ミグシリアスが出会った天使(中編)
君は気づいているだろうか?君が俺の黒髪を撫でる度に君は俺を浄化していくことを。君が俺に笑いかける度に俺の中は君でいっぱいになることを。君に手をつながれる度に俺と離れないでと俺が切に願っていることを。だから俺は君をけっして逃がさない……。
公爵家の養子争奪戦……とでも名付けるべき二次試験は何と10日間にも渡ってシーノン公爵邸で行われるという話だった。胡散臭い男だが仕事が出来るカロンは俺の了承を待たずに、俺の履歴書をすでに先方に送りつけていたといい、書類審査も通過しているし、向こうも候補者の素行調査等をすませてからの一次合格通知が来ているのだから、黒髪黒目だろうと前職が娼館の用心棒だろうとシーノン公爵にとっては何も問題でもなかったのだと、俺の杞憂を笑い飛ばした。今までカロンに言葉でも武芸でも勝てたことのない俺は、仕方なく弁護士バッジをつけたカロンによってシーノン公爵邸に放り込まれてしまったのだった。
馬車から見える白亜の宮殿とでも呼べるほどの立派な建物が公爵邸だと言われた時、……あ、これ、絶対に俺、落ちる……と俺は思った。そう思うと俺は観光に来たような気分になってきて、どうせなら晴天の日に、この美しい建物を見に来たかったなと思い、どんよりした曇り空であることを残念に思った。そして建物に集められた貴族の少年達を見た時、俺は絶対に落ちるのが確定だろうと思い、返って俺は緊張が取れて、冷静になった自分を自覚した。
シーノン公爵はこの場にいないようだったが、この場の試験監督を務めるという、シーノン公爵家の執事と名乗る老人が説明を始めた。書類審査で通ったのは100名もの貴族の血を持つ者達だった。下は7才から上は何と、シーノン公爵の奥方と同じ20才だという青年までが、そこには集まっていた。自己紹介等はなかったが説明が始まる前の彼等の雑談に耳を傾けていた俺は、彼らが皆貴族の三男や四男等の爵位を継げない者だったり、俺のように貴族の愛人の子だったりするのだと、何となくだが察することが出来ていた。
その中でも、やはり黒髪黒目は俺一人だけだったので、あからさまな侮蔑や蔑みは口にされないものの遠巻きにされて、誰も俺に話しかけてこようとはしなかった。皆の忌避する視線が突き刺さるようで俺は試験を受けに来た自分を後悔していた。執事の試験説明はこうだった。初日の今日は、午前は各年齢にあった筆記試験が行われて、午後は各年齢にあった体力測定があるという。
俺は100名もいるのだから、受かるわけはないと思って、気楽に筆記試験も体力測定も何も考えずに受けたのだが、夕食の時間になって食堂に集まると20名に減っていたから驚いた。二次試験の一日目に、すでに80名が脱落したのだ。俺が残っているのは意外だが、まぁ能力だけを見れば俺が残るのは当然かも……と思い直して、その日は宛がわれた部屋で就寝した。
その日の夜半のことだった。
ずっと曇りだった今日が終わって、夜中に天気がさらに悪くなって雷が鳴り出したころ「ヒーン……」と小さく泣く声が聞こえた。……まぁ、聞こえたのは俺だけだろうと思う。俺はカロンに小さい頃から鍛えられていたせいで暗闇に強く、人の気配に聡い子どもになっていたからだ。俺はまだ人を殺してはいないけど、多分カロンは俺を一流の暗殺者に育てようとしているんじゃないかと予測を立てられるくらいには俺は暗闇に慣れていた。
俺は泣き声を不審に思って、部屋を出、声のする方に行ってみた。大きなお屋敷の真っ暗な空間を「ヒーン……」と小さく泣く声を頼りに行ってみれば、そこにはカーテンにくるまった小さな子どもがいた。試験通過者には7才の男の子もいたので、てっきり、その子が夜中にトイレに起きて雷に驚いて、怖くて動けなくなったのだろうと安易に思いながら、気安く俺は少ししゃがんで声を掛けた。
「どうしたの?」
その一瞬後に俺は、自分の容姿のことを思い出して焦ってしまった。
(あっ!声を掛けたものの俺の容姿じゃあ、余計に怖がらせてしまう!)
