シーノン公爵夫人に起きた奇跡②
女性が男性を身の内に初めて受け入れるのって合意でも、かなり怖いし、きついし、すっごくすっごく痛いものなんだな……と前世で男だった俺は、夫婦の営みを中断させたベッドの上で、しょんぼりしているシーノン公爵を見ながら考えていた。
政略結婚で愛情なんてないってのはわかりきっているし、初対面の男に身を預けるってだけでも怖いことなのに、ものすごく男が余裕ない感じでアタフタしているのは、夫の言いなりにするように教えられている妻にとっては不安しか感じないだろう。俺には前世の記憶があるため、今世では処女だったが、ある意味耳年増に等しい状態だったから、シーノン公爵の初心すぎる手管に首をかしげたくなった。
シーノン公爵、あなた公爵様だろ?貴族教育で閨の勉強も教わったはずじゃないのか?何だって、そう余裕ない感じなんだ?前世の俺より超イケてるから、女なんか選り取り見取りだっただろうに、どうして女の扱いに慣れてないんだよ?それじゃまるで童て……?え、俺の予想通りだって?嘘!?ええ~、マジかよ~!!何でだよ?……え?政略結婚とはいえ俺という婚約者がいるから、愛人も恋人も持とうと考えたこともなかったって?……あなたは真面目か!?
じゃ、娼館は?俺の兄達が行ったという話を聞いたことがあるぞ?あなたも男だし、行かなかったのか?……え?行く必要を感じたことが一度もなかったって?嘘だろ、それ。ほら、自分の体を見てみろよ。そんなにも自己主張するほど、体は俺を求めているじゃないか。そんな状態になる欲求を今まで感じたことがないなんて嘘を言わなくてもいいよ。俺、男の生理的欲求はよく理解出来……え?頭が痛くなる気のせいと仕事が忙しかったから、そういう欲求を感じたことが本当に今まで一度もなかったって?……仕事中毒か!!
……ハァ、俺の立場を考えて、愛人や恋人を作らなかったのはありがたいけどさ、正直、あなたとの行為、痛いだけで辛いんだよ。長身の体に似合った凶器を持つと自覚して、取りあえず、その手の本を読み直すか、娼館で痛くないやり方を実地で教わってきてほしいんだけど。……何で、そこで傷ついた乙女の顔になってるんだよ。え?俺以外の女性を抱きたくない?痛いんだから、仕方ないだ……あっ!いいこと思いついた!よし!決めた!俺があなたを抱こう!何、俺はちょっとばかり耳年増なんだ!その知識を生かせば、きっと上手くいくはずだ!
……泣くなよ、ほら、上手く出来たじゃないか。俺とあなた、相性ピッタリだったし、無事に夫婦になれたんだから、そう落ち込まない……そう怯えないで。ごめん、もう襲わないからさ……。
俺は心の声を可憐な美女の令嬢らしい言葉遣い、仕草、行動で全てコーティングして何とか、こんな内容の濃密な新婚初夜を過ごしたんだけど……、次の日から、夫婦の寝室は別れることになったのは自業自得のことだった。
氷の公爵様が、社交界の紅薔薇を見る度に怯えるのを感じる度に、俺は……男としての罪悪感を感じた。すまないなぁ、せっかく誠意を持って妻に迎えてくれたのにお前の奥さんになった女は前世では男だったんだ。お互い気まずい新婚初夜だったが、たった一晩で身ごもった俺を優しく労う彼に、ひたすら心の中で詫び続け……妊娠、出産を体験した俺は、もうずっと心の中で謝っていた。
マジもう無理!!すみません!ホントに謝るから許して下さい!あかん!これ、マジあかんヤツ!!何なの!この腹の膨張具合、マジ未知との遭遇なんですけど!中から蹴られているって、こんなに奇妙な感じなの!?トイレも近いし、足もむくむし、一日中しんどいぞ!食べてないと気持ち悪いし、食べても気持ち悪いし、俺はどうしたらいいんだよ!?
