イヴの快適な旅の出だしとゴレーの新薬(後編)
今回のお話の最後の部分だけ、後の世の世界について、少しだけ触れています。
保健室の床にイヴの涙が落ちて、小さな水たまりになっていくのを見て、リーナの母親はイヴの背を優しく撫で摩り、ピュアは手布でイヴの涙を抑え、顔を上げたイヴを抱きしめた。涙を流しているのはイヴだけではなかった。リーナの母親もピュアも目に涙を浮かべ、ゴレーへの感謝の気持ちで胸の中がいっぱいになっていたからだった。
大昔から、この世界の女性の女の子の日の様々な症状に対する人々の認識は……”神様の子ども”を宿す体になるための通過儀礼だと捉えられていた。女の子の日になる前後に起きる、便秘や下痢、嘔吐、腹痛、腰痛、頭痛、空腹感、目眩、眠気、貧血、気分の落ち込み、イライラ、倦怠感等の症状は、”神様の子ども”を宿す体になるための代償なのだから、それらは病気ではないとされ、大人の体になった女性達は毎月ただひたすら堪え忍ぶしかなかった。
だから女の子の日にまつわる様々な不快症状を改善する薬というものは、この世には存在していなかったし、それ専門で研究されることも今まで一度もなかったので、ゴレーの新薬は、”女の子の日の辛い症状は病気である”という認識の元で作られた、世界で初めての女性のためだけに作られた薬だったのだ。
「ゴレー先生、私にもお礼を言わせて下さい!ゴレー先生のお薬はきっと世界中の女性達の救世主となって、多くの女性を辛い女の子の日の症状から救ってくれる英雄となるでしょう!ね、ジェレミ-!ジェレミーもそう思うでしょ?」
ピュアがイヴを抱きしめながら、振り向いてジェレミーに言うと、ジェレミーは微笑ましげに頷いて言った。
「ええ、僕もそう思います。ゴレー先生は女性だけではなく、愛しい女性が女の子の日の症状で苦しんでいるのを見て、心を痛める男性をも救って下さる英雄となるでしょう!」
「私もそう思うな!イヴお姉ちゃんもママもルナーベル先生も毎月とても辛そうだったもんね!それを世話するパパや若先生やミグシスお兄ちゃんがすっごく怖かったもん!ゴレー先生は皆を笑顔にしてくれる、とっても素敵なお医者様なんだね!ね?イヴお姉ちゃん、本当に良かったね!」
リーナは涙ぐむ三人の女性達の回りをクルリと一周回ってから、笑顔でイヴに話しかけた。
「ええ!本当に良かったですわ!私は幸せ者です!ゴレー先生という素晴らしいお医者様に出会えたことも、こうして喜び合える仲間が傍にいてくれることも、私は嬉しくて、涙が止まりません!皆んな、ありがとう!ゴレー先生、本当に、本当にありがとうました!」
この時、ゴレーは泣きながらお礼を言うイヴの顔が、かかりつけ医をしていた時の幼いイヴの顔と重なって見えた。
『ゴレーしぇんしぇい、ありがとごじゃいましゅ』
ゴレーは幼いイヴの幻を見て、涙腺が緩んでしまった。
(ああ、この子の「ありがとう」を聞くことが出来た!私は、この子の……医者に、ようやく今なれたんだ!何て僥倖だろう!医者となって、こんなに嬉しく、幸せなことはない!神様、ありがとうございます!私に、この子の体を治せる薬草を見つける幸せを与えてくれて、ありがとうございます!私こそ感謝してもしきれません!!)
ゴレーは今までのことを振り返った。シーノン公爵家の”神様の子ども”のかかりつけ医として、イヴと出会った日のこと。可愛くて健気な”神様の子ども”の”気のせい”を治したくてリン村に医学留学した日のこと。侯爵を継ぐために国に戻ったものの、流行病の脅威を目の当たりにし、流行病の原因や治療法を探しそうと決めた日のこと。国中を駆け巡っても流行病の原因は見つけられず失意していたときに見つけた不思議な薬草のこと。それは流行病の薬ではなかったが、イヴの”気のせい”の痛みを抑える薬となるという手紙が来た日が、イヴの誕生日だったことに運命を感じて、この薬草は神様がイヴのために授けて下さった神様のご褒美ではないかと思った日のこと。
何年掛けても、流行病のことはわからなかったが、ゴレーが持ち帰った風邪予防の知識が認められて、へディック国の宮廷医師となったこと。そして12才になったベルベッサーが忘れ物をしたゴレーのために、城に来てカロン王の逆鱗に触れ、ゴレーは宮廷医師を辞めて、ベルベッサーを守るために家族でバッファーに逃げたこと。……そして、そのころには何故か、3つの国が仲良くなっていたため、リン村にいたバッファー国のライトの口添えでトゥセェック国の宮廷医師の職を得て、隣国に住み、この3月にイヴと再会し、イヴの女の子の日の辛い症状を何とかしてあげたいと思ったこと。4月のイヴの姿に衝撃を受け、薬草を探し、その薬草を見つけた日が、たまたまイヴがミグシスと婚約した日だったと後から聞いて、この薬草は神様がイヴのために授けて下さった神様のご褒美ではないかと思ったこと。
約11年の間で本当に様々なことがあったが、初心を忘れず、医師であることを貫き通したことで、最初に抱いた夢を実現出来たことに、ゴレーは医師である自分の運命を感じていたし、医師である自分を誇りに思った。患者の前で泣くなんて、おかしいからと我慢していたが、言葉に出来ない感動から、ついに我慢しきれなくなり、ゴレーの頬に涙が伝いだした。
