ミグシリアスが出会った天使(後編)
不機嫌で冷酷な鉄仮面の氷の公爵様は誰よりも優しくて、暖かな心を持つ人だった。黒髪黒目の俺を魔性の者と嫌うこともなく、俺を息子にと暖かく迎えてくれたシーノン公爵。あなたは実子のイヴリンに向ける眉間の皺がない笑顔を俺にも見せてくれて、俺の黒髪を撫でてくれた。
氷の公爵様の神様の子どもは明るくて優しくて、素直で努力家で可愛い女の子だった。『ミグシリアスお義兄様』と可愛い声で呼んでくれて、俺をとても慕ってくれる小さくて可愛いイヴリン。君は暗闇の中にいる俺を明るく綺麗で暖かい場所……つまり君の隣にいることを許してくれて、俺を全身全霊で信頼してくれる。俺にとっての全ての願いは君であり、君は俺の銀色の天使、俺の小さな銀の光、俺の癒やしの女神だ。
だから俺は優しく暖かな親子を守るためなら……悪魔にだって勝ってみせる!
シーノン公爵家の正式な跡取りとしてお披露目されるのは、イヴリンの5才の誕生パーティーの日に決まった俺はある日、カロンに呼び出されて、街で流行のカフェに向かうことになった。シーノン公爵邸で生活するようになった俺はセデスやマーサ達に渡される、普段着の絹の洋服に身を包んだまま、公爵家の馬車でそこへ出向いた。
仮面もつけていなければ茶色のローブも着ていない俺に、カフェの店員は一瞬の間、止まったが直ぐに何でも無いふうに取り繕い、俺に恭しく一礼するとカフェの特等席にいるカロンの所へ案内した。カロンも今日は仮面もつけず、茶色のローブも着ていなかった。カロンは、一目でオートクチュールだと分かる一流のスーツに身を包み、ピカピカに磨かれた弁護士バッチを煌めかせて、片手を上げて俺に挨拶し、席に座るようにと促した。
「な、俺の言った通りだったろ!きちんと身なりを整えて、貴族然としている俺達を誰も蔑んだり、突き飛ばしたり、石投げたりなんかしないだろう?世間は権力と金さえあれば、大抵のことは何とかなるのさ!」
大きなホットケーキを3段重ねた上に生クリームが波打ち、チョコレートシロップがこれでもかとかけられている、見ているだけで胸焼けしそうな、それにカロンはさらにメープルシロップをたっぷりとかけながら、俺にどや顔で話しかけてきた。見ているだけで気分が悪くなった俺は、さりげなく彼から視線をそらせた。
「早く用件を言えよ。イヴリンが微熱で寝込んでいるんだ。また俺が剥いた林檎を食べたいって、強請るに決まっているんだから、早く帰ってやらないといけないんだ」
「へぇ~、懐いているようだね。仲良くなって何よりだよ」
「っ!?べ、別に懐いてもらって嬉しいとか思ってないからな、俺は!仲良くなってイヴリンにすごく好かれて嬉しいなんて、ちっとも思ってないんだからな、俺は!イヴリンは特別可愛い……特別わがままな……お嬢様なんだ!だってさ、俺が傍にいないと『さびしいです』……って、すっごく可愛い顔で泣いちゃうから俺はすごく嬉し……困ってるんだよ!それに直ぐに『ミグシリアスお義兄様、大好きです!』と言って、ニコニコ天使の可愛い笑顔で俺に真っ直ぐ抱きついてくるし、雷が鳴った日は俺と公爵と3人で寝ると言って、2人で枕を抱えて公爵の寝室に突撃かけようと可愛い寝間着姿で俺を誘いに来るから、俺はもの凄く幸せ……よ、弱っているんだよ!
この間だって食事の時間に俺と公爵の間に座りたいと言って、自分で椅子を運ぼうとして、ひっくり返って転んでしまって、照れ笑いしてさ、……それがすっごくすっごく可愛かったし、『ミグシリアスお義兄様の黒髪はサラサラして、とてもさわり心地がよくって、私はすごく大好きです!』って、あの可愛い小さな手で俺の黒髪を触りたがるし、病気の時は俺が剥いたウサギさんの林檎じゃないと嫌だと言うしさ!……だ、ダンスの時間だって、俺の相手は自分だって部屋に入ってくるんだぜ!イヴリンと踊っている時、イヴリンの透き通る青い瞳に俺しか移っていないんだぜ!あの小さくて可愛いイヴリンの目に俺しか映っていないんだぜ!ホント、嬉し……困ったもんだよ!」
「……ふ~ん?ミグシリアス。お前、シーノン公爵に似てきたね」
「え!?どこがだよ?」
「言っている台詞と表情がチグハグだよ?嫌そうに言っているつもりなんだろうけれど、お前、すっごくにやけている自覚ある?……っていうか、お前のそれ、悪口じゃなくって、ツンデレデレな義兄が溺愛している義妹との日常のことを、のろけてるふうにしか聞こえないぞ?」
俺はパッと口元を手で覆った。カロンはメープルシロップで溺れているホットケーキを一口、口に放り込んで、「うわぁ~、激甘だねぇ」としかめっ面になった。
「当然だろ、そんなに滴り落ちるくらいのシロップなんて……」
呆れる俺に半眼の表情を向けて、カロンは言った。
「いや、ケーキじゃなくて、お前のこと。イヴリン嬢にお前は甘やかされているって話さ。……これは予定を変更しなきゃいけないかな……」
