ルナーベルとヒィー男爵家の茶会⑩
「何と恐ろしい女だろうか!私はもうヒィー男爵家とは二度と仕事はしない!茶会も夜会も来ないでくれ!……ああ、あなたが悪いんじゃないのはわかっているんだ、ヒィー男爵。だけどあなたの娘とは社交は絶対に出来ない!」
「儂だって悪魔女と付き合うなんて、とんでもない!王の遠縁の血筋だろうが関係ない!」
「私も入り婿になってくれと言われたが、あんな悪魔に婿入りするくらいなら、平民に下った方が千倍もマシだ!悪いがヒィー男爵、あの話は無しだ!!」
「私もごめんよ!ルナーベル様はこんなに親身に世話をしているのに逆恨みを買ったのだもの!変に同情して付き合うと今度は私が狙われてしまうわ!」
上下貴族達は口々にそう言い出した。場内は怒りに溢れそうになる中、若先生が挙手をした。学院長がそれを見て、皆に静寂を求めた。
「どうしましたか、若先生?」
「今日ここに集まっているのはへディック国中の上下貴族の皆様……ああ、10年前と比べたら4分の一にまで減っておられますね……だと伺いました。ヒィー男爵令嬢は生徒会の4人が責任を持って、事情聴取すると言っていましたし、茶会は中止になり、ここにいる方々の昼間の予定が丸々空いたことになりますよね?
貴族は昼夜の社交で忙しい身で、昼間の予定が空くことは滅多にないでしょうし、ここでヒィー男爵令嬢への愚痴を吐き続けるよりも、もっと建設的な時間活用をするべきではないかと私は思うのです。この貴重な空き時間を少々……私ども医師達に割いていただけないだろうかとお願いしたいのです。
私は今日、休息所で妙な噂を耳にしました。貴族達の間で突然死が流行っている……と。もしも、また流行病だったら国の一大事になりますので、皆様に聞き取りのご協力を願えないかと……。それに折角の機会なのですから、貴族の皆様に是非お知らせしたい情報がありまして」
若先生の言葉は一理ある言葉だった。ここでヒィー男爵令嬢の悪口を言っていても、何の得にもならないし、医師の知る情報というものにも興味が湧いた。だから皆はたちまち医師の持っている情報を知りたいと言い出した。それにへディック国を襲った10年前の流行病は、まだ皆の記憶に新しく、医師の言葉に皆は協力を惜しまなかった。
こうしてヒィー男爵家の茶会は”学院保健会”と名を変えて、二人の医師による健康講座と聞き取り調査が始まった。健康講座で二人の医師達は、この国の貴族と平民の平均寿命と他国の平均寿命の話、野菜不足で引き起こされる体の不調や、食生活や生活習慣で引き起こされる体の不調や、早寝早起きの大切さ……等々を説明しだした。
へディック国以外の3つの大国、北方のバーケック国や隣国のトゥセェック国、そして医療大国と名高いバッファー国では、すでに貴族は暴飲暴食はせず、貴族の社交の形態も健康を考えたものに、すっかり様変わりしていると書かれていた医療雑誌を回し見て、皆は大層驚いた。今日来ていたへディック国中の上下貴族達は、健康講座で二人の医師の話を聞いているうちに、顔色を青くさせ始めた。
「私、体に悪いことばかりしていたわ!どうしましょう!このまま死んじゃうの?」
「俺は揚げ物ばかりを口に。酒も煙草も大量に毎日摂っている……。俺は死んでしまうのか?」
この5月に流行った揚げ物とマヨネーズソースが、今までの贅沢な食事や偏った食べ物の好み、不健康な生活習慣で、個々に弱っていた貴族達の体の不調にさらに追い打ちをかけるように、体の至る所の悪化を加速させていき、多くの貴族の死期を早めてしまったのだと健康講座を聞いているうちに、この5月から急激に増えた貴族の突然死の理由を悟った瞬間、武道館内にいた貴族達は恐慌状態に陥った。
顔面蒼白の貴族達は二人の医師を激しく質問攻めにし出したので、仮面の弁護士は大騒ぎにならないうちにとルナーベルと武道館を退出し、勇敢な者達もそれに続いて一緒に退出してきた。
