イヴとミグシスと旅の馭者(後編)
マクサルトは尋常ではない速さで走る馬車に乗りながら、今回の抜擢について色々と思いを馳せていた。
(昔取った杵柄……自国で培った貴族特有の腹芸が、こんな異国で役に立つなんて思わなかった……。人生、何が起きるかわからないし、何が役に立つかわからないから、どんなことでも勉強だと思って、身に付けておいて損はない……と言っていた家庭教師の言葉を信じておいて本当に良かった……)
マクサルトは内心の安堵の思いと共にスクイレル会長から、くれぐれもと念押しされていたイヴのことを考えた。
(それにしても何と礼儀正しい娘さんだろう……。私の娘だった、あの悪魔のような女とは本当に雲泥の差だ。いや、もう、あの女のことは忘れよう。最初から最後まで私達は親子ではなかったのだし、それにイヴさんとアレを比べるなんて、失礼にも程がある。イヴさんは3つの国の王族達に敬われている賢者の父や世界一の金持ちだと言われている伯父がいる身の上なのに、その威を借りて威張ることもなく驕ることもなく高慢でもない、本当にしっかりとした、普通の娘さんだった。彼の方も礼儀正しい青年で、婚約者であるイヴさんを大切に慈しんでいるようだし、とても似合いの恋人達だ。
……それにしても何と美しい恋人達だろうか。イヴさんは月の光を編んで作ったかのような、見事な銀髪に、とても澄んだ青い瞳が蒼玉石のようだ。ミグシスさんは私の国では昔は好まれなかった黒髪黒目だが、人の目を引きつけずにはいられない艶やかな輝きがあり、まるで黒曜石のようだ。二人ともの容姿の造形は、この世のものとも思えない位に美しく、まるで月の女神と夜の男神が、そこにいるのかと錯覚してしまいそうで、思わず息を飲んでしまう。
かといって近寄りがたい印象を持たないのは、穏やかで優しい人柄がにじみ出ているような、柔らかい雰囲気のイヴさんと、イヴさんを本当に好いているミグシスさんの熱い想いがこもった一挙手一投足の行動が、とても微笑ましいからだろうなぁ……。そう言えば会長からも聞いていたが、イヴさんは自分でも体が弱いと言っていたなぁ。ああ、そう言えば、少し顔色が良くなかったような気がする。よし、イヴさんのためにも、一刻も早くバーケックに連れて行ってあげないと……)
ヒィー男爵……改め、ただのマクサルトとなった彼は、スクイレル商会の会長であるセデスに、へディック国の貴族が得意とする腹芸が出来ることと、彼の性格が真面目で誠実であることを見込まれて、二つのことを依頼されていた。一つはイヴの体調を最優先させながらも、迅速に二人を7月中にバーケックに入国させることだった。
ミグシスとイヴは二人の今まで働いたお金……ミグシスは騎士団にいた間、休日に賞金首を片っ端から捕獲し得た賞金と、ミーナとして9年間護衛を勤め得た給料があり、またイヴは3年前に薬草医になってからスクイレル商会の薬草医となり、バッファー国とスクイレル商会が共同で開発している鎮痛剤開発の手伝いと、庶民向けの化粧品”黒狼が抱く銀色の子リス”を開発し、それで得た報酬があった……があったので、その二人のお金を今回の旅の資金に充て、スクイレル商会の馬車と馭者を雇うお金も、そこから出していた。二人はイヴの体調に配慮しながらも今後のことも考え、旅費を出来るだけ切り詰める心積もりで、馬車の馬は一頭しか借り受けないつもりでいた。
だが夏の暑さに弱く、乗り物酔いをしやすい姪のイヴを溺愛しているセデス会長が、一刻でも早く涼しい気候の国に連れて行ってやりたいという気持ちから、どうしても6頭立ての馬車で旅立たせたいという親馬鹿ならぬ伯父馬鹿な計画を実行させるために、マクサルトに白羽の矢が立てられた……のだと、マクサルトは聞かされていた。
『姪のイヴは普段から他者に迷惑をかけてしまう自分の体に引け目を感じ、少しでも自立しようと頑張っている健気な娘なのです。だから私達、スクイレルの過剰な過保護は、必要ないと拒む怖れがあるのです。ですから我々の一族とは全く関係のない人間の本物の理由で、二人を6頭立ての馬車に乗せたいのです。そこで、あなたの臨時収入が欲しいという嘘偽りのない本物の理由が今回、我々にはどうしても必要なのです』
と、スクイレル会長自ら頭を下げられて頼まれたマクサルトは、イヴのために作られたという馬車を見せられて度肝を抜かれてしまった。
(!?こ、これは!何という豪華な馬車なんだ!?まるで王族の姫君が乗るような素晴らしい外観の馬車だ!それに馬も皆、素晴らしい駿馬ばかりだ!……な、中の内装も……何だ、これは?こんなに立派な馬車なんて、へディック国の王族だって持っていないぞ!)
