名前なき彼等とカロン(後編)
「祖父に口止めされていたから、あの時に本当のことをカロン先生に教えてあげられなかったけれど、あの時ね、僕……すごく……ものすごく嬉しかったんです。カロン先生は僕に傷を負わせられたのに、僕のことを心配して、必死に僕を説得してくれたでしょう?あの時に僕は、あなたに父親の愛情を感じたのです。ルナーベル先生も……実の母よりも母親らしい労りの気持ちで、僕に優しく接してくれた。
だから僕は、あなたとルナーベル先生だけを信用し、愛するようになりました。僕は僕の愛する二人に、僕の傍にいてほしかった。僕は……ルナーベル先生を妻にし、あなたに僕の側近になってもらいたかったんです!だけど……学院にいる平民は側近にも妾にも出来ないので仕方なく、お祖父様の仲間の子息達を取り巻きにしたけれど……。どいつもこいつもボンクラで仕事は出来ない上に、人の女に横恋慕するような、どうしようもないクズばかりだった!」
「?どう言う意味でしょうか?彼等は王子に公私関係なく、よく仕え、友のように親しかったように見えましたが……」
カロンの言葉を聞いて、王子はカロン先生は平民だから、貴族の腹芸を知らないのでしょうと半笑いした。
「貴族は本音と建て前の使い分けが本当に上手だから、カロン先生の目には仲良く見えていたのでしょうね。カロン先生、僕らはいつも一緒にいましたが、僕は彼等を友だと思ったことは今の今まで一度もありませんよ」
王子は、己の怒りをそのまま吐き捨てるように言葉を重ねていった。
「ねえ、カロン先生、聞いてくれますか?本当に彼等は皆、使えない上にずる賢い連中なんですよ。僕は王位を継いだら公妾制度を設けて、平民のルナーベル先生を僕の公妾にしたいと考えていることを打ち明けたら、彼等はそれに反対したんです。まずは正妃を先に立てるべきだ、側妃を何人か召し上げて、世継ぎが出来てから、愛人を持つべきだ!……と言うんですよ。
もっともらしいことを言って、彼等は反対をしていますがね……、僕は知っているんですよ。彼等はそう言いながらも、僕より先に抜け駆けして、ルナーベル先生を囲おうと画策していた……ということを!ね、カロン先生?彼等は本当にクズでしょう?
実はね、カロン先生……。実は、宮廷医師子息の親は遠い国の悪党の親玉で、大司教子息の親は北方の国の悪い大臣で、騎士団長子息の祖父は大国から追い出された悪い大臣なんですよ。……え?どうしてそんなことを知っているかですって?それはね、ヒィー男爵令嬢の奸計に嵌まったお祖父様が病床の床で、それをわめき散らしていたのを聞いたからですよ。……あいつ等は揃いも揃ってクズな悪人達だと、悔しがっていましたよ。
お祖父様が言っていた通り、親が親なら子も子だ!……ってヤツなんですかね?王子の僕を欺こうなんて、とんだ大悪人ですよ!この国は僕のためにあるのだから、何をしようが僕は許されるのに、あんなことを言われては僕は我慢できなくて……。だから僕は、夏休み中に皆で仲良くルナーベル先生を囲おうと言って、ルナーベル先生を彼等に攫わせた後に彼等を誘拐犯に仕立てて学院を退学させて、彼等を処分しようと思っていたのに、あんなことになるなんて……。ハァ、本当についていませんでした」
弁護士協会に着くまで王子の呪詛めいた言葉は続いた。弁護士教会の前で馬車が止まり、カロンが馬車を降りるときに、王子はこう言った。
「カロン先生!僕が王になったら、お祖父様や今いる仲間や側近候補達は皆処分して、僕はあなたに貴族位を授けますから、学院にいるときのように今後も一生、僕に愛情を下さい。……もう僕にはあなたしかいないんです。どうかこれからも僕だけをずっと愛して下さい……」
王子の金色の髪から覗く碧眼は暗く濁り、怪しく弧を描いて、歪んだ思慕の情をカロンに向けて笑んでいた。
ここ最近の敵達の動きに、カロンは戸惑いを感じずにはいられなかった。
(……何だ、このグダグダな敵達の動きは?今までの用心深さが嘘だったかのように皆が皆、無防備になってしまっているなんて……)
弁護士協会で夏期休暇届を受け取り、空いている席で、それを書こうと席を探していたカロン……ナィールは、今日一日で交わした、様々な男達とのやり取りについて考えていた。
(今までならば、あんな企みを直接口にすることなんてなかったはずだ。……あんなやり取りを直接、本人が頼みに来るなんて愚かしいことはしないはずだ。以前ならば、間に二重三重にも人を置いて、誰が頼んだかもわからないように入念に警戒して、事に及んでいたはずなのに、今のあいつらには警戒心の欠片もない。
侯爵は始祖王と先祖とやらの雪辱がどうのと言い、他の若い者は皆、ルナーベル嬢を失った恨みで、手前勝手な復讐とやらに陶酔しているようだし……。それに……王子のあの視線は……何だろう?何故か俺自身の……貞操の危機を感じるのは気のせいだろうか……?
