不幸な事故と二人のカロン
……その知らせが、へディック国の城に入ったのは7月を二日ほど過ぎてからだった。
「10年前に崖崩れを起こした場所が豪雨で地盤が緩み、6月に入る数日前に、また崖崩れが起きたそうです」
大勢の貴族が亡くなったことへの喪が開けるまで、へディック国の貴族は王都に留め置かれていたため、名前なき彼等が、彼等の初恋の女性を得るために動き出したのは、”合同法要”が終わった直後だった。王が7月末までは喪中だと決めたのに抜け駆けして、こっそり彼女を攫おうとした、名前なき彼等の仲間がいたために、それが発覚したのだ。名前なき彼等が、その崖崩れを知った時には事故処理も全て終わり、葬儀も何もかもが終わった後だった。
名前なき彼等の目には、5月のあの日の彼女の姿が色鮮やかに焼き付いていた。彼等よりも随分年上の女性だったけれど、少しも老いて見えない、若々しく美しかった彼等の初恋の女性は、彼等と別れるギリギリの時間まで、ただ彼等の健康を案じていた、とても優しくてお人好しで、恋愛感情に疎い、純粋で清らかな”保健室の先生”だった。
彼女は彼等の初恋に気づかないまま逝ってしまった。彼等も彼女が誰かを好いていたのかを知らないままだった。もしかしたら……、彼女は自分を好いていたのではないだろうかと彼等は自分勝手に想像する。年の差や身分差が無ければ……学院法さえ無ければ……彼女は自分に告白してくれていたかもしれないと彼等は甘い夢に溺れる。崖崩れの事故さえ無ければ……、喪中や合同法要さえ無ければ……、あの男爵令嬢が色々とやらかさなければ……カロン王があのような学院法さえ定めなければ……、いや彼女が王の命令で出家し、平民にさえならなければ……彼女は今頃、自分の隣で自分にだけ微笑んでくれていただろうにと彼等の身勝手な妄想は止まらない。
そんな何々だったら……、そんな何々であれば……と考えてもどうにもならないアレコレを妄想し、初恋の彼女を得ることが出来なくなった名前なき彼等は、哀しみの気持ちの強さのあまりに、それを憎しみの気持ちへと変えていった。彼等は彼女が巻き込まれた崖崩れの事故の連絡が、直ぐに入らなかったことに激怒したが、彼等の祖父や親達は、仕事を放り出して平民の修道女を攫いに行った彼等を厳しく叱り飛ばし、彼等へ主張には同意はしなかった。彼等の祖父や親達は病床の床で、その仕事が出来ないのだから、それをするのが、息子や孫である、彼等の務めだろうと怒鳴りつけた。
「馬車に乗っていたのも動かしていたのも平民なのだから、連絡がないのは当然だ!そんな年増の平民の修道女なんかどうでもいい。それよりも7月末までの喪中の役目を果たせ!」
彼等の祖父や親達は大勢の仲間を失い、自分達も病床の床から起き上がれない今、自分達の後を継ぎ、名誉や権力を、息子や孫である彼等に与えたいという祖父としての親としての愛情から、平民の年増の女にうつつを抜かすな、現実を見て、自分達の立場を守れる政略結婚をしろ!貴族位を継ぐ者としての務めを果たせ!と彼等を叱咤し続けた。
……だが、初恋を知ってしまった彼等には、その言葉は少しも彼等の心に響くものではなかった。彼等の心に響くどころか、火に油を注ぐように、彼等の気持ちを逆なでさせていくものでしかなかったのだ。
(((フン!死に損ないの強欲な親達め!お前等は権力や金しか目に入らないから、そんなことが言えるのだ!何が政略結婚だ!何が名誉だ!何が権力だ!金や権力なんて……初恋に勝てるものか!恋という美しく暖かい気持ちを知らないから俺達の心の哀しみを……苦しみを……それを失った原因の全てを憎む気持ちが理解出来ないんだ!
