”英雄のご褒美”と終わっていなかったゲーム(前編)
スクイレル達はイヴが気を失ったので、バーケックの学院でイヴを休ませることにした。皆はそれぞれ馬車で移動し、その馬車の中でグランとアンジュとセデスはカロン……ナィールと馬車に同乗し、ナィールがここに来た理由を聞くことにした。
カロン……ナィールは、あの日、グランによく似た青年から受け取った手紙を信じ、ヒィー男爵家の王都にある屋敷の傍を流れる川辺にやってきた。すると手紙に指定された通りに、白いリボンを額に巻いた、全身ずぶ濡れで気を失って倒れている痩身の男が、そこに倒れていた。
(おいおい、本当にリボン巻いた男が倒れているぞ……)
ナィールがもらった手紙には、『イヴとミグシスが婚姻することになった。入籍には保護者の自著の署名と捺印が必要で、ミグシスの保護者である、ナィールの署名がいる。なので必ず7月20日の午前9時にバーケックの役所に来てくれ。追記・二人の結婚を祝う”大衆劇”の役者が、そちらの国に囚われているので、こちらに来るときに一緒に連れてきて欲しい。その男は下記の場所にいる。目印は白いリボン』……と書かれていて、ナィールは最初は半信半疑だったが、自分が世界で最も信頼している親友の手紙だったので青年から渡された馬に乗ってグランが指定する場所に行くと……昔のグランやイヴが頭に巻いていたように、白いリボンを頭に巻いた男がいたので、グランの手紙を信じて良かったと思った。
「おい、大丈夫か?え……!?何だ、こいつ?」
ナィールは気を失っている男の顔を見て、とても驚いた。
(お、俺の若い頃の顔にそっくりだ!)
顔は青ざめていて随分痩せてはいるが、間違いなく自分とそっくりの男を見て、言葉が出なくなったナィールは男の姿を見て、確かに、この男は役者だと思った。
(手荒れの一切無い手指は労働を一切したことのない者の手指だが、この男は貴族ではないな。何だ、この酷いやつれ具合は?まるで長年ずっとまともに食事をしたことのない者のような姿だ)
ナィールは、この10年掛けて、民を少しずつ国外に逃がす際、それを貴族達に気付かれないように、物資の供給を国外から持ち込んで、この国は不作だが貴族達の食べる分くらいは実りがあるのだと思わせていたから貴族達は飢えることがなかった。働き手がいなければ、食料は蓄えられない。だから国外への救出を区域別に少しずつ行っている間、教会の大衆劇を見に来た民達に施しと称して、物資を配給していたから民達も飢えることはなかった。
(グランの手紙には囚われていたと書いてあったし、多分まともには食事は与えられていなかったようだな)
王都にあるヒィー男爵の屋敷のある川の上流は、城の地下水が王都を流れる川と合流する地点だ。ナィールは男が城の地下を流れる川に飛び込んだのだと推察することが出来た。男は気を失っているだけだったので、ナィールは、まずはどこかに運ぼうと今まで自分を乗せていた馬をふり返り、目を丸くした。
「な、何で馬が6頭に増えてるんだ?しかも馬車まで……え?この馬車は、もしかして」
黒塗りの馬車には”銀色のリス”……スクイレルの紋章がついていた。そして馭者席には紅い髪のルナーベル……いや、どちらかというとグランの妻であるアンジュを男にしたかのような外見の美しい青年が座っていた。
「あ、あんたは一体?セデスの仲間か?」
「セデス?ああ、彼も”先生”と呼ばれる者でしたね。そうですね。そういう意味では私と彼は同業者という括りで、仲間と呼んでもいいかもしれませんね」
「?」
「早くこちらに。でないと7月20日までに間に合わないので」
紅い髪の青年はナィールの腕から気を失っている男を軽々と抱えると馬車の中の席に寝かせ、安全帯で固定をして、ナィールにも座るように指示をすると、馬車を走らせた。馬車が走り出して直ぐに、ナィールは尋常じゃない馬車の速度に、顔を引きつらせた。
(うわ!何だ、この速度は!早すぎないか?6頭の馬に馬車を引かせると、こんなにも早いものだとは知らなかったぞ!)
ナィールは尋常じゃない馬の速度に戸惑いつつも、やがて次第に慣れてきて、ついうたた寝をして、次に目を覚ましたときは……・何故かへディック国の最北にある教会……ルナーベルが所属していた教会前にいた。
(え?半月以上はかかるはずの場所に、何で俺はいるんだ?)
