名前なき彼等とカロン王
その日、カロン王の取り巻き貴族の一人が城中の廊下で、一人の執務官に声を掛けられた。
「あの折り入って、ご相談したいことがあるのですが……」
「なんだ?申してみよ」
取り巻き貴族は少し眉を潜めて、その執務官を見た。何故なら、その執務官の名前が思い出せなかったからだ。
(?ん?誰だったかな、此奴?顔は見覚えがあるのに名前が思い出せん。少し前まで”魔性の者”と呼ばれていた見た目の黒髪黒目の者……そんな者、執務官にいただろうか?いや、でも見覚えはあるから、いたのだろう……)
執務官は取り巻き貴族の怪訝そうな表情に気づかずに話し出した。
「はい、実はへディック国立学院のことで、ご相談が。この5月に学院にいた、全ての女子学院生が退学してしまいましたので、学院の目的である男女の出会いが実現不可能となりました。そこで今年も卒業式を繰り上げる許しをカロン王に取り付けてもらえないでしょうか?」
「ん?確かカロン王の作った学院法では、3月に卒業式と決まっていたが、一体いつにする気なのだ?」
「はい、8月のカロン王の誕生日に」
「馬鹿を申すな!学院のことは学院法で定められているし、貴族院の許しが必要なはずだ!」
取り巻き貴族は表面上はカロン王に忠義を尽くす臣下を装っていたから、カロン王の決定を覆すことは出来ぬと突っぱねて見せた。所が、執務官は大丈夫なのだと言い出した。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。女子学院生がいなくなった時点で、学院にいる三年生の男子学院生達の卒業式を早めることを貴族院もカロン王も、毎年許可してくれていますから」
「何だって!?」
驚いた取り巻き貴族に執務官は説明を始めた。
「ここ10年ほど流行病や不作が続いて、どこも経営難で資金繰りが苦しいのは、すでにご存じのことと思いますが、貴族は10年前に比べ、四分の一にまで人が減っていたのが、この5月のアレで、さらに大勢の貴族達が相次いで亡くなったことで、100人いるかいないかまで減少してしまいました。
民だって10年前に比べ、流行病や国外逃亡で人口が激減しています。10年前から国勢調査や人口の統計などを調べなくなったので確かな数字はわかりませんが、今や地方も王都も人がまばらにしかいない状況です。……もう、このへディック国は滅亡寸前なのかもしれません。
先月お亡くなりになった保健室の先生のおかげで、この2年は女子学院生の恋愛結婚が増え、一年を待たずに皆、婚約もしくは結婚で学院を退学し、学院には、まだまだ婚約も結婚もするつもりのない男子学院生だけが残ったので、それでは予算のムダだと学院長から要請があり、貴族院とカロン王は、卒業式を早めることを許可したのです。
3年生の卒業式の日に、1、2年生も修了式を迎え、また4月が来るまで、春休みとして自宅に帰省してもらうことで、経費節約をしていたんです」
「そ、そう言えば、そうだったな……ハハハ」
取り巻き貴族は知らなかった事実をさも、うっかりど忘れていただけだという態を取り繕い、左手で自分の顎髭を撫でさする。
(フン!さすが愚王だな。自分が決めた法律を自分で破るなんて……)
「ええ、そうなんですよ。それにこれは学院法の452ページに記載されている条項補足の※7で認められていることなんです。男女共学の条件が欠如した場合、王の許可を得れば、その年の最高学年の学院生の卒業と修了式を早めることが出来ると書いてあることは、ご存じでしょう?
