バーケックの学院にて④
イヴと二人で、この寝室のベッドを見ていたミグシスはルナティーヌの説明やグランの言葉を思いだし、自分の心に沸き起こる激情を押さえつけるのに必死になっていた。愛しくて愛しくて仕方が無かった愛する女性と法律的にきちんと結ばれて結婚し、心だけではなく体で結ばれても何も問題はないのだと、皆にお墨付きをもらった今、ミグシスが待てをする必要は、もう無くなってしまったのだが、今日の午前中イヴが気を失ったこともあり、旅の疲れが出ているのだろうと考えたミグシスは、イヴの体がとても気がかりだったので、何度も生唾を飲み込みつつ、今すぐにイヴにかじりつきたくなる激情を懸命に堪え、イヴが気を失っている間にグラン達に言われていたことを思いだして、それを口にした。
「あ、あのさ、イヴ!もう、体は大丈夫かい?もしも大丈夫そうならさ。……き、今日の夕食後に皆と”観劇”を観に行かないか?」
「”観劇”?ああ、”大衆劇”のことですね。……そう言えばマクサルトさんがくれた観光の本にバーケックは”観劇”が盛んだと書いてありましたね。でも……」
イブはミグシスに、久しぶりに片頭痛になったことを告げた。ミグシスはそれを聞き、慌てて鎮痛剤を取りに行き、水と共に持って来て、イヴに飲ませた後に言った。
「イヴ、大丈夫かい?やっぱり、旅の疲れが出たんだね。実はイヴが保健室で休んでいたときにグラン様達が教えてくれたんだけどさ。何でも今日から三日間、この学院では毎年、”林間学校”で護衛演習を二十日間ほどかけて行いながら、ここにたどり着いたトゥセェックの学院生達の労を労うために”真夏の日の夕べ”という催しをしているそうなんだ。一日目は”観劇”を皆で鑑賞して、二日目は前日に観た観劇を皆で演じて遊ぶという”劇遊び”をして、最後の三日目は皆との夕食の食事会があるんだって。イヴの体調が良かったら、俺達も一緒に”真夏の日の夕べ”に参加しないかと皆が言っていたんだけど、参加は無理そうかい?」
「観劇……少し見てみたかったですが、私は片頭痛ですもの。痛みが治まるかどうかがわからないし、参加は諦めた方がいいですよね……」
そう言った後、イヴは眉を下げて俯いたので、ミグシスはこう言った。
「まだ早い時間だし、一旦は様子見をしよう。今服用した鎮痛剤が効くかも知れないし、痛みが弱かったら、観劇を鑑賞するくらいなら、イヴの体調に、そんなには支障は出ないだろうからね」
「っ!?はい!」
イヴの表情が一気に明るくなったので、ミグシスは目を細めて、その姿を愛おしそうに見た後、あることを思いだして、ミグシスはまた顔を赤くした。
「あっ、あのさ!そ、その”真夏の日の夕べ”の最終日の夕食の食事会で、皆がピュア様達と俺達の合同結婚祝いをしてくれるって言ってくれているんだ!そ、それで……その日に……俺達さ。そ、その……あの……籍だけじゃなくて、その……い、イヴの体調が良ければ、その時……俺達。あっ、でも籍を入れたからって無理にとは言わないし、イヴが嫌だったら、それをするのは3月まで待っても俺は全然構わないし、待てをするのは俺、慣れているから良いんだけど。でもあの、もしイヴが良ければ、あのね……」
ミグシスは顔だけではなく、首も耳も体中を赤くさせて、しどろもどろにそれを言おうとしたが、後の言葉はイヴに言われてしまった。
「は、はい!その日に本当の夫婦になりましょうね!そ、その時は、私、すごく頑張りますから、どうぞ、よろしくお願いしますね、ミグシス!」
「っ!?う、うん!お、俺もよろしくだよ、イヴ!すっごく、愛してるよ!俺の奥さん!!俺もすごく頑張るね!絶対に痛くないように、俺の知識を総動員させて、俺、すっごく頑張るから安心して任せてね、イヴ!!」