お前等は、あの人の高潔な魂を知らないから、そんな事が言えるのだ!あの人のように皆に暖かい気持ちを抱かせる、優しい労りの言葉をお前等が俺達にかけてくれたことなんて、一度もなかったじゃないか!いつもいつも……勉強しろ!大人になれ!今、勉強しないと将来、泣くことになるのはお前だぞ!夢なんて見るな!夢なんて追いかけるだけ無駄だ!一時の恋愛よりも一生の安泰のために恋愛に溺れず、親の言うことを聞いて、勉強でいい成績を取れ!少しでも将来の自分のためになる職を目指せ!将来の生活に有利になる者と結婚しろ!……と、面白みのない言葉ばかりで、俺達を怒るだけじゃないか!こんなにも苦しいのに、こんなにも辛く悲しいのに、何が仕事だ!
俺達の気持ちに寄り添おうとしないなんて、お前等は俺達を愛してはくれていないんだ!お前等は自分達が有利になるためだけに、子どもである俺達を言いなりにさせようとしているだけなんだろ!フン!誰がお前等等、親の言いなりになんてなるもんか!)))
名前なき彼等は、彼等の身内や彼等の親世代の仲間達に憎悪の感情を抱いた。そのことにより彼等の仲間内の亀裂は、さらに深くなり、修復不可能なものとなっていった。
5月の災禍により多くの仲間を失って、自身の身も危うくなった一番古い名前なき復讐者は、今の状況に危機感を持ち、焦る気持ちが止められなくなった。同じように初恋の女性を失い、身内の者の言葉に怒りを覚えた名前なき彼等は、激しい憎悪の気持ちを自暴自棄の復讐にぶつけようと考え、彼等も名前なき復讐者となっていった。
名前なき復讐者達は、それぞれの復讐をするための計画を立て、それをするのに必要な男を……それぞれ見つけた。
一人の男は、彼等の信頼を3年間の学院生活で勝ち取った男だった。
その男は、王に恋人を奪われた男だった。
その男は、職場の同僚を労る紳士だった。
その男は、胡散臭い風貌の割に正義感のある弁護士だった。
その男は、闇に通じる弁護士だった。
その男は、面倒見の良い剣術指南の先生だった。
その男は、外国から毒薬を手に入れたことがある男だった。
その男は、親友のふりをして、ある貴族を暗殺した男だった。
その男は、国際弁護士の資格を持つ有能な男だった。
もう一人の男は、取るに足らないつまらない男だと長い年月をかけて、彼等に信じ込ませていた男だった。
その男は、長年、彼等の傀儡だった。
その男は、下劣で下品な愚かな男だった。
その男は、愚かで享楽的で怠惰で悪政ばかりする王だった。
その男は、民のことを考えない自分勝手な王だった。
その男は、手当たり次第、女に手を出す最低な男だった。
その男は、悪魔の薬を合法化した男だった。
その男は、公爵に仕事を押しつけ、彼を死に追いやった男だった。
その男は、国の頂点に立ちながら、役立たずな男だった。
名前なき復讐者達はそれぞれの理由から、それぞれが復讐したいと思う相手に復讐するために、皆が皆、その男を利用することにした。
「なぁ、カロン先生。頼みがあるんだ」
下町にある安い酒場では、仮面をかぶった弁護士のカロンが久しぶりに、その名前を呼ばれたことに内心驚いた。その驚きは弁護士が着けている黒い仮面で隠されていたので、声を掛けてきた者にそれを知られることはなかった……。
一方……。
「我が敬愛するカロン王よ。折り入ってお話があるのですが……」
城の一番上の部屋では、ゴロンと二度寝を決め込もうとしていた(ふりをしていた)カロン王は、少しも敬愛する感情を持っていない、その取り巻き貴族から、あることを打診され、話をろくに聞いていない態を装いながらも、怪訝に思われないように気をつけながら、それを了承した……。