パンの匂いも肉の匂いも気持ち悪い!つわりって、こんなに苦しいの!?もう腹の中は空っぽなのに、気持ち悪くてたまらない!後、腰がすっごく痛い!痛いし、眠い!苛々する!後、なんか無茶苦茶泣きたくなる……。
そりゃ、彼女も俺にクッションやらぬいぐるみやら投げつけて当然だよ!!前世の俺!お前、妊娠中は抱けないからって、外でダチと酒なんか飲んでないで、早く家帰って家事をして、彼女の腰をさすってやれよ!!……シーノン公爵を見習えよ!毎日残業で夜遅いのに、俺の様子を伺いに来るんだぞ!!俺が苦しんでいたら、俺より痛そうな表情で俺の腰をさすってくれるんだぜ!!マジつわりしんどいから!!妊娠大変だから!
俺は公爵家に嫁いで驚いたんだけど、シーノン公爵は事務次官のはずなのに、仕事で毎日本当に遅いから、俺は恋人や愛人の存在を疑って、執事と実家の父と兄を問い詰めた。だって妻が妊娠中の浮気って、多いって聞いたからな。俺はチャラ男だったが彼女と会ってからは、彼女にしか勃たなくなったから、それはなかったけど。3人から彼の仕事内容を聞いた俺は……え?俺、王様に嫁いだの?と、マジ驚いた。
カロン王がまだ王子時代からシーノン公爵は補佐の仕事を任されていて、王就任後は王の執政の失敗の尻ぬぐいを任され、ついには王がしなければならない執政のほとんどを押しつけられているって話だった。そりゃ、結婚前に俺に会いに来られないわけだ。不機嫌顔に目の下に隈まで出来るはずだよ。それに道理で屋敷で茶会やパーティーを開かないはずだよ。休みまでそんなことしてたら、シーノン公爵が過労死してしまうよ、絶対!……何だろう、前世の社畜なサラリーマンを見ているような気分になってきた。そうだよ、この人、すっごく生真面目だし、……それにすっごく優しい。
グワ~!!痛い痛い痛い!!陣痛、激痛じゃん!!何だ、これ??腹も腰も割れちゃいそうに痛いんですけど!?何なの!俺、このまま死んじゃうの!?……え?まだ産まれそうにないから、階段を上り下りしろって!?何の冗談!?何で腹痛いのに2時間も階段を行ったり来たりさせられてるの、俺?もう、何の罰ゲームなんだよ!……え?まだ子宮口開いてないから、力むなって?無理無理無理!産婆さん、無理だって、それ!超痛いんだよ!?何とかしてくれよ!!
うわっ!!力んでいいって言われたけど、超痛くって、力めない!痛い痛い、アソコ避けるんじゃないか?子どもの頭が見えてきたって!?力みが弱いからって、産婆さんが腹を押してきた!痛い痛い痛い!もう、どうにでもしてくれ!!……前世の俺!!出産って、ものすっごく痛いんだぞ!不安で怖くて、痛くってたまんないのに、何でお前、男の役目はないからってパチンコに行ったんだよ!!何で唯一本気で惚れた彼女が、苦しんでるのに傍についてて励ましてやんなかったんだ!!
シーノン公爵を見習えよ!眉間の皺をさらに深くさせて陣痛で苦しむ俺の腰をさすって、俺の額の汗をぬぐってくれてるんだぞ!!愛情なんて欠片もない政略結婚の相手だったのに!初夜で思いっきり彼を怖がらせた妻なのに!こういうことが出来る男なんだぞ!お前も、ちょっとは見習えよ!!
そうやって俺は、前世の俺を罵りながら、イヴリンを出産した。俺の娘で、俺の天使。なんて可愛い!前世の記憶のある俺にとって二人目の娘。なのに俺はシーノン公爵からもイヴリンからも逃げた。貴族の子育ては全て乳母任せなのが貴族の常識なのを、これ幸いと俺は公爵邸に帰らぬ日々を送るようになった。
だっていたたまれないんだから仕方ないだろう。鼻水やら涎やらその他諸々見られちゃいけない色んなモノをシーノン公爵に見せまくったし、普段の完璧な貴婦人の仮面が剥がれた俺は中身の俺の口調のまま罵詈雑言を叫んで出産してしまったのだから。なのに俺に対して、子どもを産んでくれてありがとうと、出産の労いを優しく口にする彼に、俺は男として負けた気がしたんだ。……俺は女だったけどな!
こうして俺は毎日シーノン公爵と子どもを放ったらかしで茶会やパーティーや慰問などの社交へ毎日出かけるようになり……自分は最低最悪な妻で母親だと自己嫌悪する日々を毎日送るようになっていた。
アンジュリーナは最低な男の人でしたが、今世では凄く猛省しています。