永遠の眠りについている、アイの夢を浮上させていった。その日の朝、アイの願いを視た紅の神は、この世界から全ての物語が終わり、《神の領域》に戻って来た金の神にあることを強制復元するように命じ、途中でゲームオーバーしてしまったゲームを違う世界の現実で再スタートさせた。
※紅の神がミグシス……マコトの願いを直接聞かないのは、マコトの願いが前世も今世もアイの傍にいること……初恋の人であるアイと未来永劫、ずーっと、いちゃラブしていたい……だからでした。