「はい!安心してます!私も愛してます!それに痛くても大丈夫です!だってミグシスは私の愛する旦那様ですもの!!」
「イヴ!!なんて健気なことを言うの!?ううっ、すっごく可愛い!堪らないくらい大好きで愛してる!ああっ!可愛い奥さんに俺の理性が崩壊寸前だよ!」
ミグシスは夫婦になって、初めてのキスを自分の最愛の妻になったイヴと交わした。イヴは最愛の夫からの夫婦のキスに涙を滲ませながら喜び、それに夢心地になった。二人は喜び溢れるキスをした後、マーサ達が呼びに来るまで午睡の時間を取り、イヴの回復を願った。夕方になり、マーサ達が呼びに来た頃、鎮痛剤と午睡が功を奏したのか片頭痛が治まり、大喜びしていたイヴは、そう言えば……と言って、マーサに尋ねた。
「あのカロンおじ様と一緒にいた方々は、カロンおじ様のご兄弟か何かなんですか?ほら、二人いて一人がカロンおじ様とよく似てらっしゃって……」
イヴはシュリマンのことを覚えてはいなかった。ミグシスとマーサは、あの時のイヴの辛い頭痛の記憶を、イヴに思い出させたくないと同時に思い、イヴに気付かれないように目配せをした後、マーサがイヴに説明をし始めた。
「ああ、あれは一人は……シュリマンさんとおっしゃっる方で、エルゴール君のお父様です。エルゴール君のお父様は異国で大衆劇の総監督をされていたそうなんです。もう一人は……えっと、舞台俳優をされている方で芸名がカロンとおっしゃる、とても演技が上手い俳優なんだそうですよ。彼は”真夏の日の夕べ”で王様の役をするために異国からやってこられた方なんです」
「「へぇ~!!俳優の方に会うのは、初めてです!!」」
イヴとミグシスは驚きの声をあげて、少しの興奮を覚えて、もし、また会うことがあれば、握手をしてもらおうかと笑顔で話し合った。バーケックの学院の”真夏の日の夕べ”は、日中の暑さを避けるために、夕食後に行われるということだったので、イヴ達は学院の食堂で夕食を済ませてから中庭を通り、講堂に向かった。
……もしも、ここが”僕のイベリスをもう一度”というゲームの通りの世界なら、7月8月の夏休み期間に行われる学院の行事は以下の通りであった。
○7月 ”林間学校”に参加もしくは”実家に帰省”→これはヒロインが自ら選択し、各攻略対象者へのルート分岐になるイベントで、”林間学校”だとトリプソン・ベルベッサー・ミグシリアスルートに進み、”実家に帰省”だとエイルノン・エルゴール・イヴリンへと進む。
○8月 ”真夏の夜の舞踏会”→これはヒロインのダンスの数値が最大値の時に夏のパーティーの前に催される余興で神楽舞を舞う神子姫に抜擢されると起こるイベントで、これに選ばれると各攻略対象者の好感度が上がる。またエルゴールが神子姫役をするヒロインに直接指導してくれるイベントが発生する(別名・お部屋デート)踊りが成功すると各攻略対象者と会話が出来、イヴリンとの会話も発生、彼女の誤解を解くアプローチが取れる。
……だが、ここは僕イベが再現されただけの現実の世界で、すでに神の見たい物語は終わっている。終わっているのだが”隠された物語”のヒロインであるイヴの片頭痛は、イヴがミグシスと結婚しても”隠された物語”のラスト通りには、治っていなかった。この理由を知る人間がたった一人だけ、この場にいた。彼は全てを視る”真実の眼”でもって、その理由を知った。その彼は今……。
講堂の入り口で顔を合わせたイヴとミグシスに握手を求められて、どうしていいかわからず狼狽えているところを、後ろからカロン……ナィールに背を叩かれて、握手をしてやれとせっつかれていた。