でもカーテンの中の子は俺の声に安心したように、パッとカーテンを翻して俺の胸に一直線に飛び込んできた。
「うっ!!」
ドン!とものすごい勢いで飛び込んで抱きつかれた俺は、胸に小さな衝撃を感じて、そのまま小さく呻いてしまったが、子どもは俺の呻きに気づかず、ただ必死にしがみついてくる。ゴロゴロゴロ……と、また雷が鳴り始めた。
「ヒッ!!」
俺の胸にしがみつく子どもは小さく悲鳴を上げ、さらにギュウ~としがみついてきたので、俺は俺自身を怖がられていないことにホッと安堵し、子どもの怯える様子に苦笑しつつ、部屋がどこか尋ねたが、子どもは泣くばかりで答えてくれなかった。困った俺は、町で見かけた親子連れがしていたように見よう見まねで子どもの背をトントンと軽く叩き、あやしてみた。
真っ暗な廊下で時々光る雷鳴が白く俺達を包む。子どもが誰なのかはわからないが、全身全霊で俺にすがってくる小さな子どもを抱いていると、俺の孤独で冷え切っていた心が子どもの体温で段々と暖められていくような錯覚に陥った。
(もしかして俺は、この子に出会うために生まれてきたのではないだろうか?)
という愚かな妄想を一瞬してしまって、あまりの馬鹿馬鹿しさに自分自身に苦笑したい気持ちになった。とにかく子どもが泣き止むまで、子どもの部屋の場所が聞けないので、仕方なく俺は先に子どもを泣き止ませようと考えた。先ほど子どもがしたようにカーテンの中に子どもごと入って、二人で向き合うように座ってみた。
「雷から身を隠しているから怖くないよ。ほら一緒にいてあげるから、もう大丈夫だよ」
と言いながら子どもをあやしていたら、子どもの温かい体温が心地よかったせいか、俺は子どもを抱きしめたまま、子どもと一緒に眠ってしまっていた。
固い床にずっと座って眠っていたからお尻は痛かったが、胸元に感じる温かさと甘いミルクのような匂いがして、今まで感じたことがない暖かな……幸せな気持ちで目を覚ました俺は、自分が光輝く暖かい何かを抱きしめていることにすごく驚いた。
(何だろう……?目の前が眩しいし、腕の中に柔らかくて暖かい何かがいて甘い匂いがする?)
寝起きで呆けていた俺の直ぐ近くに、朝日に反射して、銀色の長い髪がキラキラと輝いているのだと知った俺は、柔らかくて暖かくて甘い匂いがするのは、昨夜一人で泣いていた子どもだと思い出し、自分の腕の中で眠る子どもを明るい日差しの元で観察して、あることに気がついた。
(?あれ?男の子じゃない?女の子だ……)
子どもは、とても可愛らしい女の子だった。3、4才位だろうか?サラサラとした銀の髪が、柔らかく俺の腕を撫でていく。小さな顔に銀色の細い眉に銀色の長いまつげ、小さく形の良い鼻にサクランボのように可愛い唇が美しく配置された、とても綺麗な女の子だった。眠っているから女の子の瞳が何色かはわからないけど、きっとこの子に相応しい色をしているのだろうと思った。俺は寝ぼけ眼でぼんやりと歓楽街の端にある、小さな教会の壁面の天使を思い出していた。美しい天使の面影が似ていると思った俺は、
(もしかして昨日の雷で落ちてきた天使だったりして!?)
と普段の俺なら考えもしない、おとぎ話思考になっていた。母親にさえ抱きしめられた記憶がない俺が、初めて誰かを抱きしめて、ぐっすりと朝まで眠ってしまっていたのだから、多分動揺しすぎて、そんな事を本当に心配したのだと思う。でも、もっと動揺したのは朝だし、屋敷の使用人もそろそろ起きている頃だろうから、この子の部屋を尋ねようとカーテンから出たら、俺達の目の前に銀色の鬼がいたことだった。絹のガウンを着た大層美しい銀色の髪の鬼が、しゃがんで俺たちを見ていたのだ。
「っ!?」
(この俺が、その気配に一切気づかないなんて!!)
