冷やしトゥセェック麺と二つ目の依頼(前編)
7月初日の昼食時、皆はノーイエが勧める、大勢の観光客で賑わう店に入った。奥のテーブルに通されて席に着くと、ノーイエは三人にお品書きを見せながら、こう言った。
「マクサルトさんは、冷やしトゥセェック麺を食べたことがありますか?トゥセェック国は、バッファー国の前王の妃がお忍びで食べ歩きに来ていたほど、食べ物が美味しいことで有名な国ですが、その中でも特に人気なのが、ここの店なんですよ!この店はバッファーの前王夫妻が、初めて出会った思い出の店として、バッファーからの観光客に人気の店で、一番人気なのが夏の暑さにピッタリのキンキンに冷えたピリ辛の冷やしトゥセェック麺なんです!」
「そうなんですか?私は、まだ食べたことがないので、それを食べてみましょうかね……」
マクサルトがそう言いながら、お品書きから目線を外すと、前に座るイヴがお品書きを食い入るように見ているのに気づき、その横に座るミグシスが愛おしそうに覗き込んでいる姿が目に入った。
「イヴはどうする?お店の人に牛乳か豆乳を入れてもらえるように頼もうか?」
マクサルトの隣に座るノーイエもイヴに優しく微笑みながら、声を掛けた。
「そうですね、イヴ様は、その方が宜しいかと私も思いますよ。」
「ううっ!二人とも私を子ども扱いしてませんか?私は、もうすぐ大人ですよ!豆乳を入れなくったって、食べることくらい出来ますもん!」
二人に言われたことに軽く拗ねてしまったのか、イヴはプクッと軽く頬を膨らませた。
「?ん?どうしたんです?もしかしてイヴさんは、その食べ物が苦手なんですか?」
イヴはミグシスとノーイエの視線に、少々居心地が悪そうにしていたが、マクサルトの質問に慌てて答えた。
「いえ!私も冷やしトゥセェック麺は、食欲がないときにピッタリの美味しい食事で好きなのですが、あの……食べている間、笑わないでいてくれますか?」
「?え?わ、わかりました。笑いませんよ」
マクサルトはよくわからないまま、それを了承し、皆で冷やしトゥセェック麺を食べ始めたのだが……食べ進めて5分もしないうちに、マクサルトの唇がプルプル震え、目元が潤み、頬が思わず緩み出すのを非常に苦労することになった。
「ううっ、マクサルトさんが笑うのを我慢してる~!それにミグシスもノーイエさんも笑ってませんか、それ?」
目尻に涙を浮かべ、真っ赤な顔で冷やしトゥセェック麺を口にしていたイヴが、マクサルトをジト目で見た後、ニコニコ笑顔のミグシスやノーイエの視線に、また頬を膨れさせた。
「す、すみません!でも嘲笑っているのではないのですよ。何というか、あまりにも微笑ましくて、息子が小さかったころのことを、つい思い出してしまって……」
マクサルトはそう言いながら……何だか、妻や子ども達が生きていたころの家族団らんのひとときをイヴさんを見ていたら思いだしてしまって、泣いてしまいそうだったのを我慢していたんですよ……と心の中だけで付け足した。
「あはは、そうだよ、イヴ。俺もマクサルトさんもノーイエさんも、イヴがあんまりにも可愛いから、思わず微笑んでしまうのを我慢しているだけなんだよ」
「そうですよ!イヴ様が辛いのを一口、口に入れる度に顔が赤くなって、目尻に涙が浮かぶ姿が、幼い頃と変わっておられなくて、あんまりにもお可愛らしくて、つい……。ほら、他の男性のお客様達も可愛いイヴ様に見とれておられるでしょ……って、ミグシス様!威嚇は止めてください!他のお客様方がガタガタと震えて、今にも気絶寸前になっておられるではありませんか!!」
ノーイエは慌ててミグシスに制止の声を上げたが、ミグシスの威嚇は益々強くなり、夏の季節だというのに店の中の男性客が真っ青な顔色で殺気に当てられ、気絶寸前まで追い詰められていたが、救いの天使の声で、それがピタッと止まった。
「ふぇ~、ミグシス~、やっぱりダメでした!美味しいのに舌がピリピリして痛いです。もしかして唇も腫れているかもしれません。少し診てもらえませんか?」