マクサルトが息を飲んで見入った6頭立ての真っ白い馬車には、赤いハートを持った銀色の子リスと、その子リスを守る黒狼の紋章が両脇の扉に描かれていた。二人専用の馬車としては、中が広めに設計されていた。馬車内の壁は馬車内の者が急な揺れでぶつかっても痛くないようにと、クッション材で壁を覆い、その上から落ち着いた焦げ茶の布壁を二重に覆っていて、二人の座る席は馬車の揺れで、極力乗り物酔いが起きないようにと微調整が隅々まで施されて作られた、座り心地がよいクッション材が敷き詰められていた。その席は深緑色の皮が張られた座席となっていて、馬車の窓の両脇には薄い生地の白いレースのカーテンと、日差しを遮断する厚めの生地の青緑色のカーテンが着けられていた。
馬車の前には頑丈そうな雨風よけのついた馭者席があり、そこには黒髪黒目の馭者が座っていて、自分はイヴの親戚の者で、ノーイエという名前だと名乗った。馬車を誘導する先鋒がいて、彼等はリングルとアダムという者で、やはりイヴの親戚だと説明され、マクサルトは先鋒部隊までいるのかと驚くと、ノーイエはそれだけではないと、あることを教えてくれて、マクサルトは、そのあまりの過保護振りにドン引きし、それが出来る経済力や、それが通る組織力、それが許される彼等の影響力に思わず身震いしてしまった。
(もしかして……ここの商会は3つの国を懐柔し、ある意味征服してしまっているのではないだろうか?)
馬車の上や馬車の後ろには旅の荷物の鞄が積めるようになっていて、激しい揺れにも落ちることが無いように、しっかりと固定が出来るのだとノーイエに説明を受けながら、マクサルトはそんなことを漠然と……だが限りなく真実に近い答えにたどり着いていた。ノーイエの説明はさらに続いていき、この馬車には二人分の座席しか用意されていないが、その座席にはイヴのための仕掛けが施されているのだと言うのをマクサルトは口をポカンと開けたまま、呆然と聞いていた。
(さ、さすが……世界一の金持ちだと言われている商会の会長がすることは規格外過ぎる!なんと贅沢な馬車だろうか……。こんな馬車を宛がわれる位、贅沢に慣れているお嬢様なのだから、きっとスクイレル商会のイヴ様とやらは、へディック国の貴族令嬢のような、高慢で我が儘なお嬢様なのかもしれないな……。ああ、嫌だなぁ。出来れば、あの手の者とは一生係わりたくないのだけどなぁ……。ハァ、でも仕方ないか……)
マクサルトは、ため息をつきつつも、スクイレル商会の会長から提示された破格すぎる依頼料を断る余裕が、今の自分にはないことを自覚していた。
(たった一ヶ月の辛抱だ。あの悪魔のような母娘に対峙してきた日々を思えば、きっと耐えられるはずだ)
腹をくくったマクサルトは、決死の思いで学院に二人を迎えに来たのだが……そこにいたのは悪魔ではなく、極々普通の恋人達だった。最初に旅の打ち合わせをしたミグシスも、礼儀正しい好青年だったし、丁寧な挨拶の言葉をくれたスクイレル商会の会長一族が溺愛しているというイヴも、少しも高慢ではない普通の人間……まぁ、二人とも美形過ぎる点を除けばだが……だったことに、マクサルトは拍子が抜けたと同時に大きく安堵した。
(ああ、何だ、普通の人達だ。ちゃんと常識のある普通の社会人同士として、普通に会話が出来る、私と同じ普通の人間だ。ああ、良かった……。本当に良かった。きちんと言葉が通じる知性がある人達で、本当に良かった。……そうだよなぁ。あんなに言葉がまるで通じない人間が、そうゴロゴロいるわけがなかったんだ。ハァ~、変な心配は要らなかったんだ。
二人ともしっかりとしていて、私の息子と同じくらい真面目な良い若者達で、とても好感が持てる。金持ちの子どもにありがちな甘えもなく、驕りもない。キチンと物事を考え、自立しようと頑張っている良い子達だ。……それにしても何故だろう?イヴさんの姿が、遠い昔に私を初めて褒めてくれた、今は亡き公爵に似て見えるなんて……?あの方の髪色と瞳の色を持つイヴさんを見ていると、当時を思い出してしまう……)
マクサルトは尋常ではない速さで走る馬車の上で、自分が馭者をする相手が常識を持った普通の人間であることへの安堵や、初対面ながらもどこか懐かしいと感じてしまうイヴを不思議に思いながら、会長に頼まれていた二つ目の依頼に、いつ取りかかろうかと思案に耽った。
その後、マクサルトは二つ目の依頼を二人に悟られずに達成させるために、旅の初日に自然を装って積極的に話しかけ、無事にその依頼もこなすことが出来たのだが、それからの旅の間にマクサルトは礼儀正しく優しい二人に瞬く間に絆されてしまい、三日も過ぎぬ内にマクサルトは二人の親戚の小父さんのような気持ちになって、自分と同じように二人を好意を持ち、イヴを実の娘であるかのように慈しんでいるノーイエと、すっかり意気投合してしまった。
……つまり、隣国に行く旅費が浮き、息子の結婚祝いが高収入で得られることと、真面目で優しいイヴの体調を心配し、早くバーケックに行くことを本心で望むようになったマクサルトの心に嘘が少しもなかったために、イヴとミグシスは6頭立ての馬車の本当の理由に気づくことなく、旅を続けることとなったのだった。
※マクサルトの正体は、リアージュの父親だったヒィー男爵でした。彼はレルパックスという息子の誘いを受けて、トゥセェック国で真面目に働いていました。作中の彼の愛する妻とは、レルパックスの母親……内縁の奥さんのことです。マクサルトはリアージュの酷さに慣れてしまっていたので、その対極過ぎるイヴへの好感度は、数値化して例えるなら、初対面でレベル90を超えてしまうくらい、イヴを良い子だと思ってしまいました。
ちなみにノーイエとリングルとアダムはイヴとミグシス担当。セデスとサリー、マーサはグランとアンジュとソニー担当とスクイレルの銀色の妖精の守り手は今回振り分けられています。残りの者はロキとルナーベルをある場所に送り届けています。