そう言ってカロンは俺を公爵邸に送り込んだ、本当の目的を話し始めた。俺は目の前のスイーツを一口も口に付けずに帰った。……ただ、その店の一番人気のプリンだけは屋敷の人数分を記憶の無いまま、買って帰っていたことに気づいたのは、屋敷の玄関を入ってからだった。
その日、俺の剥いた林檎と俺の土産のプリンを食べて熱が下がったイヴリンは、また雷が怖いからと俺の寝床に入ってきた。シーノン公爵はまだ仕事で帰ってきていない。眠る幼い手が俺の黒髪を無意識に撫でてくる。イヴリンもシーノン公爵と同じで、俺の黒髪黒目を怖がらない。……というか、イヴリンは殊の外、俺の黒髪黒目がお気に入りらしい。
誰にも内緒だが、イヴリンの心の中の友達のアイも黒髪黒目の女性なのだとイヴリンが教えてくれた。だからなのかイヴリンはいつもまっすぐに俺を見てくるし、何故かわからないけど、懐かしいものを見て触っているかのように、いつも愛しそうに俺の黒髪に触れてくる。
暗闇の中、俺の部屋の天井裏には、透明の液体が入ったガラス瓶が一つ。無味無臭のそれを一滴。……それだけで何の苦痛も感じないまま、シーノン公爵は眠るように息を引き取る。渡されたそれは、とても良心的な毒だとカロンは言った。
『シーノン公爵は貴族の中で一番生真面目で優秀な人物だ。俺は彼には何も思うところはないし、俺だって本当は、こんなことは……したくない。ただ……俺の計画に彼は……邪魔なんだ。だから何も悪くない彼のために、苦労して一つ隣国をまたいだ医療が進んだ大国から、この毒薬を手に入れたんだ』
カロンは世間話をするように普段の口調で、話していく。
『イヴリン嬢の5才の誕生パーティー後、お前は正式にシーノン公爵の養子と貴族名簿に登録される。後は折りを見て、彼にそれをたった一滴、飲ませてくれたらいい。シーノン公爵は奥方と離縁されたんだろう?随分気難しい顔をされていたし、精神的にだいぶ落ち込んでいるだろうから、心臓発作か自殺と思われるだろうさ。……何、無味無臭で即効性はあるものの、体には毒は残らないっていう優れものだから、誰もお前を疑わないさ。
……本当はイヴリン嬢にも服用してもらって無理心中を偽装してもらいたかったんだが、お前は彼女を気に入っているようだしさ……。まぁ、女は公爵位を継げないから生かしていてもいいかなって……計画変更してあげたんだぞ!俺って優しい男だろ、ミグシリアス。……あっ!良いこと思いついた!
王はシーノン公爵との強い繋がりを求めている。自分の仕事をもっとさせて、今以上に楽をしたいそうだ。5才になって貴族名簿に登録されたイヴリン嬢に、自分の後宮にいる複数の同じ年の息子達の中から気に入ったのを選ばせて、その王子を第一王太子にしてイヴリン嬢を婚約者にしようと、シーノン公爵には内緒で秘密裏に根回しを始めたらしい。それを実現させてやろう!
イヴリン嬢を王子殿下の婚約者にしよう!シーノン公爵家は王家と遠縁だから家柄も釣り合うし、王子殿下達は皆、彼女より2才年上だからちょうどいい!どの王子も金髪碧眼で、あの王にそっくりの容姿だと聞いたぞ。金髪碧眼の美少年に銀髪青い目の美少女は、きっと絵に描いたように美しいと持て囃されるぞ!彼女が婚約者になったら俺の計画もやりやすくなるし、完璧だ!!
おっと、婚約者に決まるまではシーノン公爵に生きていてもらわないといけないから、お前、それを飲ませるのは当分延期だから、忘れんなよ!俺も顧問弁護士としてパーティーに招待されているし、王子達も特別に出席してくるらしいから、扱いやすそうな王子をイヴリン嬢に選んでもらえるように下調べをしておくか』
カロンの言葉が何度もこだまのように響いて渦巻く。父親に母親ごと捨てられた俺。母親に愛してもらえなかった俺。誰からも嫌われていた、魔性の者の俺。カロンに悪事の片棒を担がされていた俺。
そんな俺を息子にと望んでくれたシーノン公爵。俺を暖かく包み、優しさや親としての愛を惜しまず与えてくれた彼を……殺す?そんなこと……出来ないし、したくない!こんな俺を兄として慕ってくれるイヴリン。とても可愛いくて優しいイヴリンをカロンの計画のために……他の男と婚約させる?そんなのは……絶対に嫌だ!俺はイヴリンといつまでも一緒にいたい!
眠れないと思っていたのに、イヴリンの暖かさにつられて眠ったようだと気づいたのは夜半、隣にイヴリンがいないと気づいたからだった。
(イヴリンの寝相はとてもいいはずなのに、ベッドから落ちちゃったのかな?)
慌ててベッドの端から床を見てイヴリンを探した俺は、屋敷のシーノン公爵の部屋の方からイヴリンの気配を感じた。
(ああ、イヴリンは父様が大好きだから、きっと会いにいったんだな……)
そう思って、シーノン公爵の部屋を訪れて、彼と二人で、あのイヴリンの告白を聞いた。片頭痛で、公爵令嬢が出来ないから、家を出る?公爵と俺のためにイヴリンが遠くへ行ってしまう?俺の傍からイヴリンが……いなくなる?
次の日、また熱を出して頭痛で苦しむイヴリンの額に置かれた濡らした布を冷たい布に取り替えながら、俺は決意する。
これからの俺は、2人の守り手。二人のためなら、君のためなら……俺は!!