※悪役志願~真実の眼のカロン⑦
カロンはルナーベルを傷つける言葉を内心で詫びつつも、出来るだけ自分が食指が萎えたのだという印象を監視役の人間に与えるために、そう見えるようにとわざと下劣な言葉を言い放った。
「うわ~!!何だ、こいつ!!男の前で、おならなんてありえないだろ!?それにその腹の音、噂通りの社交界の鳴き腹だな!どれだけ意地汚い腹なんだ、それに何食ったら、そんなに臭くなるんだよ!?」
ドン!と誰かが扉を蹴り上げた。カロンは、やっとルナーベルの助けが来た!と思い、わざと悪ぶって高圧的な言葉で大声を出した。
「誰だ!人払いを命じているはずだ!俺を誰だと思っている!」
カロンはそう言った後、泣くルナーベルの体にすばやくシーツを掛けた。
(誰でもいい、早く……早くここに来い!早く、この子を私から助け出してやってくれ!衣服に乱れはあれど、彼女の貞操は守られていると一目でわかるように調整してある!早く……この屋敷から助け出してやってくれ!)
カロンがルナーベルの処遇に悩んで、手を出そうと考えた5分後のことだった。ルナーベルを助けようとする、誰かの気配を部屋の外に感じたカロンは、逃がせるならば逃がしてやりたいと思い直したのだ。
(だって心がない相手に抱かれるのは、殺されているのと同じぐらいに残酷なことだものね……。ごめんね、いくらイミルグランとの絆が欲しかったからって、君を私の犠牲にしていいわけないのにね……)
カロンはそう思い、心の中で反省しつつ、ルナーベルの救いを待ち望んでいた。そしてカロンの願い通りに助けの声が返ってきたのだが、カロンはその声を聞いて、顔面蒼白になった。
『あなたこそ、私の大事な婚約者の姪御殿に何をされているのか?あなたが、どこの誰かは私は知りませんが、彼女は、まだ未成年で手違いでここに来たのです。彼女は私と私の婚約者と3人で仮装パーティーに行こうとして、場所を間違えただけ。すみやかに彼女を解放して下さい。
でなければ私は傷心の姪御殿を慰める愛しい婚約者のために、城の仕事を長期間休んで、傍に寄り添わねばならなくなります。城勤めの私が休むと業務が滞り、皆が困ることになります。きっと、そのことを知ったらカロン王は、大変心を痛めるでしょう。あなたは王のお怒りに触れたいのですか?』
扉の向こうから聞こえる声は、カロンの……初恋の人の声。自分の穢れた姿を一番見せたくないイミルグランだったのだ。カロンは大いに狼狽えた。今すぐに真実を言って、イミルグランに釈明したいが、ベランダには監視の目があり、それを口にすることは出来ない。……でも、これ以上に信頼できる人物が他にいるだろうか?イミルグランに彼女を託すことが出来たら、彼女の安全は確実に保証されるのだ。
(イミルグラン、よく助けに来てくれた!これで、この子は確実に助かるぞ!)
カロンは気合いを込めて、さも慌てふためいて動揺しているフリをし始めることにした。「この声!イミルグランか!?」と言った後、チラリと窓の向こうにいる監視に目をやってから、泣いているルナーベルをシーツにくるんだままベッドから引っ張り出した。そして口では如何にも狼狽えているように見せながら、ルナーベルをグイグイと扉の方に押しやり歩かせた。
「あいつがパーティー?嘘だろ?」、「イミルグランがここに入ってきて、俺だとバレたら嫌われてしまう」、「あいつが休んだら、俺が働かなきゃいけない?それはまずい!」、「いいか、けしてあいつらには、俺だと言うな!言ったら家ごと潰すぞ!」……と、大きな声を出しながら扉を開け、そこにイミルグランとアンジュリーナが並んで立っている姿を確認すると、間髪入れずにルナーベルを扉の向こうに追いやり、扉をバタンと閉めて、ガチャリ!と大きな音を立てて鍵を掛けた。カロンは世界で一番信用しているイミルグランにルナーベルを託すことが出来たことに安堵しつつ、直ぐに鼻をつまんで、ルナーベルの貞操は無事であることを伝えた。
「だ、誰がば、知らないが、ごれば事故だ!俺ば、がろんじゃない!ぞれにむずめば、まだじょじょだから、いいだろ!が、がえっでぐで!!」
『ええ、今日の所はそのようにしておきましょう。姪御殿の名誉のためにも。ただし、二度と私の婚約者と姪御殿に近づかれぬように』
扉の向こうのイミルグランの口調はいつもと同じ口調だったが、カロンはそこに彼の無言の怒りを感じた。ただでさえカロンは穢れた自分を彼に見られたことに消沈していたのだが、彼の軽蔑の視線を扉越しに感じ、自分でそう仕向けたこととは言え、彼に軽蔑されたことが悲しくて酷く落ち込み、5分前の自分を忌々しく思った。しかし、今は落ち込んだままではいられない。窓の外のベランダには監視がいるのだ。カロンは最後の仕上げとばかりにベランダの監視に向けて、声を上げ続けた。
