バーケックの役所と五・十日の日④
「マクサルトさんのおかげで、向こうで待つ時間が短縮出来ますね!ありがとうございます!」
「本当だね、イヴ!ここで戸籍謄本の申込用紙を記入しておけば、明日順番が来た時にすぐ提出出来るし、そうすれば役所にいる時間が、それだけ減るものね。マクサルトさん、イヴのためにありがとうございました!」
「本当にあの短時間でよくもこれだけ情報を集められましたね。これがあれば明日のイヴ様の負担は、とても軽いものになります。マクサルトさんには情報収集の才があるんですね」
ニコニコと仲良く戸籍謄本の申し込み用紙の説明書きを読んでいるイヴとミグシスや、役所の案内図やこの宿屋と役所の周辺地図と周辺施設の案内書きを感心して見ているノーイエに、マクサルトは照れながら言った。
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいです。自国の役所でも人の混み具合がひどくて、その日の手続きを諦めたときに、私は申込用紙だけを持ち帰って、少しでも次の日の手間を省こうと考えたことがあって、ここでもそれが出来るのではないかと、役所の受付の者に確認を取ってきたんですよ。そしたらば、受付の者が色々と教えてくれましてね……」
バーケックの受付の者の話によると、ここ10年ほどへディック国の貴族以外の民達が少しずつ少しずつ国外逃亡を謀り、逃げてきていたのだが、今年の5月から数が激増し、毎日役所は五・十日の日のような混み具合だと言うことだった。
「実は私もへディック国からトゥセェック国に逃げてきたんですよ。トゥセェック国の国境でもものすごい民の数でした。トゥセェック国で新たに難民申請したときの役人の話では、トゥセェック国でもここと同じ現象が10年前からあったそうで、私が逃げ出した前後辺りから、へディック国から逃げる民は激増したそうです。10年前に大勢の死者を出したへディック国の流行病と、二国で聞いた10年間の話と、ここ最近の話を合わせて考えると、これはあくまで私の予想なんですがね、今のへディック国はもう……平民が殆どいない状態になっているのではないでしょうか」
(……もしかしたら、あの彼が組織的に計画を立て、貴族に気取られないように少しずつ少しずつ国民を逃がしていた計画を、この5月に貴族にある病が流行ったことで、貴族の監視が緩んだのをこれ幸いと、民を大量に逃がすことに作戦を変更したのではないだろうか……)
マクサルトは、しばらく物思いに耽っていたが、イヴとミグシスが戸籍謄本の請求申込用紙に下書きを済ませ、これから清書をしようと、していることに気づいたので、マクサルトは記入漏れがないかと、声を掛けながら書類に目をやり……二人に制止の声を掛けた。
「あれ?お二人とも書くのを止めて下さい。同じ所を間違えていますよ」
「「え?どこですか?」」
イヴもミグシスも下書きした申込用紙の間違いを訂正しようとしたが、どこなのかが、わからなかった。イヴとミグシスが間違いがわからないと戸惑う様子にノーイエも地図から目を離し、二人の傍に行き、申込用紙を覗き込んだ。
「おや?不思議なこともありますね。イヴ様もミグシス様も間違えることなんて、めったにはありませんのに。どれどれ……、ん!?んん?どこが間違っているのでしょう?私の見る限り間違いなんてありませんよ、マクサルトさん?」
三人が揃って疑問の表情を浮かべるのをマクサルトは苦笑しながら、トントン!……とここだと指で叩いて示した。
「「「え?ここって……?」」」
目をパチクリさせている三人はマクサルトに指摘されても間違いがわからなかったので、マクサルトはミグシスから筆記用具を受け取り、正しい記載を施し、三人はその内容に大いに驚いた。
「「「え。……ええっ!?えええ~~~~~~!?どうしてなんですか!?マクサルトさん?」」」
マクサルトはバーケックの観光案内の本の後ろを捲って開いて、それを手に持ち、ニッコリ笑顔で、その説明を始め……三人は驚愕の事実を知ることとなった。
翌日。早朝に4人で並び、無事に役所の整理券【1】を獲得出来たイヴ達は、役所が開所すると皆は場所に迷うことなく、真っ直ぐに戸籍課に向かうことが出来た。整理券番号が呼ばれ、イヴとミグシスが戸籍課の受付へと向かう。
「おはようございます。本日のご用件は?」
「おはようございます。あの俺達、戸籍謄本の……」
