名前なき彼等とカロン(前編)
「なぁ、カロン先生。頼みがあるんだ」
下町にある安い酒場で、仮面をかぶった弁護士が久しぶりに、その名前を呼ばれたことに内心驚いていたが、その驚きは弁護士が着けている黒い仮面で隠されていたので、声を掛けてきた者に知られることはなかった。その男は酒の入ったグラスをドン!と仮面をかぶったカロンの目の前に置いた。カロンは仮面越しに、その男を見た。
「おや?おかしいですね……。今はまだ7月でしょう?貴族は喪中とやらで自宅で自粛ではなかったでしょうか?」
しゃがれた声でカロンが言うと男は、フン!と鼻を鳴らせた。
「……あんな馬鹿な王が決めたことなんて、どうでもいいさ」
男が吐き捨てるようにいうのを聞いて、カロンは笑い声を立てた。
「ハハハ、まぁ……確かに。でも君がそれを言っていいのですか?今の君は学院で事務職に就いている事務員とはいえ、カロン王の取り巻き貴族の息子でしょう?将来は王の下で働くのではないのですか?」
カロンがそう言うと、男は苛立ちを隠そうともせずに、テーブルを指でコツコツコツ!と叩き始めた。
「フン!親父は親父!俺は俺さ!……・なぁ、カロン先生は闇に通じるやり手の弁護士なんだよなぁ?」
男がそう言うと、カロンは首をすくめて言った。
「……さぁ?私は胡散臭い顔の割に誠実な正義感のある真面目な弁護士と言われて、人気のある弁護士ですよ?」
「ハハハ!自分で言うかぁ?……フッ!カロン先生は肝が据わっていて、実にいい!」
「そりゃあ、ねぇ……。私も長く生きていますから、色々経験してきていますからねぇ。だからね、そろそろテーブルの下のナイフを引っ込めて、後ろの男達2人を下がらせちゃくれませんか?」
男はカロンが、男の隠し持っていたナイフや後ろで気配を殺しているはずの二人の手下のことを言い当てると片眉を上げて、口元を歪ませて笑った。
「ハハハハハ!本当にカロン先生は面白いな!さすが親父に見込まれて、剣術指南の講師をしているだけあるな!……おい、お前等、下がれ!」
男がナイフをしまい、男達を下がらせた。
「ああ、あれはね……。あれは君の父親が、たまたま私が暴漢をこらしめているところに居合わせたからですよ。こんな商売をしてると下手な逆恨みを受けることもありますから、身を守るための自衛は必要でしょう?と言ったら、今の君みたいに笑われて、講師を3年前からすることになっただけです。君も3年前から学院に勤めて始めたから知っているでしょう?……それで、今日はどうされたんです?」
カロンがそう尋ねると、目の前の男は、急に沈痛な表情になって言いよどんだ。
「ああ、実はな……。と、その前にカロン先生が驚くことを言わなきゃならないな……」
「?何でしょうか?」
「ああ、実はな……」
男が辛そうな表情で述べたことに、カロンは口元に手を当てて驚き、ガタガタン!と派手な音を立てて、席を立ちあがった。
「!?ま、まさか!そんなことって……」
「ああ、驚いて当然だよ。俺だって、これを知った時はすごく驚いたんだ。それもこれも、全部あの馬鹿な王のせいで!」
「この間まで同じ職場で働いていた人間が、事故死したなんて!……そんな……そんな……本当に?私は信じられません!それは確かな筋の情報なんですか?」
「ああ、間違いないんだ。だって俺が直々に彼女を迎えに行こうとして、わかった事実なんだからさ……。まぁ、座れよ、カロン先生。座って彼女の冥福を一緒に祈ろうぜ」
男とカロンは、しばし、その女性への黙祷を捧げた。
「……で、あなたはどうしたいのですか?」
「決まっている!仇討ちだ!彼女は……ルナーベル先生は俺の……初恋だったんだ!それなのに、あの王のせいで!だから、カロン先生だ!カロン先生は闇の連中に詳しいという噂を聞いたぞ!封鎖された国境を越えて、他国と商売をしているって噂も聞いたんだ!だから……」
男は自分の計画をカロンに打ち明けた。
「へぇ、そうなんですね。でも……いいんですか?そんなに簡単に人を信じて、このような秘密を言っても?」
「ああ、かまわないさ!別に悪巧みじゃないからな!この腐敗したへディック国を救うことになるんだからさ!カロン先生だって、隣国と戦争は嫌だろう?戦になんかなったら、商売あがったりだろう?これは正義の鉄槌さ!あの聖なる人を苦しめた報いをあの王も、他の連中も受けるべきなんだ!」