「やっぱり、イミルグランだった!」だの、「婚約者の瞳の色の仮面、なら隣の男装の令嬢は、アンジュリーナか!せっかくの男装なのにマントが邪魔して、あの魅力的な身体のラインが見えなかった!」だの、「いやいや、ここで己の欲望のままにあの女を手に入れたら、イミルグランを失うから、それだけはしてはダメだ!」……等々とイミルグラン達が屋敷から出て馬車に乗って出ていく音が聞こえなくなるまで、カロンは愚痴を言い続けた。
後日、カロンはルナーベルと父親のルヤーズを呼び出し、ルナーベルとの側妃の婚約破棄とルナーベルの貴族位剥奪と追放……ルナーベルの修道院行きを暗に告げた。いたいけな少女に悪態や罵詈雑言を浴びせるのは良心が痛んだが、こうしないとルナーベルは自分の父であるルヤーズによって、30も年の離れた老爺の後妻に据えられる手筈となっていたので、それを回避するには、こうするしかなかったのだ。
(こんなにひどいことを言って、ごめんね……。出会い方が違っていたら、私と君は同じ者を恋した者同士で、きっといい友達となれただろうにね……。どうかこんな愚王の私の言葉を真には受けないでおくれ。こんな男の言葉でなんか、君は傷つく必要はないんだよ。君はとても素敵な優しい女の子なんだ。貴族社会で傷ついた君の心が修道院で癒やされることを、私は願っているからね。ルナーベル嬢、本当にごめんね)
カロンはイミルグランにも、もう1人の少女にも、カロンがどう思われているかを知るのが怖くなり、この一件以降、イミルグランを”真実の眼”で視ることが出来なくなってしまった。
へディック国の国王の住む城よりも格段に小さい屋敷だけど、国中で一番美しい白亜の屋敷で結婚披露宴が行われている。カロンの初恋の人は、今日ここで結婚式を挙げた。カロンは来賓席で、今日の宴の新郎新婦を見る。
(なんて似合いの美男美女だろうか。イミルグランが月の女神なら、アンジュリーナは太陽の男神だな……)
と思った一瞬後、カロンはそう思った自分に驚愕した。
(こ、こんなことがあっていいのか?こんな……!?)
カロンは久しぶりにイミルグランを”真実の眼”で視ていたのだが、そこに移る光景にカロンはただ驚くしかなかった。
(……なんて似合いの黒髪黒目の美男美女だろうか……)
カロンは潤む瞳を誤魔化し、酒を飲む手を早める。早く酔ったふりをして、号泣したかったのだ。カロンの初恋の人には、運命の相手がいたのだ。イミルグランの妻となったアンジュリーナが、そうだったのだ。
(イミルグランと同じ黒髪黒目の男性だ!イミルグランの他にも、体と魂が別人の者がいただなんて!?しかもそれがアンジュリーナだったなんて……。アンジュリーナのもう1人の顔は、軽薄そうな見た目の男前だが、彼女のことを真実、愛しているのが私にはわかる!……ああっ!何て言うことだ!二人は運命の番だったのか!)
どうして目の前の二人の魂と体の性別が逆になってしまったのかはわからないが、二人の魂はピタリと寄り添っていた。カロンは酒に酔った振りをして号泣して、二人の結婚を祝した。
いつも不機嫌そうに見えるイミルグランの顔が、新婦のアンジュリーナを見つめるときだけ、その眉間の皺が消え、絶世の美青年の容貌を持つ、新郎となっていた。この男性の横に立てるのは、よほどの美女でなければならないと、客はうっとりと彼を見て、アンジュリーナでよかったと笑い合った。カロンもそう思った。
彼女の魂に相応しいのは彼の魂しかいない。彼女の魂が入ったイミルグランには、彼の魂が入ったアンジュリーナしかいない。外見も中身も二人は美しく、優しい心も同じだった。
「おめでとう、イミルグラン!幸せになれ!」
酔っ払い特有の大声を装い、心からの言葉を贈る。イミルグランは眉間の皺のない、絶世の美青年の笑顔をカロンに見せて、礼を言ってくれた。イミルグランの魂の彼女も眉間の皺を消して、嬉しそうにアンジュリーナの魂の彼の傍で微笑んでいる。
(良かった、イミルグランも彼女も幸せそうだ!)
カロンは二人の姿をもう一度視て、目に焼き付けた後に席を立ち、会場を後にした。カロンの初恋の人は、カロンの運命の人ではなかったけれど……、カロンは幸せだと思った。
(大好きなイミルグランの幸せが永遠に続きますように……。私の大好きな彼女の幸せが永遠に続きますように……)
切なかったが、世界で一番大好きだった人の幸せを見届けて、どこかホッとしていたカロンは、その4年後、その人を永遠に失ってしまった。自分自身の手に寄って……。