「この後の聞き取り調査は医師の先生方の仕事ですし、私達は退散しましょう。今日は朝から大騒動で疲れていませんか、ルナーベル嬢?もしも疲れていないなら、これから私達だけでお茶会をしませんか?だって私達はお茶会に来たはずなのに、まだ一杯もお茶を飲んでいないんですから」
ルナーベルは、そう言えば休息所で給仕はしていたがまだ自分はお茶を飲んではいないと気づき、そうですねと彼に向かって微笑んで、彼の手を取った。勇敢な者達もそう言えば、自分達もお茶を飲んでいないから、一緒にお茶会に参加しても良いですか?と言い出したので、二人は気安くいいですよと答えた。
ルナーベル達はポピーの咲く中庭で、同窓会を兼ねたお茶会を開くことにした。
「へぇ~、クッキーに野菜が入っていたんですか?知らなかったなぁ~!そっか、僕らはこれを食べていたから、学院にいるころは風邪を引くことなく、元気でいることが出来たんですね!野菜を食べるのは僕らが健康に生きるのに必要だということなんですね!わかりました!これからは野菜も摂ります!」
「まぁ!ルナーベル先生の若さの秘密は、平民の皆さんのような生活習慣と食生活なんですのね!私達、今日来られなかった人達に教えてあげますわ!フフフッ、大丈夫ですよ!私達がまず実践すれば、美容に興味のある女性達は、きっと真似をしますから!」
「何でも程々が大事なんですね。肉も野菜も砂糖も塩も油も適度に食することが必要なんですね。揚げ物もマヨネーズソースも、それ自体が毒というわけではなく、そればかりを大量に食べ続けることが、体にとっては良くないということなんですね!ルナーベル先生。教えてくれてありがとうございました!僕達も彼の国から、その雑誌を手に入れて、皆で読むことにします!ルナーベル先生、僕達の体のことを考えてクッキーに野菜を隠してくれて、本当にありがとうございました!」
学院の卒院生達と勇敢な女性達とその夫達は、学院から皆が座るための敷き布を借りて座ると、各寮の食堂からお茶をもらい、今朝ルナーベルが多めに焼いたクッキーを食べながら、大変有意義な茶会を過ごした。
5月の茶会の後、学院に多くの上級貴族達から、修道女は学院を出て還俗しないのかという問い合わせが殺到した。修道女は昔、彼女の横にいた”社交界の紅薔薇”と呼ばれた淑女と瓜二つの美貌だったし、年を重ねたことで、より成熟した大人の色気を醸し出す絶世の美女となっていたので、体質改善された今なら貴婦人として、申し分のない淑女となっていたからである。しかも気の強かった社交界の紅薔薇に比べ、修道女の気性は、そのバイオレット色の瞳と同じ色の菫の花のように控えめで優しいものだったので年齢を問わず、より多くの男性達に好意を持たれてしまうことになってしまったのだ。
修道女が元侯爵令嬢でさえなかったら……、ここが平民を守る学院でさえなかったら……、修道女は上下の身分関係なしに多くの男性貴族達に後妻か妾にと請われ、彼女の意志に関係なく無理矢理攫われて……身体を奪われていたかもしれなかった。学院長と仮面の弁護士は、これら貴族達の申し出を全て修道女に知らせることなく、学院にいる平民は例え王族でも自分の欲望をぶつけてはならないと、あのカロン王が王印付きで認めている箇所に栞をはさんで、貴族達に分厚い学院法が書かれた冊子を添付して元の書状を送り返した。
へディック国の上下貴族達は、この”学院保健会”以降、自分達の命を守るためにと、慌てて自分達の社交や生活習慣を見直すために動き出した。だが大部分の上級貴族達……特にカロン王を取り巻いていた者達は、他の貴族達よりも格段上の贅沢な暮らしを長年していたので、他の者達よりも死病の進行が数倍も早かった。彼らにとっては、その事実を知るのが遅すぎたのだ。
