名前なき彼等とカロン(中編)
カロンは夏休みで学院生のいない学院に入り、保健室へと向かった。保健室は施錠が掛かっていたが、その前には沢山の花束やぬいぐるみ、クッキーなどが備えられていた。
「……ああ、本当に彼女は沢山の者に愛されていたのですね」
カロンが百合の花束を置いて、そう呟いた時、カツンカツンカツン……という靴音が聞こえてきた。カロンが後ろを振り向くと、そこに宮廷医師子息が立っていた。
「カロン先生も花を……?」
「ええ、彼女が随分前に事故死していたと聞いたものですから。君もですか?」
宮廷医師子息の腕には白薔薇の花束があり、彼はそっと保健室の前に置くと手を合わせ、しばし黙祷してから立ち上がった。
「カロン先生。実は聞いてほしいことがあるのです」
「何でしょう?込み入った話ならば、場所を変えましょうか?」
宮廷医師子息は生徒会室ならば、合鍵を持っているから、そこで話しましょうと言い、二人は生徒会室へと向かった。
「え?大司教がバーケック出身の偽侯爵ですって?」
カロンの驚きの声に宮廷医師子息は、人差し指を口元に押し当て、シッ、静かに!……と囁いた。
「ええ、大司教はバーケックから追い出された悪人の大臣らしいんです!最初から私はおかしいと思っていたんですよ!だって、どう見ても信仰心なんて持っていないような、下品な笑い方をするし、大体、今回の事故についても、あんな聖女のようなルナーベル先生を粗末に扱うなんて……。彼女こそ国を挙げて法要すべき聖人なのに……」
宮廷医師子息はしばらく大司教親子について愚痴った後に、カロンに言った。
「カロン先生は外国との伝手をお持ちなんですよね?バーケックの要人に連絡を取ってもらえませんか?あいつらが偽者だと証明してもらえたら、ルナーベル先生の敵討ちが出来るんです」
「……難しいですが、何とかする事は出来ます。ですが、いいのですか?大司教子息と仲が良かったのではなかったのですか?」
カロンの言葉に宮廷医師子息は、眼鏡の位置を直しながら半笑いした。
「まさか。私達は恋敵ではあったけれど、一度も彼となんて、仲が良かったことなんてありませんでしたよ。知ってましたか?あいつは父親の大司教に頼んでルナーベル先生を正式に教会の”聖女”に認定させて、教会に閉じ込めて、自分専属の愛人にするつもりだったんですよ!そんなのずるいでしょう!私だってルナーベル先生を愛人にしたかったのに!」
宮廷医師子息が帰ってから、カロンは中庭に出た。そこでは大司教子息が地に膝を立てて、祈りを捧げていた。
「そんなところで何をしているんです?服が汚れてしまいますよ」
「カロン先生……。私はルナーベル先生の気持ちになって、祈りをこの場所で捧げてみたんです。ルナーベル先生は聖堂に入るのを嫌っていましたから……」
7月に入り、中庭の花はヒマワリや朝顔などに植え替えられていた。
「私はルナーベル先生を傷つけたカロン王が憎い。でもそれ以上に今は、騎士団が憎いのです。……実はですね、カロン先生。ルナーベル先生の事故があった直後に、地元の村の者達が近くの騎士駐在所に連絡を入れていたらしいんですよ。その時に騎士団が直ぐに向かっていれば、もしかしたらルナーベル先生は助かっていたかもしれないのに……。騎士団がきちんと仕事をしないのは、騎士団の長が偽者だっただからです!騎士道精神のない破廉恥な悪人の息子が、騎士団長なんかになるから……」
「?破廉恥な悪人の息子……?」
「ああ、騎士団長の親はバッファー国の元大臣なんですよ。騎士団長子息は随分年下の姫に懸想して、国を分捕ろうとして、この国から出たナロン王の弟に阻止されて、逃げてきた重罪人の孫なんですよ!……そうだ!カロン先生はバッファー国の商会と仲が良いと聞きましたよ。お願いです、カロン先生!バッファーの要人と連絡を取れませんか?騎士団長が偽者だと証明してもらえたら、ルナーベル先生の慰霊になると思うのです!」
「……難しいですが、何とかする事は出来ます。ですが、いいのですか?騎士団長子息と仲が良かったのではなかったのですか?」
カロンの言葉に大司教子息は立ち上がり、膝についた土を落としながら半笑いした。
「まさか。私達は恋敵ではあったけれど、一度も彼となんて、仲が良かったことなんてありませんでしたよ。知ってましたか?あいつはルナーベル先生を妾にするために、夏休みに親の持って来た縁談を了承するつもりだったようなんですよ!そんなのずるいでしょう!一人で抜け駆けしようとするなんて!私だってルナーベル先生を早く愛人にしたかったのに!」
