ルナーベルとヒィー男爵家の茶会⑦
※この回のお話の後半にお食事中の皆様の気分を害される表現(嘔吐)がありますので、ご注意下さい。
卒院生達はお互いの顔を見て頷き合い、自分達の回りにいる貴族達に向かって、先に一言詫びの言葉を口にした。
「「「皆さん、先に謝っておきます!僕らもこれを飲みますので、この後の非礼をお許し下さい!!」」」
「「「皆様、旦那様、私達は淑女として、これからはしたない姿をお見せしますが、お許し下さいませ!」」」
そう言ってから、手にしていた飲み物を一斉にそれぞれが飲み、皆が……ゲップをし出した。回りの貴族達は卒院生達の、その様子を真剣に見ていた。卒院生の彼らは貴族達が一番恥ずかしいと思うゲップを繰り返していたが、誰も彼らを見苦しいとは思わなかった。見苦しいどころか彼らの行動は勇敢で誉れ高きことのように皆は感じ、皆の目には卑劣な悪魔から優しき修道女を守るために、若者達が勇気ある行動に打って出て、悪魔の奸計を打ち破って、見事に修道女を守りきり”英雄”となった姿だけが見えていた。
勇気ある女性の一人が涙を浮かべて赤面し、口元を手布で隠し、ゲップをしながらも、皆に自分の恥ずべき姿を見てほしい、この姿こそ証拠です!……と叫ぶように言った。
『わ、私は15になっても縁談が来ず、学院に入学していた者です。ルナーベル先生の励ましがなければ、今頃結婚出来ずに修道院に入っていたことでしょう!ルナーベル先生を傷つけようとする者を私は許しません!ほら皆様、見て下さい!私はゲップが止まりません!ここにあるのは、ゲップが出てしまう恐ろしい飲み物でした!』
勇気ある男性の一人は大きくゲップを繰り返しながら、皆に自分の恥ずかしい姿を見せびらかした。彼も赤面しながら恥ずかしいという気持ちを堪え、皆に自分をよく見てくれ!……と言い、自分達が皆の代わりの姿なのだと大声で言った。
『僕は卒院生です!学院に在籍中、ルナーベル先生には本当の母のように親切にしていただいたのです!僕の母は流行病で亡くなっていて、僕は孤独で寂しかったけど、誰にもそれを言えなかった。でもルナーベル先生はそんな僕の孤独を感じて、僕に家族みたいな温もりをくれたのです。僕はそれが涙が出るほど嬉しかったんだ!僕は……僕が母のように思っている大事なルナーベル先生を辱めようとする者は誰であろうとも、けっして許しはしない!ほら皆様、僕らを見て下さい!僕らも……ここにいる勇気ある女性達も皆、ゲップをしているでしょう!この女は、ここにいる全員に恐ろしい飲み物を飲ませて、さっきみたいに嘲笑うつもりだったんですよ!』
彼らは皆、学院で”保健室の先生”のルナーベルに親身に世話をされていた者達ばかりだった。例え貴族とはいえ、一人の人間である彼らは、何の見返りも求めず、献身的に自分達の身を案じ、優しくしてくれた修道女への恩をけして忘れてはいなかったのだ。
あの恐ろしい飲み物を飲んだ卒院生達は目の端に涙を滲ませ、苦しげにゲップを繰り返しながらも、自分達は、大好きなルナーベル先生を守ることが出来たんだ!……と誇らしげな笑みを浮かべた。涙を流すルナーベルに、自分達は大丈夫だから安心するようにと口々に言った後、お互いの健闘を称え、皆の拳を一度、コツン!……と拳同士で付き合わせて、ニカリと歯を見せ、子どもみたいな笑顔で笑い合った。そしてゲップが苦しいので、肩ではなく、背中をお互い叩き合って、自分達の労を労い合った。
勇気ある女性達の夫達は、貴族として恥ずべき行為を皆の前でさらした妻達を褒め、優しく自分の胸に愛する妻をかき抱いた。
「「「なんて心の優しい女性だろう!なんて勇気のある女性なんだろう!素晴らしい!私は君と結婚したことは政略結婚以上の価値があると常々思っていたが、今日の勇気ある君を見て、それが間違いでは無いと確信したよ!君は金銀財宝よりも価値がある、誰よりも素晴らしい女性だ!君の勇気や、その優しさをとても愛しく思う。永遠の愛を君に誓わせてくれ!」」」
と口々にそう言って、妻のゲップが収まるまで、その背を摩り、ゲップが出なくなると皆、熱い抱擁と愛のこもったキスを贈った。勇気ある男性達は他の男性達に次々と、その勇気を称えられて、皆、男っぷりが上がったと、背中を摩られながら褒められた。中には未成年の娘を持つ貴族達が、彼らと縁談を持ちたいと言い出す者も何人も出た。
涙を流すルナーベルの頬を手布で優しく拭おうとする者がいて、ルナーベルは彼を見て、もっと涙を流す。仮面の弁護士は彼女を守る多くの味方が現れたことを喜び、彼女の涙を拭い、二人寄り添いながら、優しくて勇気のある若者達を柔らかい笑みで見つめていた。
その興奮が収まった頃、人々は悪魔の飲み物を皆に飲ませようとしたヒィー男爵令嬢に怒り出した。ヒィー男爵令嬢は卒院生の彼らがゲップをし出したのを見て、狼狽えだした。
「え?何で、こっちのソーダは炭酸を少ししか入れていないはずなのに……」