知るのが遅すぎて、長年の贅沢な暮らしで蓄積されていた死病の種々が、5月に流行った食べ物による暴飲暴食で一気に芽吹いてしまったため……彼らの命の大部分は守られなかった。カロン王の取り巻き貴族は4人だけが生き残り、カロン王の護衛集団も三分の一だけが生き残ったが、生き残れても皆、体調が悪く、自分の病に向き合うことに必死になったため、目立った悪巧みが出来ない状態となっていった。
この5月中に亡くなった貴族があまりに多かったので、へディック国の貴族院は一ヶ月後の6月の下旬に、多くの貴族の死を悼むための”合同法要”を行うことを決めた。この法要は上下貴族の全ての出席が義務づけられていたので、へディック国立学院もそれに合わせて、6月の最後の2週間、全ての上下貴族の里帰りを決めた。ルナーベルも多くの者の死を悼むための教会の法事に、その2週間は北方の教会に里帰りすることが協会関係者から通達された。
講堂であった5月の茶会後、学院にいる上下貴族クラスの者達は、それ以降ルナーベルのことを”不可侵の聖女”だと崇め、彼女に内緒で”菫の聖女”と呼ぶようになったのだが、彼女に内緒だったので当然、彼女は何も知らず、いつものように”保健室の先生”を頑張る日々を送っていた。
「リアージュさんは今頃、どうされているのでしょうね……」
学院長は茶会の次の日の朝会でヒィー男爵令嬢は家の都合で、自主退学をすることが決まり、退学したと告げた。学院関係者は茶会の顛末をすでに知っていたので、自主退学の理由を誰も尋ねることがなかった。修道女の入れてくれた紅茶を砂糖無しで飲みながら、仮面の先生は彼女を安心させようと仮面越しに笑顔を向けて言った。
「彼女の性格は色々と難がありますが、体だけは丈夫そうでしたし、元気にしているでしょう」
仮面の先生の言葉を聞いてから、修道女は彼に頭を下げた。
「ええ、そうだといいですわね。……あの、あの時は私の代わりにアレを飲んでくれて、ありがとうございました。そう言えば、あなたも舞台の隠し通路をご存じだったのですね。リーナちゃんに聞いたのですか?」
「ああ、アレですか?アレは、ですね……。昔、あいつの仕事を手伝っていたからアレの存在のことをたまたま知っていただけなんですよ。……あいつは本当に生真面目でしたから、資料管理も徹底していましたし、優しい公爵だったからヒィー男爵領の炭酸水のことを放置できず、カロン王に頼んで通達を出させていたんです。それに私は25、6年くらい前に、あの領地に暮らしてたことがあったので、使用人の何人かは顔見知りだったんですよ。それと学院の隠し通路は、私があの子に教えたんです。私は白亜の建物に昔、住んでいましたからね。あのテの建物には色々詳しいんですよ」
仮面の先生は頬を掻きながら照れ笑いをし、修道女に微笑んだ。
「そう言えば、あの炭酸水を老先生が後で調べてらしたのですが、アレは炭酸の量を控えたらゲップは出にくくなるらしいですよ。砂糖や果汁シロップの量さえ加減が出来れば、紅茶やお酒よりも身体に良い飲み物になるのではないかとおっしゃっていました」
「へぇー、そうなんですね。でも貴族はどれだけ身体の生理現象だと言っても、体裁ばかりを気にする生き物ですから、あんなものを見てしまったら恐ろしくて、飲もうとはしないでしょうね。……まぁ、あの炭酸水は、あの土地にしか自生しない変な形の薬草を育てるには最適の栄養分が入っているらしく、あの炭酸水が湧く土地は、外国の商会が購入したらしいですから、ヒィー男爵家も借金は返すことが出来ているでしょう。わずかに生き残っている領民も商会がそのまま、その土地で雇用するらしいですよ」
「まぁ!それは良かったですわ!ヒィー男爵が領民のために色々奔走していたことは有名な話でしたもの。領民の先行きへの憂いが無くなれば、彼も一安心出来ますわね!」
何も知らずに無邪気にそう言って喜ぶ修道女に、仮面の先生は何も言わず微笑みを向けて頷いていた。




