ルナーベルとヒィー男爵家の茶会⑤
ヒィー男爵令嬢は銀色のスプーンを取り出し、自分の名前をつけた苺ソーダのコップに差し込み、毒ではないことを皆に証明して見せてから、ワイングラスをルナーベルに渡した。ルナーベルがグラスを持つとヒィー男爵令嬢はニヤリと歪な笑顔を作った。
「これは少しづつ飲むのではなく、一気にクイッ!と飲む方が喉ごしを楽しめますの。ルナーベル先生、いつもありがとうございます。さぁ、飲んで下さい!」
「え、ええ!ありがとう、リアージュさん。では、いただきますね」
ルナーベルがヒィー男爵令嬢の感謝の言葉を素直に受け止め、勧められるままに飲もうと考えたときだった。ゲッフ!ゲッ!グルルルルルル~!!……とへディック国中の上下貴族が集まる講堂内の一番目立つ舞台中央で、ルナーベルは大音量のゲップとお腹の音が自分の隣から聞こえたので驚いて、誰もいないはずの隣を見て目を丸くした。
シンと静まりかえった会場内でヒィー男爵令嬢は醜悪な笑顔を浮かべ、いきなり大声で話し始めた。
「ざまぁみろ!思い上がった若作り女め!私はね、私を馬鹿にした女は絶対に許せないのよ!これにこりたら”道具”は道具らしく、私のサポートだけしてなさい!」
ヒィー男爵令嬢はルナーベルを指差し、腹を抱えて大声で笑いだした。
「ギャハハハハ!!ざまあないわね、ルナーベルせ・ん・せ・い?さすが”社交界の鳴き腹”ですわね!大音量すぎて涙が止まりませんわ!アハハハ!!先生?私じゃ、王子達は無理だって言いましたわよね?身分がふさわしくないって、暗に言ってましたわよね?
これを見てよ、先生?こんなに大勢が私のために集まったのよ!これでも私が誰にも見向きされないって思う?あんたは私のサポートだけしてればいいのよ、おばさん!あんたの心配は無駄なのよ!だって私は、この世界のヒロインの”お姫様”なんだから!!キャハハ、ウッヒャッヒャヒャヒャ、アハハハ!!」
ヒィー男爵令嬢は舞台の上で一人、大声で笑い続けた。その目は変に据わってて、やたらめったら大声で話し、ゲラゲラと下品に笑う姿に誰もが、やっぱり……とあることを確信した。
「「「やっぱり、ヒィー男爵令嬢は酔っ払っているのか!」」」
「まぁ!やっぱり夜会からそのままでしたのね!茶会の接待役なのに、あまりに無責任すぎますわ!」
「貴族の社交を何と思っているんだ!遊びではないんだぞ!社会人としての自覚がなさ過ぎる!」
「まだ自分が子どもだとでも思っているのか?子どもでもやっていいことと悪いことがあるし、私達を馬鹿にしているにも程がある!!」
「それに今言っていたことが本心なら、彼女はルナーベル様にゲップをさせようとしていたことになる!」
「本心だろう!あの令嬢は昔から使用人を虐めるのを好む性格だと聞いたことがあるぞ!」
「それに自分よりも美しい者に生ゴミを投げつけたり、領民の美しい魔性の者の少年を鞭打とうとしたり、武芸者の孫や医者の息子を酷い言葉でからかっていたらしいぞ!」
「学院では大事な式典である入学式に遅刻してきて出られず、ヒィー男爵令嬢の落とし物を拾ってあげたルナーベル様の胸を触って暴言を吐いたり、子どもや年寄りに暴力を振るっていたらしいわ」
「何て恐ろしい令嬢でしょう!あんな人の傍にいたら、私達まで暴力を振るわれてしまうかもしれませんわ!」
「何ということだ!へディック国中の上下貴族が集まる茶会で、一人の女性を笑い者にしようとするなんて!」
「あの令嬢は自分の家がどうなってもいいのか!?」
「あまりにヒィー男爵が不憫すぎる!!」
「誰かを陥れるためだけに貴族達を集めて晒し者にしようとするなんて、まともな人間じゃない!」
「やっぱり入学式前の病気で、正気を無くしてしまったようだ!」
「貴族どころか、あれは本当に人なのか?あんな卑劣なことを考えるなんて悪魔のようだ!」
「……それにしてもヒィー男爵令嬢は同じ舞台の上にいるのに、何で彼に気づいていないんだ?」
「やっぱり酒だろう、見てみろ、あれ!こんなに私達が騒いでいるのに、こちらの声はまるで聞こえていないみたいに、腹を抱えて笑い続けているだろう?」
舞台下の上下貴族達はあまりのことに呆然としてしまい、ルナーベルはというと、眉をヘニョとさせて隣の人物の背を優しく摩っていた。グエッ!!ゲップ!ゲッ!……、と広い会場内で、ヒィー男爵令嬢一人だけの笑い声だけが響く中、さっきのゲップよりも大きなゲップの音が会場内に響いた。
「うぅ~、ゲップ、ゲップ、ゲェ!!いや~失礼しました、皆様すみません!ウップ!ウッ!う~、これは相当な炭酸ですね、ヒィー男爵令嬢?こんなの誰が飲んでも直ぐにゲップしてしまいますよ!」
会場中の者達が舞台の上でルナーベルの隣に立つ者を見る。その男は舞台の上に突然現れて、ルナーベルが手にしていたワイングラスを奪い取ると、中に入っていた液体をグイッ!と全て飲み干した。さっきのゲップも今のゲップもルナーベルではなく、この男がしたものだった。
