ピュアとジェレミーと五月雨と
ジェレミーは教会の大衆劇を観ながら、隣で握り拳を握りしめて、必死になって大衆劇の主人公を応援しているピュアが、可愛らしくて仕方なかった。
(本当にこの4月から、お嬢様はいい表情をされるようになった……。それもこれも全てイヴ様のおかげ……)
ピュアは奇病のせいで10才から貴族の社会から追い出されたと落ち込んでいたが、ジェレミーはピュアは奇病のおかげで、王弟殿下の毒牙からも、貴族社会からもピュアの身を守ることが出来たのだと思えてならなかった。
ピュアは5才になるまで、とても天真爛漫でお転婆な少女だった。ジェレミーは傍仕えとして乳母と一緒にピュアのお世話をしていて、好奇心一杯でよく笑うピュアがとても可愛らしくて、自分に妹がいれば、こんなふうに思うのだろうかと思うほど、彼女を可愛がった。だから5才から貴族教育や淑女教育が始まり、段々ピュアの可愛い笑顔が、心を読めないような硬い笑顔へと変わっていくのが可哀想でならなかったのだ。
なのでピュアが10才から奇病のおかげで社交界を離れられて、内心嬉しかったのだが、王弟殿下と貴族達は、幼いピュアの心に目に見えぬ深い傷を5年にも渡って負わせ続けたせいで、ピュアはジェレミー以外の人の目が怖くなり、めったに笑わない少女になってしまった。王弟殿下が捕まって、怒れる民により国は大混乱となり、ピュアはこの学院に来たがここでも自然に笑えなかった。
(もしかしたらイヴ様は……神の使いの銀色の妖精がお嬢様のために遣わせてくれた人なのかもしれませんね。だって、お嬢様をこんなにも心から笑えるようにしてくださったのですから……。このジェレミー、お嬢様を救って下さったご恩はけして忘れません!必ずやご恩に報いてみせましょう!)
ジェレミーは決意を新たに心に誓い、再び大衆劇に目を向けた。5月の教会の大衆劇は推理物だった。
父の死で故郷に戻ることになった、留学していた銀髪の青年が、父の遺品を整理していたら、それらが暗号になっていることに気づく。不思議に思い、暗号を解いているうちに父は病死では無いことを知った青年の身の回りにも、何者かの魔の手が忍び寄り、彼や彼の恋人にも危険が襲いかかってくる……という話で、隣に座るピュアの表情には、ドキドキハラハラ感が堪らないと書いてあるようでジェレミーは苦笑を押し隠した。平民クラスの彼等にも人気があったが、観客は立ち見も出ていたので、きっとこれからも平民達の髪は銀色が続くのだろうと思った。
『全ての謎はへディック国の城の大聖堂の中にある』という台詞で大衆劇は終わった。民達は、実際にその場所は立ち入り禁止となっているらしいと伝え聞いたことがあるので、とても現実感があり、あの中には、一体何があるのだろうと話し、盛り上がっていた。
「私、大聖堂の中に何があるのか、気になって仕方ありませんわ!ああ!あれで終わりだなんて、あんまりです!」
定食屋で親子丼が来るのを待ちながら、ピュアは興奮気味に大衆劇の感想を話していた。
「そうですね。あれは見終わった後の観客の想像力をかき立てるための終わり方で、最近の流行だそうですよ」
ジェレミーはプックリ膨れたピュアの顔に苦笑を隠さず言った。