大司教子息が帰ってから、中庭にしばらく佇んでいたカロンは、武道館から歩いてくる、汗まみれの騎士団長子息と挨拶を交わした。
「今日、カロン先生が来るとわかっていたら、手合わせをお願いしたのにな……」
「剣はムシャクシャした気持ちを紛らわせるために振るものではありませんよ」
カロンがそう言うと、騎士団長子息は顔を歪ませて言った。
「さすがはカロン先生ですね。俺の気持ちをわかってくれるんですね……。俺はね、カロン先生。悲しくてやりきれなくて辛くて堪らないんです。カロン先生と同じ位に俺のことをわかってくれていたルナーベル先生が死んでしまったなんて、どうしても思えなくて……。でも今はそれ以上に、宮廷医師が憎らしくて!あいつの親が偽医者だったせいで、ルナーベル先生が死ぬことになったと思うと、どうにも怒りが収まらなくて」
「?偽医者?……どういうことですか?」
「実はですね、カロン先生。宮廷医師子息の親は医者の免許を持っていない上に、元は余所の国の荒くれ者だったらしいんですよ。まともな医師じゃなかったから、あの臭くて下品なヒィー男爵令嬢の姑息な罠に皆がかかったんです!あいつの親が偽者の医者だったから、沢山の仲間達が死んで、”合同法要”や喪中なんかになって、ルナーベル先生が死ぬことになってしまったんですよ!……そうだ、カロン先生!カロン先生は国際弁護士の資格をお持ちだと聞きましたよ!お願いですから、誰か外国の要人をここに連れてきて下さいませんか?奴らを逮捕してもらいたいんです!」
「……難しいですが、何とかする事は出来ます。ですが、いいのですか?宮廷医師子息と仲が良かったのではなかったのですか?」
カロンの言葉に騎士団長子息は右腕で顔の汗を拭いながら半笑いした。
「まさか。俺達は恋敵ではあったけれど、一度もあいつとなんて、仲が良かったことなんてありませんでしたよ。知ってましたか?あいつはルナーベル先生を自分の虜にするために怪しい媚薬の研究をしていたんですよ!畜生、せっかく俺は直ぐ結婚するならルナーベル先生を囲ってもいいと、親に了解を得ていたというのに!」
カロンはため息をつきながら校庭に出て、正門を出たところで、王子の馬車が止められているのを見つけた。
「カロン先生。良かったら、お家までお送りしますよ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて弁護士協会まで乗せていってくれますか?そこで所用があるもので」
「わかりました。どうぞお乗り下さい」
カロンは礼を言い、王子の馬車に乗せてもらった。
「これはこれは……。さすがは王子様の馬車ですね。素晴らしく座り心地が良いし、防犯も完璧そうだ」
カロンが鉄格子が嵌められた黒い馬車を褒めると、王子は微笑んだ。
「ええ!これはルナーベル先生を迎えに行くとき用にと作らせた特注品の馬車でしたから。結局乗せることは出来ませんでしたけど。……ねぇ、カロン先生。僕は最近、カロン先生と初めて会ったときのことをよく思い出すんです」
「?初めて会ったときというと三年前のことですね……」
「ええ、そうです。僕はね、カロン先生。僕は……とても孤独な子どもだったんです。後宮では母はお祖父様の側近の男といつもベッタリくっついていて、僕の相手はしてくれないし、僕はお祖父様の連れてきた家庭教師から、毎日勉強しろと言われて育ちました。
……それに僕の父は後宮に来ても母の所には一度も来なかったから……本当は僕、父と話したことは、まだ一度もないんですよ。父のことは、父の乳母をしていたという老婆が、昔少しだけ教えてくれたことしか知らないんです。……それに10年前からは父は後宮には一度も足を運ばなくなりましたし。そんな孤独だった僕に人の優しさや思いやりという愛情を示してくれたのは、あなたが初めてでした。……あなたとルナーベル先生だけが、僕に無償の愛情を与えてくれたんです!
初めて会ったとき、カロン先生は他の王子のことで、僕のことを心配してくれていたでしょう?……実はね、もう父の子どもは僕しかいないんですよ。他はもう10年前に流行った病で、僕ともう一人の子を除き、皆……神様のお庭に旅立った。それに、もう一人の子も12才の時に、後宮から抜け出して遊んでいたところを父と鉢合わせして、父の逆鱗に触れ、国外追放されてしまったんです。でも、このことは国民には伏せられた。……カロン先生は平民だから、後宮の中のことを何も知らなかったでしょう?驚きましたか?」
王子の言葉に驚いた様子のカロンを見て、王子はクスッと笑いを漏らし、嬉しそうに微笑んだ。




