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悪役辞退~その乙女ゲームの悪役令嬢は片頭痛でした  作者: 三角ケイ
”僕達のイベリスをもう一度”~7月
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バーケックの役所と五・十日の日②

 マクサルトは元々は貧乏な子爵家の三男坊で、貧乏故に社交にも満足に顔を出せず、学院にも通ったことはなかったから、政略結婚で無理矢理ヒィー男爵家に婿入りさせられた当初から、自分の正妻のヒィー男爵夫人や他の貴族達から『世間知らずで物知らず』と散々馬鹿にされたので、社交や貴族のことを必死で勉強し直し、何とか一人前の男爵と認められたが、最初に馬鹿にされたことが辛くて、全ての貴族を内心快く思っていなかった。


 そんなマクサルトが、その貴族達の中で一人だけ、彼の臣下となりたいと、身分不相応なことを願ってしまうほど尊敬できる上級貴族と初めて出会ったのは、城に税収の書類を届けに来たときだった。


(星のない闇夜でも、孤高に輝く銀の月の化身のような人がいる)


 その公爵と初めて会ったとき、マクサルトの頭の中には、そんな詩的な言葉が浮かび、城の廊下を歩いていたはずだが、もしかしたら自分は神代の国に迷い込んだのかと、一瞬マクサルトは本気で、そう思い込んでしまうほどに目の前を歩く若い公爵は、とても美しい男性だった。


 若く美しいながらも、その公爵は”氷の公爵”と呼ばれるほど冷たい印象を与える眉間の皺が常にあったために皆に恐れられていて遠巻きにされていたが、実はその公爵が誰よりも優しくて親切で賢く、真っ当な人間であるとマクサルトが知ったのは、その出会いから一年経った、ある日のことだった。






「ヒィー男爵。今晩は」


「こ、今晩は!シーノン公爵!」


 へディック国の貴族の社交では必ず身分が上の者から声を掛けるのが決まりであったから、下級貴族のマクサルトは、ヒィー男爵家の特異性故に声をかけてもらうことが中々出来ず、社交も長年上手くいってはいなかった。だけど、ヒィー男爵家の領地の水質調査をする際に、その公爵と文をやりとりした次の年から状況は一変した。


 年に一度か二度位しか夜会に出席しないシーノン公爵は、へディック国の誰よりも豊かな領土を持ち、また領地経営の秀逸さにより、王家よりも金持ちだと言われ、国中の上下貴族達はこぞって皆、彼と親しくなることを心の内で願っていた。でも身分の上の者からしか話しかけられない貴族の決まり故に、彼が望まない限りは誰も彼と話せなかったし、普段から城勤めで忙しい彼は、自分の屋敷で茶会や夜会を開くことも無く、また余所の茶会や夜会へも出席しなかったから、彼に声を掛けられると言うことは、彼の信頼を勝ち取った、一流の貴族であると言われ、王の代わりに執政を行い、国力を上げている彼に存在を認められるというのは、王の取り巻きになることよりも栄誉があることだと言われていたことを知らなかったのは、彼本人と王の取り巻き達だけだった。その彼が……。


「ああ、こちらにおられたのですね、ヒィー男爵」


 と言って、その年の貴重な一、二度の夜会でシーノン公爵はマクサルトの所に、わざわざ出向いてきて、彼が帰る時間……シーノン公爵はいつも小一時間しか夜会に留まっていなかった……まで、マクサルトだけと話をしたのだ。”()()イミルグラン・シーノン公爵が、わざわざ出向くほどに、彼の信用を勝ち取っている貴族”となったマクサルトのことをへディック国の上下貴族は、それ以来、誰も馬鹿にしなくなり、マクサルトとの社交を望むようになった。


 ……と言っても、マクサルトも馬鹿ではない。その社交がシーノン公爵との顔つなぎを望むためのものだとわかっていたし、彼等の要求を呑むことは自分には不可能であることもよくわかっていた。何故ならシーノン公爵は、特別にマクサルトを贔屓していたわけではなかったからだ。






「あなたが誠実で真面目な仕事をしてくれたから、私はとても仕事がしやすかった。あの時はありがとう」


 シーノン公爵は国勢調査や水質調査、貴族の領地の税収の決算等で、各領地の貴族にそれらを依頼する中、マクサルトだけが誠実で真面目に、その依頼をこなしていたと言い、それを賞賛してくれていたのだ。へディック国の貴族達は大抵の者が、傲慢で怠惰で欲深だったから、それらの依頼を第三者に丸投げしたり、誤魔化したり、隠したり、何もしなかったり……と、まともに仕事をする者がいなくて、正しい情報を得るのにすごく苦労したと、自分よりも随分若いシーノン公爵が語るのを、マクサルトはくすぐったい気持ちで聞いていた。