「まぁ、そうなんですの?劇の青年は、危険から恋人を守るために、わざと嫌いになったふりをして、彼女を国外に逃がしていましたわね。彼女のほうもそれに気づいていて、彼が安心して、父親の死の真相を突き止めるためにわざと嫌いになったふりをして……切なくて可哀想でした。彼女は彼の子を身ごもっていましたのに……」
二人がそう話しているところへ、店員が親子丼を運んできた。ピュアとジェレミーは店員に礼を言った後、親子丼を食べ始めた。
「美味しいですね、ジェレミー!この卵がトロトロなのがたまりませんわ!お出汁の味も甘くて沁みます!」
「ええ、美味しいですね。……これ鶏肉は、もも肉ですね。うん、黄色い脂肪のところの処理が丁寧にされていて、余計な雑味もなく、きちんと筋切りもされていて、とても食べやすいです!」
「……ジェレミー、何だかあなた、寮のリーさん達みたいなことを言うようになってきたわね」
「?そうですか?そうかもしれませんね。ここに来て、お嬢様のお食事を作るために色々勉強して、リーさんとカインさん達には、庶民の定食屋を開ける腕前と、この間免許皆伝をもらったところなんです」
「すごいですわ!ジェレミー、これなら私が修道院に行くときに離れることになっても、ジェレミーは手に職があるから、一安心ですわよね!」
ジェレミーはピュアの言葉に、箸が止まった。
「お嬢様。まだ修道院を諦めてないんですか?」
ピュアはジェレミーのいつもとは違う顔つきに、ジェレミーと同じように箸を止めて答えた。
「だって私はもう18才よ?自国の同じ年の貴族女性なら、子どもの一人や二人産んでいてもおかしくない、行かず後家なのよ?……私は、こんなだから縁談は来ないし、来てもまた発疹が出るから、貴族の男性とは添い遂げられないもの……」
さびしげなピュアの微笑みを見て、ジェレミーは言った。
「あの……お嬢様?なら貴族ではない私と……。私と一緒に「あ!イヴさんだわ!」……え?」
ジェレミーはピュアに言葉を遮られ、ピュアが見ている方向を同じように見た。店内は銀髪の者ばかりだったので今まで気づかなかったが、確かに店の奥にイヴとミグシスがいて、二人も親子丼を美味しそうに食べていた。
「変ね、今日は一日公園デートだって言ってたのに?」
「そうでしたね。……あ、もしかしたら、またイヴ様が片頭痛を起こされたのではないでしょうか?」
ジェレミーはミグシスの表情を見て、そう察した。
(あの顔は番を守る獣の顔つきそのものだ……。けして目の前の恋人には悟られないようにしながら、店内の男どもを威嚇している!……恐ろしい人だ)
ジェレミーは無言になったピュアに気づいて、首を傾げる。ピュアはイヴ達を見て、頬を染めていた。
「?お嬢様、どうされました?……ま、まさかミグシスさんのことが?……残念ですがお嬢様、ミグシスさんのハートはもう「違うわよ!!」……」
ジェレミーの発言に眉間に皺を深くしながら、はっきりとピュアは否定した。
「違うわよ!誰があんな怖い狼を好きになるもんですか!確かに彼の見目はいいですわよ!……でもね、あっ!ちょうどいいのが来ましたわ!ほら、ジェレミー!あれを見て。そしたら、すぐわかるから!