とはいっても、今年のように新学期が始まって2ヶ月で女子学院生が皆、自主退学するなんて快挙は今までなかったことですし、その祝いも兼ねて今年の学院の卒業パーティーにはカロン王にも是非、ご出席いただきたいと思いまして。
……この10年ほど、カロン王は城に引きこもっておられ、経費節約として、誕生パーティーも一度もされておりません。今年はご子息の王子様が3年生で卒業されますし、是非、この機会にカロン王に学院までご足労いただき、卒業パーティーと誕生パーティーを兼ねられてはいかがかと……」
「そ、そうだったな、もちろん私は知っていたさ!ふむ、確かに今はムダな金など使えぬご時世だ……よし!私がカロン王に進言いたそう!」
「はい、ありがとうございます!」
黒髪黒目の執務官は取り巻き貴族がふんぞり返って、城の一番上の部屋に向かうのを見送った後、忽然とそこから姿を消した。
「我が敬愛するカロン王よ。折り入ってお話が……」
城の一番上の部屋では、ゴロンと二度寝を決め込もうとしていた(ふりをしていた)カロン王は、少しも敬愛する感情を持っていない、その取り巻き貴族から、あることを打診され、話をろくに聞いていない態を装いながらも、怪訝に思われないように気をつけながら了承した……。
病床の床に伏している老人は、自分の孫息子が見舞いに来ていると使用人に言伝を受けて、頬を緩めた。
「お祖父様、具合は?」
金髪碧眼の孫息子の風貌を見て、ニヤリと老人は口を歪ませた。
「これはこれは、王子様直々に見舞いとは光栄です。儂の具合は相変わらずです。ただ老齢故、夏の暑さが少々堪えてきています。……所で王子様、勉強の方はいかがですか?儂がつけた家庭教師からは、勉学が疎かでいつも上の空で困ると苦情を聞いておりますよ。それとお早く婚約相手をお決め下さい。儂が用意した令嬢方は、年齢、家柄とも王子様に相応しい者ばかりでございますのに、一向に選んで下さらない。あまり儂を困らせないで下さいませ」
「!?フン!お祖父様はいつもそれだ!口を開けば、勉学、婚約と、そればかり!たまには普通の会話が出来ないのか!」
米神に青筋を立て、怒りの声を上げる孫息子に老人は首をかしげた。
「はて、普通の会話とは?何の話をしたいのでしょう?」
「っ!お……祖父様は僕自身についての関心がないのか?例えば学院に入って、どれ位背が伸びたとか、僕が学院生活で何を楽しみにしているかとか、何の食べ物が好きかとか、友人は出来たのかとか、聞いてみたいことはないのか?」
孫息子の言葉に、学院生活は楽しいですか?と、何の感情も込められていない言葉を祖父が発したため、
孫息子は、もう良い!と言って、乱暴に腕で顔の汗を拭った。
「……もう良い!お祖父様も母上も、同じだ。やっぱり二人とも僕に関心がないんだ。(……やはり僕にはカロン先生しかいないんだな)今日は今年度の女子新入生が学院に一人もいなくなってしまったので、卒業が早まったことを伝えに来ただけだ。8月の父上の誕生日パーティーを学院の”卒業パーティー”の日に兼ねてすることに決まったから、お祖父様も体調が戻られたら、出席されるといい!では……」
「ああ、王子様、お待ち下さい!」
孫息子は足を止めて、老人の言葉を待った。
「?なんだ?」
病床の老人はニタッと笑顔で言った。
「王子様、おめでとうございます!それと、そろそろ散髪をされたほうが宜しいですよ」
老人の言葉に孫息子は、ハァとため息をついた。
「またか?私は散髪は苦手だ。……ずっと目をつぶっているのも退屈だし、散髪中は臭い匂いがするから、私は散髪が嫌いなんだ」
「まぁまぁ、そう言わずに。それも王家の身嗜みでございますよ、王子様。それと私は王子様の晴れ姿が見たいので、何としても”卒業パーティー”に出席させていただきますよ。あなた様の母上も連れて、学院に参らせていただきます!」
「!?本当か?母上もお祖父様も入学式にも来なかったのに、どう言った風の吹き回しだ?!」
怪訝そうな表情を浮かべる孫息子に、祖父は疲れたと言って、ベッドに横になり、目を閉じた。祖父の侍医が今日の面会はここまでと告げ、孫息子は祖父の真意を聞けないまま別れの挨拶をし、退室した。老人は侍医に脈を測られ、目の下を診られながら、自分自身の手で直接復讐が出来る、最後の機会が巡って来ることに内心歓喜していた。
(ああ!ついに、ご先祖様の恨みを晴らせる!カロン王の誕生日はいつだったか……?ああ、8月の盆明けだったかな?そうか、後、一ヶ月じゃないか!後、一ヶ月で始祖王の血筋の者に復讐が出来る!)
老人はそれまでは何としても生きながらえてやると、乾いた唇をグッと噛みしめた。侍医が視診を終えた頃、ピンク色の髪の侍従が老人宛の小包を持って、部屋に入ってきた。老人は見慣れない侍従だなと思いつつも、荷物の差出人の名前が気になったので、退室する侍従を引き留めることはなかった。
差出人の名前は、ケンタン。老人の知っている者の中で、ケンタンという名前を持つ者は、一人の故人しかいない。
(昔、クロニック侯爵が殺した大司教からの小包?)
冗談にしては悪質すぎると思いながらも、どうしても、それが気になって仕方なくなった老人は、侍医にも部屋を退室させ、一人っきりになってからベッドの上で、おそるおそる小包を開けた。小包の中には古ぼけて、かび臭い一冊の本……書き手が少なくとも3人以上はいるだろうと思われる交換日記と、一通の手紙、そして……白いリボンが入っていた。