そう言って、形勢が悪いと思ったのか、ヒィー男爵令嬢は会場から逃げだそうとしたので、大司教子息と騎士団長子息が拘束し、舞台で蹲っていたヒィー男爵の横まで引きずっていった。王子が皆を代表して、ヒィー男爵令嬢に詰問した。
「一体どういうつもりだ、ヒィー男爵令嬢!?僕達に何の恨みがあって、こんな飲み物を飲ませようとしたんだ!皆が納得できるような説明をしてもらおうか!」
「わ、私は何もしていないわよ!だってこっちの分は炭酸を少なくしていたはずなのに……」
「「こっちの分は、だって?じゃ、ルナーベル先生に飲ませようとしたのは、何だったんだ!?」」
「あっ、あれは!?あれはイヴ「私が答えます!」」
娘の言葉を遮って、ヒィー男爵が大声を上げた。宮廷医師子息に体を支えられて立ち上がったヒィー男爵は、娘を睨みながら言った。
「む、娘は皆様に飲ませる分のソーダには炭酸水を少量しか入れず、大量の水道水を入れるようにと、領民達に指示していたんです。……わ、私はヒィー男爵領産と謳っておきながら、領地の炭酸水を少ししか使わず、水道水を大量に入れることは産地を偽装することであり、それは不正行為となるので、そうならないようにと娘が自作したソーダと同じ割合の分量で、私が領民達に指示し直したんです!
娘が自作したソーダは、その調合から瓶詰め、封印に至るまでの全てを娘が一人で作っていますし、新作発表の場でも娘以外には、誰も指一本だって触ってはいません!封印を開けるのもコルク栓を抜くのも瓶からグラスに注ぐのも、娘が一人でしていたのは皆様も見ていたはずです!娘以外の誰かが舞台の上のソーダに小細工することは不可能だと、私が証言いたします!」
「っ!?なんていうことを言うのよ!折角の私の計画が!これじゃ、ハプニングイベントが発生しないじゃないの!それにこっちのソーダの炭酸を私の作ったルナーベルに飲ませようとしたのと同じにしたのは、あんただったのね!余計な事しないでよ!これじゃ、もう言い逃れ出来ないじゃない!あの女になすりつけられなかったら”道具”のせいにしてやろうと思っていたのに!!」
娘に睨み返されたヒィー男爵は、やつれた顔で娘に言い聞かせようと口を開いた。
「こんなことをして言い逃れなんて出来るわけがない。誰かのせいになんて出来るわけがない。謝るんだ、リアージュ。私と一緒に謝ろう。悪いことをしたんだから誠実に謝ることが最低限の礼儀だよ、リアージュ。お前がそんな邪悪な性格の大人に育つまで放置していた私も悪かったんだ。だから二人で罪を悔い改め、一緒に罰を受けよう。それが大人としての正しい振る舞いなんだよ、リアージュ」
「嫌よ!私はちょっとだけ年増女を虐めてやろうと思っただけなのよ!こんなに責められるなんて、おかしいわよ!こんなの可愛いいたずらじゃない!あんた自分の娘が可愛くないの?どうしてくれるのよ!なんで”道具”がやったって、嘘をついてくれないのよ!あんたが領民達に指示し直したんだから、あんたのせいよ!そうだ!全部あんたのせいよ!!あんたがしたことよ!だって私、まだ16才だもの!児童福祉法圏内だもの!子どものしたことは全部親のせいよ!」
ヒィー男爵令嬢の、この物言いに今日の茶会に来ていた者達は騒然とした。
「ジドウフクシホウ?何の事だ?訳のわからないことを言って、我々を煙に巻く気か!」
「親のせいにして逃げる気か!?お前はもう16才だろう!女は16才で成人を迎えるんだ!お前は子どもではなく大人なんだから、自分のしたことは自分で責任を取るべきだろう!」
「炭酸水を二通り作るようにしたのなら、舞台の上のソーダは誰かが故意に炭酸を強くしたのではなく、お前が故意に炭酸を強くさせて飲ませようとしていたということじゃないか!」
「自分で作っておきながら親のせいにしようなんて、どこまでも図々しい女だな!謝罪ぐらいしろ!」
「ヒィー男爵には悪いところは少しもない!全部、お前が勝手にやったことじゃないか!ヒィー男爵の言う通りに悪いことをしたと認め、皆に……ルナーベル様に謝罪しろ!」
「嫌よ!誰が謝るもんですか!何で私が謝らないといけないのよ!私は何にも悪いことはしていないわ!こいつが全部悪いんじゃないの!私がしたことは、可愛いいたずらだけじゃない!怒られる意味がわからないわ!大人なんだから、もっと余裕を持って、可愛いいたずらぐらい笑って許しなさいよ!」
貴族達と生徒会の4人は、ヒィー男爵令嬢の物言いに、さらに怒りに燃えた。王子は宮廷医師に舞台の左下のソーダを一瓶、取りに行かせた。
「君が何を考えているのか、僕には……僕達にはわからない。君を入学式後に初めて見たときから僕達は君が好きではなかったが、今ではハッキリと君が大嫌いだと言える!一人の人間を大勢の前で辱めようとするなんて、君はどうかしている!さらには自分のしでかしたことを認めず、全てを親のせいにして謝罪もしないとは何事なんだ!こんな愚かな貴族令嬢なんて初めて見る!いくら病気のせいとはいえ、許しがたい!