それにしてもあいつら、揃いも揃って、ルナーベル嬢を監禁し、陵辱しようとしていたなんて、何が愛だ!どいつもこいつも彼女を愛人にしようと考えるなんて、何が初恋だ!貴族の悪習に染まりきって、歪んだ欲望をさも当然のこととしているところが、ゾッとする!
本当に愛するのなら、相手の心も体も立場も、全てを大事にすべきだろうが!そういう行為はお互いの同意の意志がなければ、愛の行為とは言わない!愛と言えば、一方的で自分勝手な行為が全て許されると思うな!相手の許しがなく、無理強いするのは男女問わず、心の殺人と一緒だ!……嫌な予感を信じて、6月を待たずにルナーベル嬢を逃がしておいて本当に良かった……)
5月のお茶会で、美しく装ったルナーベルの姿を見る貴族の男達の視線に、嫌な予感を全身で感じたナィールは、カロン王が確実に”卒業パーティー”に出てくる条件……学院に”保健室の先生をしているルナーベルという名前の修道女”がいる……よりも、ルナーベルを守ることの方が大事だと思った。学院に潜んで、今までルナーベルを守ってくれていたスクイレル達にルナーベルの救出を頼み、彼等を国外へと密かに逃がすことにし、10年前のように前もって事故偽装も済ませていた自分を褒めた。
(それにしても、あんな秘密を人目を気にせずベラベラと喋って脅迫もせず、人質すら取らず、気安く頼んでくるなんて、本当にどうしたのだろう?今まで俺についていた見張りも消えているなんて……。
確かにあいつらは5月のあれで、大きすぎる痛手を負い、元気に動ける奴らが数人しかいないから、見張りに割く人員がいないというのは納得できるのだが、何だか腑に落ちない。この4月からの一連のことは、全て俺達に上手く事が運びすぎている。……何故なんだ!?もしかして俺が10年前から実行しているアレに気づいたのか!?俺の正体に気づいて、罠を貼っている?
……いや、それにしては罠が稚拙すぎる。俺がルナーベル嬢の脱出と平行して、アレを加速させて一ヶ月が過ぎているが、まだあいつらは、そのことには全く気づいていないようだし……。気づいていたら、大騒ぎになっているはずだからな。
俺が10年前からしていて、喪中や”合同法要”を利用して、さらに加速させているアレとあいつらの頼んできたことを併せて実行すれば、3月を待たずにカロン王や彼等を捕縛し、引きずり下ろすことが出来るのだが……。このまま突き進むべきか、グランの妻の予言を信じ、3月を待つべきか……)
「カロンさん。今、早馬が来て、これをと……」
考えに耽っていたナィールは、その名前を呼ばれて、ハッとして、目の前の弁護士協会の事務員を見て驚いた。
「グラン!?……いや、違う?すまない、……人違いだった」
その事務員は、ナィールの親友の若い頃の姿そっくりの青年だったので、ナィールは謝罪後も二度見してしまった。
(?誰だろう?事務次官時代のグランにそっくりだ。化粧や髪を染めて、わざと似せているのか?……いや、髪の染色も化粧もしていないようだし、グランの縁戚か?いや、グランの縁戚はグランに少しも似ていなかったし、縁戚連中は10年前のあの騒動とその後の流行病で皆、亡くなっているはずだ。あいつの亡くなった両親だって、ここまで似てはいなかったぞ。
ここまで似ている色合いはグランの娘のイヴしかいないはずだが、目の前の者は女性ではないし、それに……あの父娘のような暖かい気配がこの男からはしない。……というか、こいつは本当に生きている人間なのか?気配がまるでない……。この気配のなさは、何なんだ?セデス先生の教えを受けた俺が、気配が読めないなんて……)
カロンは表情を変えることなく、受け取った手紙の宛名を見る。
(この字は間違いなく、あいつの字だ。ということは……こいつは”銀色の妖精の守り手”の新たな上忍……なのか?)
カロンは事務員から離れて封書を開け、手紙を読む。
(……えっ?)
ナィールは手紙を手にしたまま、首を傾げる。手紙のなりすましを懸念して、ナィールとグランは、二人の子ども時代の遊びや暗号を手紙の隅に書くことにしようと決めていたので、今、手にしている手紙は正真正銘グランの書いた手紙だとわかり、ナィールはその手紙に書かれていたことを、即実行せねばと思いつつ、その手紙の最後の一文の内容に戸惑った。
(……これは一体どういう意味だ、グラン?何で俺は今からそんな場所で白いリボンなんかを拾わねばいけないんだ?)
「ナィールさん、善は急げですよ!」
「?え?」
狐につままれたような顔をしているナィールをグイグイと弁護士協会の事務所から出し、事務員はナィールの前に、旅の荷物を積んだ見事な黒馬を連れてきた。
「これはよく走る軍馬ですので、必ず間に合うはずですよ!」
「?はぁ……じゃ、行ってきます」
ナィールは彼自身の内心の混乱よりも、世界一信頼している親友の手紙を優先して、馬に飛び乗り駆け去って行った。銀髪の事務員は、ナィールの乗った馬が見えなくなると、その場から忽然と姿を消した。
※ナィールは、もちろん後宮には、その王子しか残っていないことを知っていましたが、平民の自分が、そのことを知っているのは可笑しいからと知らないフリをしていました。




