※”名前なき者達の復讐”最終章の始まり~4月5月③
カロン王の取り巻き貴族や護衛集団は、王が悪政をするたびに自分達の権力や財を蓄え、私腹を肥やす事が出来るので、彼を支持し、その治世を脅かす者を常に警戒していた。10年前に流行病で大勢の国民が亡くなり、その混乱に乗じて、大勢の民も貴族達も国外に出てしまったので、この国はカロン王の取り巻き貴族達の言うことを聞く貴族と、聞かざるを得ない弱い貴族と、もっと弱い民しかいなくなってしまい、カロン王の取り巻き貴族や護衛集団達は、自分達の地位は安泰になったのだと喜んだが、たった一つだけ懸念材料があった。それは貴族達の権力が、まったく通じない教会の存在だった。
10年前まで教会は、教会の運営資金の殆どが貴族達の寄進で賄われていた関係から、その力は脆弱で貴族達の言いなりに近いものだったのだが、シュリマンという名前の教会の者が、莫大な資金をどこからか調達してきたのか、それ以降、教会は貴族達の寄進を求めない代わりに貴族達の言うことも聞かなくなってしまったのだ。
その教会が、今から8年ほど前位から不思議な施しを平民に向けてし始めたのだ。それは教会の慈善事業の一環として、教会が始めた施しで、後に”大衆劇”と呼ばれるようになった一種の娯楽だった。
教会の一般的な施しは、食べ物や薬や衣服や毛布などを民に配布するというものであったが、その”大衆劇”と呼ばれる施しは、民の心を癒やす目的で行われる娯楽で、どうやら読み物の物語を実際の人間が、その物語の人物になりきって、物語を見せるという形式で行っているという教会の説明を貴族達は、最初馬鹿にしていた。
貴族よりも身分が低い平民が喜ぶような娯楽など貴族が喜ぶはずがないと貴族達は、”大衆劇”に興味を持たなかったのだが、民達はそれに、ものすごくのめり込んで心酔するようになってしまったのだ。やがて民達の間で”大衆劇”の役者の姿を真似、自身の髪色をそれと同じに染めるのが大流行しだした。
”大衆劇”が行われる度に紅い髪、青い髪、白い髪と次々と髪の色の流行が変わり……そして忌み嫌っていたはずの黒髪まで流行りだし、へディック国で”魔性の者”と蔑まれていた黒髪黒目の者や、顔に傷のある者への差別や偏見は……この10年で、いつの間にか全て綺麗さっぱりなくなってしまったのだ。それにようやく気付いた貴族達は教会に脅威を感じ始めた。
……もしかしたら教会は王家がわざと作った差別を”大衆劇”を使って、綺麗になくしてしまったように、この”大衆劇”を使って民達を煽り、国に対して謀反を起こさせることも出来るのではないかと思い至り、警戒した彼等はそれを企てているだろう人物を探し出すことにした。
そうして探して見つけたのが、元侯爵令嬢である修道女のルナーベルだった。
彼女は3年前に北方の修道院から、王都にある学院にやってきて、学院の”保健室の先生”になった。彼等はルナーベルを危険視し、自分達の仲間を学院に複数送り込んで、ずっと見張ることにした。何故ならルナーベルには貴族を恨む理由も、カロン王を恨む理由もあったからだ。ルナーベルは小さな頃にお腹の音のことで貴族達に”社交界の鳴き腹”と笑われていたし、嫌われていた。それに加えルナーベルは15才のころに、カロン王に暴行されかけた。そして声が出なくなり、20才の時に修道女になった。
笑いものにされ、傷物にされかけ、貴族籍も剥ぎ取られて、修道女になったのだ。ルナーベルが貴族や王を憎んでいないわけがないと彼らは考えた。だから、この5月の取り巻き貴族や護衛集団の大量死や他の何人かの上級貴族達の死病は、今まで大人しくしていたルナーベルが、ついに実家の侯爵家の力を使って、仕組んだのではないか……と彼等は怪しんだ。ルナーベルの実家は、この国で3番目に位の高い上級貴族だから、入手困難な毒を実家の権力を使って入手して、それを使って大勢の貴族達を病気に見せかけて殺したのではないかと彼等は仲間内で話し合ったところ、学院に潜入していた仲間達が、それにいたく激怒した。
(((あんなにも真面目で優しいルナーベル先生が、大量殺人を行うわけがない!!天と地がひっくり返ったって、ありえない!学院の皆の健やかな健康のために来る日も来る日も一所懸命に頑張っているルナーベル先生が、そんな恐ろしいことを考えるわけがない!少しの血が流れるのを見ただけで、涙を浮かべる愛情溢れる女性が、人の死を招く行為を思いつくはずがない!)))