「あれ~?ゴレー先生もイヴお姉ちゃんにつられて泣いてるの~?ゴレー先生もイヴお姉ちゃんと同じ泣き虫さんだ~!」
「これ、リーナ、からかってはいけませんよ!……でも、あまり泣いては目が腫れてしまいますよ、お二人とも。ささ、こちらに座って。お茶を入れますから落ち着かれて下さいませ」
リーナにからかわれながらも、イヴとゴレーは涙が止まらず、先に泣き止んだリーナの母親は、二人に席に座るように促し、皆にもお茶にしましょうと声を掛けた。
「あの日、部屋に戻ってからイヴにゴレー先生の話を聞いたとき、俺はゴレー先生の医者としての熱意に心底感動したし、イヴのために心血注いでくれたことを本当に有り難いと思った。それに、旅に出始めてすぐに女の子の日になったイヴは実際に、4月のようなひどい状態になることがなかったのだから、ゴレー先生は今後、女の子の日の不快症状に毎月苦しんでいる全ての女性達の救世主として、後の世でも、とても感謝される偉大な薬草医として、歴史に名を残す名医となるだろうね」
「そうですね!それにゴレー先生は、すでに鎮痛剤の主原料となった、あの薬草を発見し、また新たに二種も薬草を発見したことから、薬草採取家としても、その道を目指す方に尊敬されることでしょうね!」
「うん、きっと、イヴの言う通りだろうね。俺さ、イヴ。俺……少しだけゴレー先生が羨ましくて、少しだけ妬いてしまいそうだなぁ……。だってゴレー先生はイヴの片頭痛や、イヴの女の子の日に効果がある薬草を全部見つけることが出来たんだもの。……俺もゴレー先生みたいに、イヴのためになる薬を作りたかったなぁ」
ミグシスの少し悔しそうな表情に、イヴは苦笑した。
「仕方ありませんよ。だってミグシスは今までミーナとして私の護衛をしていたんですから。いくら私が12歳の時に、一緒に薬草医に合格したとは言え、薬草研究に没頭する時間は、ミーナとして私の護衛をしていたミグシスにはなかったでしょう?でも、もうすぐ、ミグシスは私の護衛ではなく、私の夫になるのですから、薬草研究も家事も一緒にしていきましょうね!……と言っても、私は体調を崩してばかりで、あまりミグシスの役には立てないけれど」
「そんなことはないよ!俺は君が傍にいてくれるだけで、幸せなんだから!お互いに出来ることをして支え合って生きよう!」
「ありがとうございます、ミグシス。私もあなたの傍にいられるだけで幸せだし、あなたに私の傍にいてもらいたい。一緒に生きようと言ってもらえて、私はとても幸せ者です!」
「お、俺もすっごく幸せ者です、イヴ!あ、あのイヴ……その、カーテンを閉めてもいい?」
「っ!?は……はい、いい……ですよ」
「愛しているよ、イヴ」
「私も。私も愛しています、ミグシス」
ミグシスは馬車のカーテンを閉め、最愛のイヴとキスをした。
……後の世、鎮痛剤や女の子の日の薬の元となった”神様のご褒美”と、後に名付けられる薬草の第一発見者として、後世の多くの患者達に感謝され、多くの医学を目指す者達に尊敬される医師となったゴレーだが、彼は死ぬまでへディック国を襲った流行病の正体を突き止めることを諦めず、遺言でもその研究を後世の医学者達に託した。
ゴレーの遺志を継ぎ、後に薬草医となったベルベッサーや他の医師達も、流行病の調査や研究を行おうとしたが、その後、一度もへディック国を襲った流行病は、どこの国でも姿を現せることがなかったので、彼等はそのたった一度だけの流行病の名前を”神様の風邪”と名付けた。
今を生きる、この世界の人々も、後の世に生きる人々も知らないし、知ることもない真実……。へディック国を襲った流行病は、僕イベの乙女ゲームの攻略対象者であるエイルノンを第一王位継承者にするために……、同じく攻略対象者のベルベッサーを侯爵家の子息にするために、物語通りになるようにと、金の神の力が暴走したことが原因だったので、”神様の風邪”と名付けられたことは……ある意味間違いではない、真実の病名と言えた。物語を再現させようと働いた金の神の力の暴走が招いた流行病は物語が終了したことにより、それ以降二度と、この世界を脅かすことはなかった……。
※イヴが今まで飲んでいた血の巡りをよくする薬は、グランが妻と娘のためだけに個人的に煎じた貧血予防の薬なので、女の子の日の薬専用とは言えないものでした。今回だけ、後の世についての話を書いているのは、イヴ達がいなくなった後のへディック国で何故、流行病が起こったのかを説明するためです。金の神の力の暴走がアロン王の時代に干渉したように、僕イベの乙女ゲームを開始させるために、登場人物のキャラ紹介のプロフィールの通りに出来るだけ酷似させようと、金の神の力が猛威を振るった結果が、あの流行病でした。……なのに諸悪の根源はイヴとミグシスさえいれば”隠された物語”は始まると、国全体を視ていなかったのですから、父神に邪神と叱られても仕方が無いと思います。
イヴ達が金の神の力の暴走の被害に遭わなかったのは彼等家族がすでに”英雄のご褒美”として、他の黒の神や銀の神の加護を与えられているために、それぞれの英雄の元に向かう運命だったおかげと、イヴとミグシスが金の神の見たい物語=”隠された物語”の英雄達だったからです。何故イヴ達の前世の日本の世界には存在しない薬草が、この世界で自生しているかは後日。ヒントは”隠された物語”です。