今日の茶会は、これで終わりだろう。この後、君には事情聴取で詳しいことを全て聞かせてもらうが、まずは罰を受けてもらおうか。君は……可愛いいたずらだと言ったな。そしてそれに対して謝罪はしないと……笑って許せと言ったな。……それなら、その可愛いいたずらとやらを君自身が体験しろ!人前でゲップをしてみせろ!僕達はそれを、さっきの勇敢な者達の勇気ある行動と同じとは見てやらないぞ!君のことを下品な令嬢だと全員で嘲笑ってやる!君がルナーベル先生や皆にしようとしたことがどういうことか、身を持って知らしめてやるから、さっさとこれを飲め!」
「い……嫌よ!誰が、そんな恥ずかしい真似、出来るもんですか!そんな恥知らずな!人前でゲップをさせようなんて、酷すぎる仕打ちだわ!」
「フン!語るに落ちたな!その酷すぎる仕打ちをさせようとしたのは、どこの誰なんだ!いいから、飲め!これは王子命令だ!飲まなければ、王家の遠縁といえど、牢にぶち込むぞ!それを飲んで、嘲笑われる者の気持ちを味わえ!」
ヒィー男爵令嬢は、王子の命令でソーダを飲まねばならなくなった。貴族達の怒りの視線の中、ヒィー男爵令嬢は渋々ソーダを一口、口に含んで顔をしかめた。
「うげぇ!?甘ったるぅ……、何これ?……これ、子供用の風邪シロップの10倍くらい激甘じゃね?しかも生ぬるい……冷えてない炭酸飲料なんて最悪じゃん。こんな甘ったるい激マズのソーダなんて飲めるわけ……うっ、気持ち悪ぅ!」
「いいから、さっさと飲……うわっ!!」
次の一口を中々飲もうとしないヒィー男爵令嬢に痺れを切らし、王子が先を促そうと声を掛けたときだった。
『うえぇぇぇえ、き、気持ち悪う……、うえぇ!!』
と、言う声と共に突然ヒィー男爵令嬢は舞台の上で、へディック国中の上下貴族達の目の前で嘔吐し出した。こんな公衆の面前で、茶会の接待役であるヒィー男爵令嬢が、一番の醜態を舞台の上で晒しただなんて……と皆、ズザザッ……と一斉に舞台から後ずさっていった。ヒィー男爵令嬢は、何度も嘔吐したと思ったら、そのまま吐瀉物の上に倒れ込んで気を失った。
「リアージュさん!?」
ルナーベルは慌てて舞台の上まで上がっていき、修道服が汚れるのも構わずヒィー男爵令嬢を抱き起こし、彼女が自分の吐瀉物で窒息するのを防いだ。ルナーベルは自分の手布でヒィー男爵令嬢の顔を拭い、声を張り上げた。
「誰か!若先生を早く!」
ルナーベルの声かけで、我に返ったヒィー男爵は慌てて医師を探し、生徒会の4人が休息所から若先生を連れてくるまで、上下貴族達は自分を貶め、嘲笑おうとしたヒィー男爵令嬢を献身的に介抱する”保健室の先生”のルナーベルに、尊敬と敬愛の眼差しを注いだ。「なんて優しい!」、「まるで聖女だ!」、「女神様だ!」、「あんな女を見殺しにしても誰も文句を言わないのに!」と褒め称えていたが、男爵令嬢の介抱に夢中だったルナーベルは、……やはり聞いていなかった。
生徒会の4人が若先生を連れてきたが、あまりにヒィー男爵令嬢が汚れているから診察が出来ないと若先生が顔をしかめて言った。そこで何人かの使用人達が休息所の横のトイレに置いてあった、水の入ったバケツを持って来て、ヒィー男爵令嬢の頭から水をかけた。
水をかけられたヒィー男爵令嬢は、汚れはある程度落ちたが、今度は牛乳を拭いた後の古雑巾みたいな匂いが全身から立ち上っていた。若先生は汚れは取れたが、この匂いは……と顔をしかめ、それでも、これなら何とか視診が出来ると言い、その場で男爵令嬢の視診を始めた。