 ……本当なら貴族を辞めて、隣国で愛しい女性と結婚し、商人となるはずだったマクサルトは商売のイロハを教えてくれた家庭教師に、商売をする者に必要なものは誠実さが何よりも大事だと教わっていた。だから男爵になっても、仕事には誠実さが何よりも大事だろうと考え真面目に頑張っていたが、誰もそれを……正妻となったヒィー男爵夫人も……いつまでたっても認めてはくれなかった。初めてマクサルト自身を認めてくれた貴族は、国中の貴族達が密かに尊敬し、憧れているシーノン公爵で、彼はマクサルト自身が心から大事だと思っていること……誠実でいることを認めて褒めてくれたのだ。


 シーノン公爵にとっては、何気ない言葉だったのかもしれない。でもマクサルトはそれが嬉しかった。マクサルトが大事にしていることは、けして間違ってはいないのだと言ってもらえたような気がしたのだ。だからマクサルトはシーノン公爵の信頼を裏切りたくないと考え、自分に擦り寄ってくる貴族達に、彼等の力にはなれないことを馬鹿正直に語った。


 すると大勢の貴族達はガッカリし、マクサルトに悪態をつき、一旦は離れていったが、やがて……少しずつマクサルトと仕事をしたいと言い出す貴族が現れて、それからマクサルトはヒィー男爵家という微妙な立場であるにもかかわらず、他の貴族達のように社交や仕事が取れるようになった。彼等はシーノン公爵の威を借りられない事実を正直に言い、彼等の誤解をそのまま利用しなかったマクサルトを誠実な人間だと言い、仕事をするのに何よりも信頼できる人物だと認めてくれたのだ。


『さすがはシーノン公爵の信頼を勝ち取る人間だ』


 損得抜きで皆にそう言われて、賞賛され、仕事抜きでも親しくマクサルトに話しかけてくれる貴族も現れた。後日、城の廊下で出会って挨拶をしてくれたシーノン公爵にそのことを伝えたら、シーノン公爵は眉間の皺を指で伸ばしながら、ふんわりと微笑んで、マクサルトにこう言った。


「誠実に生きるあなた自身を認めてくれる者がいて本当に良かった。これでもう大丈夫ですね」


 シーノン公爵は全てを知っていたのだ。不遇なマクサルトを心配し、マクサルトに自分の力で、他の貴族達の信頼を勝ち取る機会を与えてくれたのだと、この言葉でようやくそれにマクサルトは気付くことが出来た。


(何と優しく賢く、そして何と……怖ろしい方だろう)


 シーノン公爵の威を借りれば、シーノン公爵と懇意になりたい貴族達の輪に加わり、社交が出来、仕事も取れただろう。でも、それは……一時の栄華に過ぎない。マクサルトがシーノン公爵に贔屓されていない事実がばれれば即、社交から爪弾きにされ、仕事も失われ……シーノン公爵からも軽蔑されていただろう。だが今回マクサルトは、正直に自分はシーノン公爵の威を借りられないことを誠実に貴族達に伝えたことで、マクサルトは誰の力も借りず、自分の誠実な性格を貴族達に認められて、貴族達の輪に加わり、彼等と対等な仕事を出来るようになったのだ。自分自身を信じてもらって始めた対等な付き合いは、貴族特有の無理難題に苦しめられることもない。何よりも偽らない自分を認めてもらえたことはマクサルトの自信となって、マクサルトの力となった。


 マクサルトの胸の中は熱い感情が渦巻き、涙がこぼれそうな気持ちを堪え、目の前のシーノン公爵を見つめた。シーノン公爵は正しい選択をしたマクサルトを柔らかい微笑みで見つめ、無言でそれを褒め称え、シーノン公爵を利用しなかったマクサルトを、()()()信頼に値する貴族だと()認めてくれたのだ。


 この時マクサルトはシーノン公爵の足元に身を投げ出し、あなたの臣下になりたいと言いたくなった。マクサルトを心配し、マクサルトに試練を与え、その試練に打ち勝ったマクサルトを褒め認めてくれたシーノン公爵こそが、マクサルトの仕えるべき()ではないかと思ったからだ。実際にはシーノン公爵に、それを願うことは出来なかったし、シーノン公爵は不幸な事故で亡くなってしまったが、それ以降もマクサルトは、どんなことがあっても誠実さだけは忘れないようにして、今まで生きてきたのだ。

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