ルナーベルの学院での様子は、学院に籍を置く学院生の上下貴族達を通じて、貴族の社交界では有名だった。美人で優しくて、お人好しで穏やかなルナーベルは、”売れ残り”との烙印を押され、落ち込んでいた女子学院生達を陰日向なく癒やし、見守り、励まして、皆が恋愛結婚出来るまで、ずっと応援してくれたのだと、学院の女子学院生達は感謝していたし、それを聞いた若い女性達は、”恋愛結婚を成就させてくれる女神様”だとルナーベルを称えていた。
男子学院生達は優しくて母や姉よりも親身になって怪我の手当てをしてくれたり、悩みの相談にいつでも嫌な顔一つしないで、真剣に話を聞いてくれるルナーベルを家族以上に好いていたし、美人なのに、その自覚が全くなく、異性からの好意に全く気付かない鈍さごと、彼女を慈しんでいた。学院生の親達も、ルナーベルのおかげで子どもの表情が明るくなったと感謝していて、親世代の貴族や男性達は、”学院の聖母様”とルナーベルを褒めそやしていた。学院の同僚達もルナーベルが、とても信心深い修道女で、真面目に”保健室の先生”を務める努力家の女性だと褒めていた。
実際ルナーベルは毎日毎日……ひたすら”保健室の先生”の仕事を頑張っていた。毎日早寝早起きの規則正しい生活を送り、休み時間や放課後は学院生の悩みを聞いたり、老先生と若先生の手伝いをしたり、たまにしょぼくれた見かけの冴えない中年の仮面の先生とお茶を飲んだり、この4月からは放課後に寮監の子どもの世話まで毎日していたのだ。
夜遊びもせず、休日に街に出かけることも、誰かに手紙を送ることもなく、実家とのやり取りも一切無く、ずーーーっと学院から出ないので、この数年、学院に潜入し、ルナーベルを見張っていた者達は大いに戸惑っていた。ルナーベルは彼等が警戒する必要の無い、ただの真面目で優しい修道女なのではないかと、カロン王の取り巻き貴族達も護衛集団も思い始めた矢先の仲間達の大量死に、彼等の意見は真っ二つに割れた。
……この彼等のルナーベルの疑惑に対して、ヒィー男爵令嬢が全ての疑惑を打ち消してくれたのだ。
へディック国中の上下貴族達が集まる茶会でヒィー男爵令嬢はルナーベルを辱めようと画策し、自分はルナーベルを嘲笑うために”リアージュソーダ”を作ったと、へディック国中の貴族達の集まる前で堂々と言い放ったのだ。美しいルナーベルに嫉妬し、淑女にあるまじきゲップを人前でさせようと恐ろしい謀略を練り、その罪を他の上下貴族になすりつけようとまで画策する、卑劣で悪知恵が働く、とてもずる賢いヒィー男爵令嬢は、本当に悪魔のような女だった
……しかしヒィー男爵令嬢は入学式前の高熱で、貴族教育を忘れ、礼儀作法を忘れ、腹芸を忘れ、自制心や責任感などの成人した大人として生きていくために必要な諸々を全て失ってしまったのだろう。悪辣な完全犯罪の計画を練っておきながら、自身の愚かな振る舞いで、それが自作自演だと露呈させ、失敗に終わらせてしまったのだから……。
その後、直ぐに茶会が中止されて、急遽開かれた”学院保健会”で、彼等はヒィー男爵令嬢の食の知識の出所を知り……、この5月からの貴族達の大量死の真相も知ったのだ。というのも医師が健康講座で見せた、医学雑誌を出している大国にヒィー男爵家は薬草を輸出していると、ヒィー男爵自身が証言したからだ。