「……わかりました。でも、私の依頼料は高いですよ?それにそれをするには、確かな情報と証拠が必要です。何と言っても、相手はトゥセェック国の”氷の悪魔将軍”と呼ばれる恐ろしいイミル将軍なんですから……」
「わかっている。依頼料は成功したら、倍額出す!情報と証拠は、この封筒に……」
男はカロンに、ある封筒を渡した。カロンは封筒を受け取り、中を見る。一瞬の間の後、カロンはフゥ~とため息をついた。
「……仕方ありませんね、彼女は同僚でしたし、何より戦争なんかになれば、確かに仕事なんて出来ませんからね。わかりました、引き受けましょう」
男とカロンは、安酒で契約締結の杯を交わした。
カロンは白い百合の花束を持ち、学院に向かう途中に拉致されて、馬車に乗せられて、ある貴族の屋敷に連れ込まれ、その屋敷で一番大きな主寝室に入れられた。
「おや?こんな胡散臭い男を自分の部屋にお招きなんて、侯爵は私と親友にでもなりたかったのですか?」
手足の拘束も猿轡もされることなく、連れてこられたカロンはしゃがれた声で、そう言っておどけて見せた。主寝室で横たわる老人は、侍従や侍医に世話をされながら、荒い息で話し出した。
「ハァハァ……、フン!こんな瀕死状態の儂と親友などになったところで、どうにもならんさ……」
「ハハハ、ですよねぇ~!じゃ、私に何の用で?ああ、遺産相続の話なら、格安で相談に乗らせていただきます!30分で5000で、どうです?」
「フッ!……ハァハァ、拉致られて、そんな冗談を言えるなんてな。さすが自分の復讐を叶えるために復讐とは無関係のシーノン公爵を毒殺しただけはあるな」
老人がそう言うと、それまでふてぶてしくおどけていたカロンはピタリと黙り、老人はそれを見て、ニヤリと笑った。
「ハハハ……、図星を指されて驚いたか?……全く、カロン先生は、たいしたもんだ!クロニック侯爵が、シーノン公爵を彼が5才で貴族社会に出てきたときから狙っていたが殺せず、地団駄踏んで悔しがっていたというのに、カロン先生は彼の親友のフリをして、彼に取り入って殺したんだからな」
「……ええ、お褒めに預かり、光栄です。我ながら、良い作戦だったと思いますよ、あれは。……でも、後がいけなかった。まさか彼が毒薬の効き目が出る前に馬車に乗って行ってしまうとは思いませんでした。あれで私は彼の財産を奪えなくなってしまったんですから。詰めが甘かったと、どれだけ悔しく思ったことか!」
カロンがそう言って悔しがると、老人はイヒヒッと黄色い歯を見せて笑った。
「ああ、そう言えばそうだったな!あの時はこっちも彼に国庫の金を持ち逃げされて、とても困ったんだ。……ああ、カロン先生の存在をもっと早くに思い出すべきだったんだ。儂の周りにいるクズ達とは大違いだ!あんな悪者達じゃなく、カロン先生と組めば良かった!儂はカロン先生と同じ者さ。……同じ復讐者だよ。カロン先生は恋人を死に追いやった王を恨んでいるんだろう?儂は始祖王の血を引く王家に復讐したいのさ!」
「始祖王?どういう意味でしょうか?」
カロンが尋ねると、老人は自分はへディック国を建国した始祖王とその兄弟達に国を追い出された、彼等の異母兄弟の子孫だと打ち明けた。
「儂の一族は国を持たない流浪の民だったのだが、縁あってクロニック侯爵と知り合ってな、そこで彼が儂達の先祖のことを教えてくれたんだよ。それでわかったのさ、儂達のご先祖が、始祖王の4兄弟に国を追い出されていたということがな。……うっ!ゴホゴホ、ガハァ!!」
老人は咳き込んで、血を吐いた。侍医はこれ以上の面会は無理だと言い、カロンに退室するように促した。老人はカロンが出ようとするのを追いかけるように言った。
「ああ、お願いだ、儂はもう長くない。だが、儂はどうしても、この国の王家の血を根絶やしにしなくては死んでも死に切れんのだ!だから、お願いだ!王を儂と同じぐらい苦しませて殺してくれ!お願いだ!」
カロンが部屋を退室すると老人の身内だという男が現れて、あれは気が触れて、変な妄想に囚われているから、今回の話は聞かなかったことにしてくれと言ってきた。
「本当に困ったものです。彼の理屈を聞くならば、側妃に上がった彼の娘の生んだ王子も殺さねばならないのに、彼はあの王子は殺さなくても大丈夫だと言うんですから……」
カロンは男の話に相づちを打ち、侯爵が無理矢理連れてきた詫びだと言って、馬車を出してくれると言うので、言葉に甘えて学院まで乗せてもらうことにした。