今、店に入ってきた女性達の視線を、あの男は一瞬で奪っているでしょ?彼は見目が美しいから。でもね、ほら1分も経たない内に……。ほら!見なさい!あの狼の強烈な威嚇の顔!ホント怖い!そして3分も経たない内に、二人のいちゃつきを見た女性達の顔が皆、うぜぇ~!って、なっているでしょ!あの男、イヴさん以外の女は、本当にどうでもいいのよ!」
ピュアにそう指摘されて、ジェレミーはもう一度、よく見てみた。
(本当だ……。男だけではなく女にも威嚇してる。あんな容赦の無い視線で威嚇して……。ああ、自分の見目だけに惹かれてくる女は、もしかしたらイヴ様を傷つける恐れがあるから、女達にも牽制をしているんだ。本当に何者からもイヴ様を守り、奪わせないと決めているんだ、あの人は……)
イヴとミグシスは食べ終わったようで、先に店を出て行った。威嚇を放ちっぱなしの狼がいなくなったので、店内に居る客達は、フウ~と深く息を吐いて、さっきの男、すっごく怖かったね……と小声で話し始め出した。
「……じゃ、何で頬を染めて、イヴ様達を見ていらしたんですか?」
「だって、あんなに可愛く笑うイヴさん、可愛すぎて目が離せませんわ!私の初めてのお友達が幸せそうにしているんですもの!すっごく嬉しかったんですの!フフフ、お友達が幸せだと私もとても幸せですもの!それに恋人とデート……いいなぁって、少しだけ思ったんですの!私は貴族なのに、おかしいですわよね?貴族が恋愛なんて……。そんなの羨ましがっちゃいけないのに……」
「そんなことはないですよ。だってピュア様は女の子です。貴族・民関係なく人間なんですから恋をしますし、憧れるのも自然なことですよ」
「そう?私……恋したいって思ってもいいの?」
「……ええ、もちろんです。恋してもいいです。……さぁ、残りを食べましょう、ピュア様」
ピュアとジェレミーは残りを食べた後、支払いを済ませ、店を出て、ピュアは空を見上げて言った。
「曇ってる……。これ、イヴさんが頭が痛くなるヤツですわ!ああ、だから予定が変更に!!やっぱりジェレミーの言った通りね!」
「ええ、そうですね。きっと彼らは先に学院に戻っているんでしょう。私達は、この後をどうしましょうか?」
ジェレミーのこの問いに、ピュアは赤面した。
(?)
「?どうされましたか?」
「あ、あの、ジェレミー!私、公園に行ってみたい!……ダメ?……かしら?」
「いえ、大丈っ!?」
ピュアはジェレミーが言い終わらないうちに、ジェレミーの腕に自分の腕を絡ませた。
「お、お嬢……さ……ま?」
下町を歩くため、今日の二人は変装をしていた。今日のピュアは薄紫色の飾りのない平民の女性がよく着るようなワンピースを着ていて、ジェレミーは11年ぶりに本来の傍仕えの姿に戻っていた。戸惑うジェレミーの腕を引き、観光馬車を待つ停留所までピュアは無言で歩いた。停留所には誰もいず、道行く人々はピュア達など見てはいなかった。そこまで着くと、ピュアはジェレミーを見上げて言った。
「だって……いいと言いましたもの」
ピュアの瞳はジェレミーを見上げながら、潤み始めた。
「お、お嬢様……」
「私には昔からジェレミーだけでしたわ。私の一番傍にいるために傍仕えから侍女になってくれたあなただけが、私の心の支えでした……。私は恋するなら……相手はあなたがいいです、ジェレミー。昔みたいに私を……名前で呼んで下さい」
「……本当に?本当に私で……僕でいいんですか?僕は貴族ではない、ただの捨て子ですが、それでも僕を選んでくれるのですか?小さな頃のあなたは天真爛漫で可愛らしい、妹のように愛らしい少女でした。そして大人になったあなたは、誰かの幸福を自分の事のように喜べる、純粋な優しい女性で僕にとっては誰よりも愛しい女性でした。僕は昔も今も……あなただけをお慕いしていました。
あなたが僕を好いてくれるのなら、僕はもう我慢しませんよ。あなたが僕を選ぶというなら、僕はもうあなたをけっして逃がしてはあげませんよ。イヴ様にとってのミグシスさんよりも長い時間……、この18年間、僕はあなただけを見てたのだから……。最初は妹のように。今では生涯にただ一人の女性として。本当に……僕でいいんですね?」
「はい、ジェレミー。好きです……大好きなの。私はジェレミーがいいの。愛してる、ジェレミー」
「僕もあなただけを愛しています……ピュア」
停留所で抱き合う二人を隠すように、雨が降り出した。五月雨は両想いだった二人のキスを道行く人々から、隠すように小一時間だけ降った。