その国でも他の二国でも、ヒィー男爵令嬢が自分の発明だと言っていた食べ物は既に存在していると、雑誌を手に入れてきた若先生が健康講座で語るのを聞いた貴族達や、茶会までに大多数の仲間を失ったカロン王の取り巻き貴族達や護衛集団達は自ら、それらの食べ物を望んでいたというのに、その食べ物を国に持ち込んだヒィー男爵令嬢を逆恨みして激怒した。彼等は仲間の命を奪い、自分達の命を危機敵状態に陥れたヒィー男爵令嬢の命を狙ったが、行方がわからないまま、やがて一部の人間を除くほとんどが、その恨みを晴らせないまま、無念の死を遂げることになった。
学院に潜入していた仲間達は誰も死ななかった。他の仲間達と同じように暴飲暴食をしていたというのに、彼等だけが助かった。……その理由も判明した。
学院にいる者達……学院生も教官も寮関係者も含めた全ての学院にいる者達の体をルナーベルは”保健室の先生”としての立場から、とても心配して、学院から出される給与のほとんどを使い、3年前から体に良い野菜入りのクッキーを毎日手作りして、学院中の皆が食べられるように配っていたからだとわかったからだった。学院に潜入していた仲間達はルナーベルの無償の愛情を知って、胸の中が暖かくなった。
(((やはりルナーベル先生は、いつもいつも陰日向無く、学院の皆の健康だけを願っている、優しい女性だった。彼女のおかげで自分達の命は助かったのだ。感謝こそすれ、疑うなんてそれこそ愚の骨頂だったのだ。彼女はお人好しなので、自分を嘲笑った貴族や無体を働いたカロン王を恨んではいなかった。自分の運命をただ真摯に受け止め、修道女として”保健室の先生”として、前向きに生きている欲のない清らかな女性なのだ!)))
彼らは、あの茶会でヒィー男爵令嬢を助けるルナーベルの姿に衝撃を受けた。こんな大勢の前で自分を辱めようとした悪魔のような女まで助けるなんて、ルナーベルは本当に女神なのではないか?……と、彼等は感動して、彼女を警戒対象から除外した。それどころか女神のような慈愛に溢れるルナーベルに心酔し、彼女が修道女になる理由を作ったカロン王を憎む気持ちが何人かの仲間達の間に芽生えだしていた。
何故ならルナーベルは信心深く、学院内の至る所で祈りを捧げる姿は、よく見られていたが、彼女は一度も聖堂内に入ろうとはしなかったからだ。聖堂には教会にある壁画と同じ壁画があり、彼女は、その壁画の人物がカロン王に似ているから怖がっているのではないか……とルナーベルに救われた彼等は考え、愛しい女性の心に癒えぬ傷をつけた男を、男として憎み始めていた。
この気持ちが彼等の仲間内での亀裂を修復不可能なものにしていくことを、その時の彼等は気づかなかった。
”名前なき者達の復讐”は、最終章を迎えて2ヶ月が過ぎて、”名前なきあなた”であるヒィー男爵令嬢がゲームオーバーになってしまった。だけど、ここはゲームの世界ではなく、現実の人間が生きている世界なので、ヒィー男爵令嬢がいなくても物語は進んでいく。
ナィール達はヒィー男爵令嬢が残してくれたへディック国中の上下貴族の秘密と、敵の戦力を削いでくれたことと、彼等の仲間の疑いを晴らしてくれたことに感謝しながら、真の敵へと着実に近づきつつあった。