冷たいおしぼりで口元を拭ったイヴが涙を浮かべた顔で、ミグシスに自分の唇を診てくれと頼んだのだ。たちまち店内中を覆っていた威嚇は霧散し、ミグシスは愛しいイヴの涙を手布で拭って、イヴの唇をよく診るためにイヴを顎クイした。
「え?それは大変だ!どれどれ……、うん、すごく可愛くて魅力的な唇のままだよ、イヴ!まだ痛いかい?おしぼりの替えを頼もうか?」
「う~、そうしてもらえますか?」
イヴはそう言った後、ミグシスにおしぼりをもらいながら、小さな声で、あるお強請りをした。
「あのね、少し唇が痛いから、食べ終わったらミグシスに”蜂蜜紅”を処方してもらいたいの。お願いしてもいい?」
イヴの可愛い声にゾクゾクッと身を震わせながら、ミグシスはイヴのお強請りに嬉しそうに微笑んだ。蜂蜜は1才未満の神様の子どもは食すことが出来ないが、それ以外の者には栄養があり、体力が落ちたときや喉が痛むときなどに薬代わりによく食される食べ物である。また薬用化粧品としても、大人の荒れた唇の保湿剤代わりによく使用され、薬草医の二人は、この蜂蜜にいくつかのハーブと紅花を調合した蜂蜜紅……保湿作用のある色付リップを処方することが出来た。ミグシスはイヴの申し出をとても喜びながら言った。
「ええっ!?お、俺!?よ、喜んで!でも、俺でいいの?イヴは今までなら、自分の化粧品は自分で作ってたのに」
ミグシスが尋ねるとイヴは嬉しそうに微笑んで言った。
「ありがとう、ミグシス。ミグシスが引き受けてくれて嬉しいです。唇が痛いままだったら、ミグシスとキス……できないものね。そんなことになったら私、すごく悲しいです。あのね、ミグシス。私ね、ミグシスが作ってくれる蜂蜜紅の香りや色を、ミグシスの好きな香りや色の紅にしてほしいなぁと思っているのですが、そうしてもらえますか?だってね、私……ミグシスの好きな香りや好きな色が知りたいなぁって思ってたの。それに好きな人が作った紅を身に付けられたら、すごく幸せだなって思うから」
「え?唇が痛いままだったら俺とキスできないから蜂蜜紅を処方してって、……それ、俺の心臓を打ち抜く最強呪文な言葉だよ、イヴ。……なんなの、俺をこれ以上喜ばせて、俺の理性を崩壊させたいの?ああ、すっごく可愛い、俺のイヴ!それに俺の好きな香りや色って……。それって、俺にもっと好かれたいってこと……だよね、イヴ?俺、イヴにすっごく愛されているってことだよね?」
顎クイされたままのイヴの頬がポッ!とさらに赤く染まったのを見て、その可愛らしさに、そのまま口付けそうになったミグシスは、ここが店内だと寸でで思いだし、惜しげにゆっくりと手を離した。イヴの声にも話す内容にも、煽られてしまったミグシスは辛い食べ物で顔を赤くしているイヴよりも赤面し、手で口元を覆い、イヴを軽くジト目で見た。
「ぐっ!!うう~、イヴがまた可愛いこと言って、俺をさらに好きにさせる~!!もう、どうなっても知らないよ!結婚したら覚悟してね、イヴ!!」
「ミグシスこそ、覚悟して下さい!私、もっともっとミグシスに好かれたいから、いっぱい努力するし、あなたのこと離さないんですから!」
イヴの言葉にミグシスは、ううっ!と言って、両手の平で顔を覆い、首を左右に振って、喜びに身をくねらせて、ブツブツと独り言を言った。
「ああ、どうしよう!俺の天使が可愛いいやら愛しいやら、もう俺、煽られっぱなしで理性が!!ああ、すっごく好き!9年待ってたから、神様がご褒美くれたのかな?ああ!早く結婚したい!」
威嚇から解き放たれた店内は、ホゥと一息ついたのもつかの間、イヴとミグシスの会話を耳を欹てて聞いてしまった者達は、いちゃラブカップルのいちゃラブっぷりを見せつけられ、ピリ辛の冷やしトゥセェック麺を食べているはずなのに、何故か砂糖に蜂蜜をかけた食べ物を食べているような、何とも言えない表情になり……店内にいる何人かの恋人絶賛募集中の独り身の者は、シクシクと泣き始めた。