とっさに俺は、腕の中の子どもを鬼から守ろうとかばうように身を捩ったら銀色の鬼は、たちまち眉間の皺が消えて、銀色の鬼から絶世の美中年男性に変わってしまった。
「あぁ~、驚かせてすまない。……もしかして、その子、夜中にここで泣いていたのかい?」
俺はその通りなので、コクンと頷いた。
「君は泣き声に気づいて、ここに……?」
俺はまたコクンと頷いた。その頃には目の前の鬼だった美しい中年男性が、俺の腕の中にいる子どもの父親だろうと確信していたので、彼の腕に子どを抱き渡した。
「雷に驚いて泣いていました。部屋に送ろうと声を掛けましたが怖がって泣くばかりだったので、取りあえず雷が見えないようにカーテンに隠れて様子を見ようと思って、あやしていたら僕まで眠ってしまいました。すみませんでした」
俺が頭を下げると、その男性は俺の下げた頭を一撫でした。俺は誰かに黒髪の頭を撫でられた事実に驚愕したが、彼は俺の驚きに気づいていなかった。
「いや、こちらこそ娘がすまないね。この子は雷がとても苦手なんだ。君のおかげで娘が怖い思いをしたまま眠らなくて良かったよ。本当にありがとう」
(!?黒髪黒目の俺に『ありがとう』、だって?誰かにお礼を言われたのなんて初めてだ……)
驚いた俺がパッと顔を上げると、そこには朝日を浴びて神々しく輝く、美しい父子の姿が……教会の壁画の天使よりも清らかな天使の親子の姿が……そこにあった。
俺はボウッと見とれてしまって、彼が何かを言って立ち去っていった後、執事が俺を探しに来て、執事に付き添われて部屋に戻ってくるまで、夢の中を歩いているような気持ちだった。実際、部屋に戻った俺は部屋に備え付けられた洗面室で顔を洗い、着替えが終わった頃には、昨晩のことは夢の出来事だったのではないだろうかと思えてきた。
(そうだよな……。俺を怖がらない子どもといい、鬼から天使に変身する男性といい、そんなのいるわけないもんな。でも夢でもいいや。俺は泣いて怖がる天使の子を雷から守れたんだもの。子どもを心配して迎えに来た天使のお父さんに頭を撫でられて、お礼を言われたのだもの。いい夢だったなぁ。あの子のお父さんが迎えに来てくれて良かったなぁ……。ああ、でも、どうせなら、あの子の瞳の色も知りたかったし、あの子の笑っている顔も見たかったなぁ……)
そんなことを思っていた俺が昨晩の事は夢ではないこと、天使の親子は天使ではなくて……シーノン公爵親子だったことを知ったのは、朝食で昨日とは違う、こぢんまりとした小さめの食堂に通された時だった。
眉間の皺を伸ばしながら、不器用に笑いかけてくる銀色の鬼……もといシーノン公爵と、彼と同じ色のキラキラと光輝く青い瞳に、一切の恐れも侮蔑も浮かべずに俺に満面の笑みをくれる天使の子ども……もといシーノン公爵の愛娘。イヴリンと名乗る可愛い女の子が親しげに俺に朝の挨拶をして、俺も挨拶を返して……。
他の候補者は別室で朝食を取った後に、失格を告げられて帰らせられた事、俺が彼の跡取りと決まった事。
……これらを聞かされたのは、何故か朝の挨拶後、そのままシーノン公爵親子の食事の席に、ずっと前からそうだったと勘違いさせられてしまいそうなほど、自然に同席を促されて何故か、そのまま一緒に朝ご飯を食べて、食後の紅茶を飲んでいる時だった。
もちろんイヴリンの泣き声を、その日の当直のサリーとアダムとイレールは察知していましたが、一番に駆けつけたミグシリアスの動向を見守って、長に報告しています。セデスは廊下の空調を操作して、子ども達が、風邪を引かないような温度にして、そのまま二人を見守るように指示しました。そしてセデスの報告を聞いたシーノン公爵が朝にお迎えに行ったという裏事情がありました。なお、ミグシリアスの父親に関しては、カロン(ナィール)視点でのお話で判明します。