昨日、申請書類や申請に必要な身分証を揃えていたイヴとミグシスが戸惑うことなく、戸籍課の受付とやり取りしているのを見て、マクサルトはノーイエと顔を見合わせて、これで一安心ですねと微笑み合った。
「マクサルトさんが昨日、事前準備を色々と整えてくれたおかげでイヴ様が倒れることなく、今日の役所の手続きを済ませることが出来ました。本当にありがとうございました!」
ノーイエが深々と頭を下げて礼を言ったので、マクサルトは慌てて、それを止めた。
「いえいえ、そんな!こんなことは何でもないことなんですから、そんな礼なんていりませんよ!もう頭を上げて下さい!」
「いえ、そんなわけにはいきません。マクサルトさんは事前準備に駆けずり回ってくれただけではなく、戸籍謄本とは別の……二人の大事な書類申請のために証人の署名までしてくださったのですから!本当にマクサルトさんがいてくれて良かったです!証人は二名必要ということでで、私一人の証人では今日、申請することが出来ず、イヴ様はまた役所に出向かねばならないところだったのですから、いくら礼を尽くしても足りないくらい感謝しています!」
ノーイエが涙を浮かべながら礼を言うので、マクサルトはつられて涙が出そうになるのを堪え、目元を擦ってから微笑んで言った。
「いえいえ、そんな大層なことは何もしてませんよ。でも、いいのですか?私なんかの署名で?こう言う場合は普通、当人達の保護者や親しい大人がするものなのに、こんな、ただの馬車の馭者なんかが証人で?いえ、ね、私としては、二人の証人となれることは光栄なのですが。こんなにも楽しい旅をしたのは、生まれて初めてでした。……仕事とは思えない位に楽しく、皆さんに親切にしていただいて私は生きていて良かったなぁ……と、今日しみじみ思ったんですよ。
それにこんなことを言っては図々しく思われるでしょうが、私はすっかりイヴさんとミグシスさんを気に入ってしまいましてね。何だか二人の親戚の小父さんになったような気持ちだったので、証人となって二人の役に立てたことが、すごく嬉しいんですよ。本当に良かったですね。これで、もう二人は……。ああ、そうだ、今の間にトイレに行っておきますね。もう受付で申請は受理されたようですし、後は戸籍謄本を受け取るだけでしょうから」
マクサルトはそう言って、トイレに向かった。イヴは4月の入学式前に起きた片頭痛の時と同じように、今回も自分の無責任な行動で他者に迷惑をかけないようにと、その選択をしたし、旅の同行者達も、イヴのその選択は正しく、良いものだと誰もが思った。……ただ物事というものは、いくら用意周到に準備を重ねても、予想外の出来事が起これば、予定通りにはいかないことは多々あって、今回もイヴは……。
マクサルトが戻ってきた時、二人は戸籍謄本を手にし、嬉しげに微笑み合って、ノーイエの元に行こうとしていた。マクサルトはそれを見て、無事に手続きが終わったのだと思ったのだが、急にイヴが立ち止まって、ノーイエの横に急に現れた集団に気付いたかと思うと、途端に顔色を青くさせたのが見えて、何事が起きたのかと、慌てて早足で近づいた。
「ま、まさか……もう連れてくるなんて……。また皆んなは無茶なことを……した……の?」
イヴはそう一言言った後、フラァと意識が遠のいたのか、そのまま後ろに倒れて、ミグシスに抱きかかえられた。戸籍課の受付の者がイヴが倒れたのを見て、大声を上げた。
「キャー!誰か-!助けて下さい!たった今、入籍されたばかりの女性が倒れましたー!!」
その声で役所内に動揺が走る中、ミグシスはイヴ以上に顔色を青くさせて、必死になってイヴに呼びかけた。
「!?しっかりして、イヴ!嫌だよ!俺達、結婚したばかりなのに!俺の奥さん、死なないでー!!」
イヴが倒れたのを見て、その集団から慌てて一人の女性が走り出てきた。
「イヴ様、気を確かにしてくださいませ!マーサが来ましたから、もう大丈夫ですよ!」
ノーイエはマーサに二人を任せて、自分達の前に現れた集団に対し、多少の怒気を孕んだ声を上げた。
「イヴ様、気をしっかり!!ああ、もう!旦那様、奥様、長に皆!全員が急に出てくるから、イヴ様がびっくりして倒れられたではないですか!誰か……冷水と濡れ手布を持って来て下さい!」
ノーイエの声に我に返ったスクイレルの大人達はイヴのために迅速に動くことにした。




