ルナーベルとヒィー男爵家の茶会⑨
ルナーベルと勇敢な女性の3人組は、仮面の弁護士と女性の夫達にエスコートされて、武道場に並べられた椅子の一角にそれぞれ一列に並んで座り、彼女達が離席していた間のことを問うた。仮面の弁護士は、ルナーベル達がいなかった間のことを手短に話してくれた。
「ほら、今日の会場は何故か埃っぽいし、紳士淑女の香水の匂いが充満している上に、先ほどのヒィー男爵令嬢の……アレでしょう?もう会場中が気持ちの悪い匂いであふれかえっていて皆が耐えられないと言ったので、学院長が急遽、武道場を開放してくれたんですよ。
今日は中間テストで、平民クラスの者は校舎から出ませんので武道場は空いていましたからね。若先生は、さらに詳しくヒィー男爵令嬢を診るために老先生を応援に来てもらい、二人で診察することになったんです。……で、私達は皆はヒィー男爵令嬢の診察結果をこちらで待っているところなんですよ」
仮面の弁護士が説明し終わると女性達の夫は、診察結果が出るまで立って待つのも辛いだろうからと、学院長はパイプ椅子も使用させてくれることになったので、上下貴族達にも協力してもらって、皆で一人づつ椅子を持って、こっちに移動したんですと、言葉を繋いで補足説明をしてくれた。ちなみに彼女達の椅子はもちろんここに一緒に座っている仮面の弁護士と夫達が運んできたと言ったので、ルナーベルと彼女達はそれぞれにお礼の言葉を言った。
待っている間に学院長は、先ほど茶会で話した契約内容のより具体的な説明をし、普段のヒィー男爵令嬢の学院での様子を赤裸々に語り、今日の茶会のことはヒィー男爵令嬢が父親の了解無しに言い出したことだった……と話を終えたところで、ルナーベル達が戻って来たのだと仮面の弁護士が言った。
「あっ!若先生と老先生が来ましたわ!あら?ヒィー男爵が泣いていますわ……。リアージュさんは何かのご病気だったんでしょうか?」
皆は武道場に現れた渋面の若先生と老先生、滂沱の涙を流すヒィー男爵へと視線が集中した。
「すみません、皆様!ずっと学院でも社交でもリアージュが迷惑ばかりをかけまして、本当にすみませんでした!娘は心が腐っているんです!どうしようもない愚か者なんです!今朝だって人手が足りないからと、休息所を自ら設けて下さったルナーベル先生に、あんな酷いことを!こんなに優しい先生に感謝することも出来ない、礼儀知らずなんです!どうかお許しを!いや、もう許さなくてもいいです!どうか娘に罰を!あんな娘にしてしまった私を罰して下さい!!
娘は元々、使用人を虐めることを喜ぶ恐ろしい性格の持ち主でした。幼少の頃から怠けることしか考えず、美しい者を妬む、どうしようもない人間でした。それでも自分よりも身分の上の人間に手を出すようなことはしない、狡猾さはあったんです!妬む言葉は吐いても、上の人間に手を出すような無謀さは持たない、小悪党だったんです!……少なくとも入学式の一週間前までは、貴族らしい貴族だったんです!なのに!」
ヒィー男爵は、そう言ってむせび泣いた。
「ウチの主な収入源である温泉は枯れ、温泉を目当てに来た客を狙った娼館を主とした風俗店が立ち並ぶ歓楽街は軒並み廃業に追いやられ、領民だって多く……本当に多くの者が亡くなったんです。農作物だって、ここ十年不作が続き、収入と言えば領地の炭酸泉の傍にしか自生しないという、気持ち悪い形の薬草の輸出だけだったんです!!それなのに娘は、『あんな脳みそみたいな形の気持ち悪い花と心臓の形の実に、脊髄みたいな茎に毛細血管みたいな葉の薬草なんて何がいいのよ!おまけに根なんか、大腸や小腸みたいで気持ち悪すぎる!』と訳のわからないことをぼやいて、新作のソーダが売れたら、薬草を全部燃やすとまで言い出す大馬鹿者でした!!