馬車が教会前で止まったので、ナィールは慌てて馬車から降りて、青年を問い詰めようと馭者席に回り込んだが、そこにはもう……誰も座っていなかった。首をかしげながらも、北の教会にいたシュリマンが教会から出てきたので、取りあえず二人で男を救護室に運ぶと、男は意識を取り戻したのだが、妙な事を口走った。
「す、済まない!必ず戻るから、必ず、あなた方に断罪されるために戻ってくるから、私をバーケックに行かせてくれないか!」
男は自分はカロン王で、この3月にナィールやシュリマン達に必ず捕縛されるから、今から国を出ることを許して欲しいと懇願してきたので、ナィールとシュリマンは戸惑いを隠せなかった。
「これは一体、どうしたことでしょう?何故、彼は自分のことをカロン王だなんて、嘘を言うのでしょう?」
「う~ん、もしかしたら彼はいざという時のカロン王の影武者だったんじゃないか?その証拠に、ほら、彼はカロン王の若い頃の姿にそっくりだ」
「影武者なんかじゃないよ!私は本当にカロン王なんだ!君達が憎んで憎んで……、憎んできた、あのカロン王なんだよ!」
ナィールとシュリマンは、彼が必死になって弁解しても、それを信じることが出来なかった。何故ならば、カロン王と目の前にいる男とでは容姿が違いすぎていたからだ。
「あんた、もしかして城で暗示にでもかけられたんじゃないか?……可哀想にな。すっかり自分がカロン王だって、信じ切ってしまったんだな。あのな、確かにあんたの見た目はカロン王だ。ただし、10年前の、だ!俺が言うのもなんだけど、確かに10年前のカロン王は、男前だって言われていたんだ。
でもな、お前は今のカロン王の姿を見たことがないんだろう?この10年でカロン王の金髪は輝きのない、くすんだ金色になってしまってな。パサついた髪を振り乱して、毎日王達の墓に籠もる姿に城の執務官達は恐怖で震えて、王に近づかなくなってしまったほどなんだぞ。それに、その顔は斑の赤い吹き出物だらけでな、目は常に血走っていて、濁った目色だったし、……10年経つ間に、体はブクブクと太って……人とは思えない容姿になってしまったんだ。まぁ、人には好みがあるからなぁ。人に寄っちゃ、今の方が好みだって言う者もいるのかもしれないが、そんなのは本当に一握りの人間だけだろう」
「!?あ、あれは私が、あの子のいる方を本物にするために、私の外見を本物とかけ離れた姿にする必要があったから、私は後宮で妃達の化粧品をくすねてきて、吹き出物を顔に描き、服の下に何枚も重ね着して口の中には含み綿を入れていたからで……」
「お気の毒に。それはカロン王の影武者をやるように暗示をかけられたあなたがさせられていたことなんでしょうね。……何故カロン王がわざわざ自身を醜い姿に偽る必要があったと思い込まされているのかはわかりませんが、相当強い暗示をかけられたのですね。
こうも強く思い込んでしまうなんて、もしかしたらあなたはきっと、憑依型の役者……自分は本当に役の人間なのだと思い込む型の役者だったのではないですか?私は約8年ほど大衆劇の総監督をしているので、あなたのような役者を何人か知っているんです」
「ち、違う、私は本当にカロン王なんだ!」
「ナィール様。どうやら暗示は根深く彼に浸透し、どうあっても自分はカロン王だと思っているようですよ。彼をどうしましょうか?仲間の誰かに頼んで、医療の進んでいるバッファーに彼を送ってもらいましょうか?」
シュリマンがそう言うと、カロン王と名乗る男は大慌てで嫌だと言い出した。
「ダメだ!バッファーには行かない!あの子はバーケックに来る!私はバーケックの学院の”卒業パーティー”で、あの子の結婚を認めないといけないんだ!」
この言葉にナィールは首を傾げた。
「何を言っているんだ?”卒業パーティー”は3月だぞ?」
「ああ、もしかして彼の言っているのは、”真夏の日の夕べ”のことではないでしょうか?ほらアンジュ様が脚本を書かれて、毎年3つの国の学院生達が演じて遊んでいる”劇遊び”……確か”私のイベリスをもう一度”という劇の最終幕が”卒業パーティー”の場面だったはずですよ。あの劇を始めて、もう7年?8年は経ちましたか。そう言えば今年が、あの”劇遊び”をするのが最後の年だと、グラン様達がおっしゃっておりましたね」
「そう言えばそうだったな。……あっ、そうか!こいつは憑依型の役者だから、役作りのために本物のカロン王を見に来て、捕まった役者だったのではないか?」
「ああ、そうかもしれませんね。なら彼の望みの通りにバーケックの”真夏の日の夕べ”に出演させてあげれば、元の彼に戻るかも知れませんね」
「……それで、ここまで連れてきたんだけどさ。あいつ、ものすごく……食べ物の好き嫌いが激しいんだよ!人が手を加えた物を食すと吐くんだ。誰かが調理した物が食べられないらしい。おかしいだろ?あんなに痩せているのに、体が受け付けないって言うんだよ。
食べられる物は皮を剥かずにそのまま食べられる果物とか生野菜……殻ごと茹でた卵くらいしか食べないんだ。だから直ぐに熱を出してな。北の教会からここまで来るのにギリギリになってしまったんだよ。それでな、グラン。薬草医のお前にあいつを一度、診てもらおうと思っていたんだ。あいつ、何かの病気じゃないか?」
ナィールがそう言うとグラン達は黙ったまま、他の者達と視線を交わし合った。詳しいことは診察しないとわからないが、神の話を聞いていたから、カロン王が食べ物を受け付けられなくなった理由が彼等には言葉にしなくとも分かった。カロン王は幼少期から毒や悪魔の薬が入った料理を出されることが多かったために、普通の食事にも恐怖を覚えるようになっているのではないか?……アンジュの脳裏には”摂食障害”という言葉が浮かび上がっていた。
バーケックの学院に着くとシュリマンがカロン王と名乗る男が熱を出したと訴えたので、彼等はイヴを保健室で寝かせる手筈を整えた後、カロン王を男子寮で寝かせることにした。ベッドの上で、すごく申し訳なさそうに俯いている男が、正真正銘のカロン王であることは、グラン達には一目瞭然だった。グランが診察をする間、ナィールは席を外すと言ったので、グランはナィールにいくつかの用事を頼んだ。
「久しぶりに会ったのに、本当に人使いが荒いよな」
ナィールは呆れるような声を出し、頭を指で掻いた後に、二カッと笑顔をグランに見せた。
「ったく、仕方が無いから頼まれてやるけどな」
ナィ-ルはそう笑いながら言うと、部屋を出て行った。ナィールが退室すると、カロン王は7月のあの日の話を話し始めた。