この8年間……あれだけがウチの領民達と私達の生活を守っていた命綱だったのに!慌てて止めましたが、本当に何をしでかすか、わからない娘なんです!!娘が言い出した、今回の茶会の費用だって、借金までして用意したというのに、その重要性もわからず、ずっと一人で酒盛りをしていたなんて!!」
ヒィー男爵は武道場に入ってくるなり、皆の前で土下座をして、そう言って謝ると、自分自身の怒りや悲しみから床をドンドンと叩き、また泣きはじめた。そんなヒィー男爵に、武道場の貴族達が少しの侮蔑と憐れみの表情を向けた。何故なら今し方、老先生と診察をした若先生がヒィー男爵令嬢の嘔吐と意識不明の原因を、皆の前で説明してくれたのだが、ヒィー男爵令嬢は病気ではなく、単に酒の飲み過ぎで嘔吐し、気を失ったのは寝不足が原因だったからだった。
ヒィー男爵令嬢がずっと酒盛りしていたことを、ヒィー男爵家の使用人とコックが証人として、名乗りを上げた。一昨日の夜会の主催者も、ヒィー男爵令嬢がいつものように胸にツマミを詰め込んで持ち帰っていたことも証言した。
「胸にブルーチーズをせっせと入れていましたよ。彼女は茶会や夜会で胸に食べ物を入れて持ち帰るというのは有名な話でしたが、あんな臭いものをよくもあれだけ胸に入れられると、差配していた妻と話していたので一昨日のことでしたが、よく覚えていますよ」
一昨日の晩から今日の朝3時まで酒を飲み続けていたと聞いて、上下貴族達はこうなるのは当然だとため息をつき、ヒィー男爵令嬢は茶会の接待役をしなければならないのに、自分を制することが出来なかった責任感のなさと、大人としての自覚のなさに呆れかえった。
そしてヒィー男爵令嬢の服装は、彼女が酒を飲み続けた非常識さと同じで、彼女に貴族の令嬢としての常識がなかったせいだと知り、皆は失笑するしかなかった。命に別状もなければ、病気でも気のせいでもなく、その彼女は休息所でいびきを掻いて寝ているらしい。
二人の医師は生徒会の者達に彼女の監視を頼んで、診察結果の報告と彼女が気になる寝言を言ったので、それを報告に来たと話した。
「ヒィー男爵令嬢は『銀髪の女に罪をなすりつけることが出来て、笑いが止まらない』と寝言でおっしゃっていましたが、何のことだか、どなたか、おわかりになりますか?」
若先生が、会場中の者に大声で問いかけた。
「老先生と一応、念のために彼女の触診をしようとドレスの前を開けたら、誰の物かわからない銀髪の長い髪が、沢山クシャクシャに胸の所に押し込まれていたんですよ。あれは何の意味があるんでしょうか?誰かおわかりになる方はいませんか?」
若先生と老先生は診察に父親に同室してもらって触診を行い、ヒィー男爵令嬢の胸から沢山の銀髪が出てきたとき、3人は何事かと驚き、一応生徒会の4人にも、その髪が出てきた現場を見てもらっていると話した。
武道場にいる貴族達は、他人の髪を胸に沢山入れているヒィー男爵令嬢を気持ち悪く思い、彼女がそれを胸元に隠し持っている理由が知りたいと思い、誰か、その理由がわかる者はいるかと見回しだした。するとルナーベルと茶会の用意をしていた卒院生達が、次々と挙手をして、その理由を知っていると話し出した。
「ああ、それなら僕達、わかりますよ!茶会の用意を手伝っているルナーベル先生を僕ら皆でお手伝いしたんですがね、その時に丁度ヒィー男爵令嬢が使用人の女性達を集めて、彼女達の髪を抜いているところに居合わせたんです。……確か『捏造の仕込み材料に銀髪をくれ』ってなことを言っていましたね」
「私達だけではなく、学院の教官の先生方や校舎の学食のコック達や寮の人達と言った、多くの者達がそこにいましたし、会場内には使用人の者達も大勢いましたから、誰にでも話は聞けると思いますよ」
この老先生と卒院生達の会話を聞いていた武道場にいた上下貴族達は、自分達の血の気が引く音を聞いた。
さっき、ヒィー男爵令嬢は舞台の上のソーダと皆に配るソーダは違うはずだと言い切っていた。そしてルナーベルに飲ませるつもりのソーダには誰かが炭酸水を強く入れたと言い、その犯人の目星や証拠があると言いかけていた。この会場にいるへディック国の上下貴族の淑女達は、全員銀髪だ。つまりヒィー男爵令嬢は修道女にゲップをさせて、皆の前で大恥をかかせた後、自分の非道な行いを今日、茶会に出席している女性達の誰かになすりつけようとしていた。そう考えが至った皆はヒィー男爵令嬢にさらに激しい怒りを覚えた。
(((もしも、あの女が酒で失敗しなければ、今頃は自分達の誰かが無実の罪を背負わされていたんだ!もしもルナーベル様が茶会の手伝いをしなかったら、捏造の証拠が本物の証拠になるところだった!なんて恐ろしいことを考える女だろう!自分は下級貴族なのに、こうして全ての貴族にケンカを売ろうと考えるなんて!悪辣すぎる!……しかも上手いやり方だ。自分は手を汚さず、ルナーベル様を辱め、その罪を回りの貴族に押しつけて、密かにああやって両者を嘲笑おうと計画するなんて、ずる賢すぎて、こちらまで反吐が出そうだ!!)))
ヒィー男爵令嬢はとても賢いが病気で彼女は正常な判断が出来ない体になったのだろうと皆は思った。何故ならば修道女をしているルナーベルをただの平民だと言い切っているのだから……。”保健室の先生”をしているルナーベルは今は平民の修道女だが、彼女は元侯爵令嬢だ。侯爵は国で3番目に位が高い上級貴族であり、彼女の実家は侯爵家である。
例え今のルナーベルが平民だろうと、彼女を蔑む者を彼女の実家の侯爵家が、そのままにしておくと本気で思っているのだろうか?今日集まっているへディック国の上下貴族達は、ヒィー男爵家の通達がなくとも、ルナーベルだけは様付けして呼んでいただろうことに、ヒィー男爵令嬢は気づかなかったのだろうか?
(((いや、そうじゃなくて、あの女は割と賢いから、本当はルナーベル様の実家を利用して、気に入らないどこかの貴族を陥れようとしていたのではないだろうか?もしもあの女が酒でヘマをしなければ、今頃は……)))
揚げ物やマヨネーズソースという、誰も考えつかない食べ物を思いつく賢さがあるなら、こういう悪巧みも思いつくかも知れないと、貴族達は考えた。たまたま今回ヒィー男爵令嬢が大人の自覚がなく、酒を自制しなかったから、このような結果で終わったが、もしもヒィー男爵令嬢が酒を飲まなかったら……、もしもヒィー男爵家の茶会の準備が万全で、ルナーベルが休息所の設置を手伝わなかったら……、今頃はヒィー男爵令嬢は自分達の誰かに無実の罪を着せ、ルナーベルの実家の侯爵家からの報復を受ける姿を、さっき修道女を嘲笑ったように笑おうとしていたのだと知り、上下貴族達は恐怖に身震いをした。