「ゲェ、ゲェ!ゲップ!うう~まだ出てくる。またまた失礼しました。これは本当に恐ろしい飲み物ですね。こんな恐ろしい飲み物を一体何のために作ろうと考えられたのですか、ヒィー男爵令嬢?もしかして……ルナーベル先生を嘲笑ったように他の貴族達をも嘲笑うためだけに、これを作られたのですか、ヒィー男爵令嬢?」
「な、なによ!アンタ誰よ?なんかしょぼくれたみっともない格好をして、さてはアンタ平民ね!平民がこんなとこ来ていいと思っているの!無礼者!さっさと立ち去りなさい!鞭をくれてやるわよ!」
男は自分の背中を摩るルナーベルに礼を言った後、自身の背にルナーベルを隠すように立ち、背筋を伸ばして言った。
「私は弁護士です。貴族の皆様からは”仮面の弁護士”または”仮面の先生”とも呼ばれている者です。今日は、この茶会の責任者であるヒィー男爵と、この学院の責任者である学院長から依頼されて、ここにいました。依頼は監察官として茶会中の命令違反や契約違反がないかを審査する仕事でした。私はあなたがカロン王の命令違反と契約違反をしようとしたので、ここに上がってきたのです」
仮面の弁護士は激しい怒りの感情を仮面で隠しながら、リアージュと対峙した。仮面の弁護士は舞台上から会場内にいる全ての上下貴族達に見えるように、ワイングラスを高々と上げた。
「この”リアージュソーダ”と名付けられたものは、確かに紅茶でもお酒でもない新しい飲み物でしょう。味も喉ごしも……慣れると楽しめるかも知れません。しかし!これを飲む前には事前に飲む者と周囲の者に、この飲み物の説明をしないといけないのです。ヒィー男爵令嬢は、その事前告知を怠って、さらにはルナーベル先生の名誉と尊厳を傷つけようとした!これはカロン王の命令違反と契約違反となります!!」
「な!?何よ、それ?王の命令って何のことよ?命令なんて知らないわよ!契約なんて知らないわよ!それに命令を破ろうが契約を破ろうが何てことないわよ!だって私は貴族だもの!身分差が厳しい、この国では平民なんて、貴族の好きに出来る便利な”道具”じゃないの!
ルナーベルは保健室の先生だけど、平民だと言っていたわ。なら、こんな事をしたって平気よね。何せ私は貴族で、この女は平民なんだから。この国は身分差に厳しい国で貴族が優遇される国よ!平民に何したって、貴族は許される!この国は、貴族のためだけの国なんだから!!」
ヒィー男爵令嬢は、そう怒鳴ると仮面の弁護士を睨み付けた。会場の者達は二人の動向を固唾を飲んで見守っていた。静かに睨み合う中、学院長と生徒会の4人が顔を青ざめさせたヒィー男爵を伴って、右側の階段を上がって、舞台へとやってきた。仮面の弁護士は学院長とヒィー男爵の姿を確かめてから懐に手をやり、二枚の書類を取り出した。
「この二枚の内一つは10年前に亡くなった私の雇用主であった公爵がカロン王の命令で作成した国内の治水工事の区域別土地調査報告書のヒィー男爵領の報告書です。
ヒィー男爵領には入浴利用できる温泉と飲用できる炭酸泉があり、この場で用意された飲み物は炭酸泉の水を利用して作られた飲み物なので毒ではありませんが、その時の調査で炭酸水は飲むと大量のゲップが出ることが判明していましたので、カロン王はヒィー男爵に炭酸水を用いるときは事前に周囲に通知しないといけないと私の雇用主を通して、命令を出しました。
ゲップをしてしまうことを知らないで飲んだ者は相当強い精神的負傷を負い、事情を知らない周囲の者は飲んだ者の尊厳を踏みにじりかねないから……との配慮からなされた命令だったことも私は覚えていますし、その時にヒィー男爵は受け取りと了承の手紙を私の雇用主の公爵に渡しています。二枚目の書類は私が雇用主から預かっていた、その受け取りと了承の手紙です」
仮面の弁護士は2枚の書類を学院長に渡し、中身を確認してもらい、学院長はその正当性を認める証人となった。
「ですから、この茶会でヒィー男爵令嬢がヒィー男爵領の炭酸水を誰かに飲ませる前には、必ずここにいる全ての者に対しての事前通知が必要だったのです。ヒィー男爵令嬢は、それを怠ったので命令違反となりました。
そして先ほどヒィー男爵令嬢は、ルナーベル先生は平民だから自分の好きに出来る……とおっしゃいました。ここが男爵家の屋敷なら確かにそれも許されたでしょうが、皆様はここがどういう場所であるのかは、ご存じですよね?ここはカロン王が学院にいる平民を全て守るために校則を作られた学院内の講堂です。
ここでは全てが逆転するのです。貴族はここでは強者ではありません。ここはカロン王が庇護する平民を守る場所なんです。この場所で犯した法律違反や契約違反は貴族・民を問わず等しくカロン王の名の下で、必ず正しく処罰をされるのです!さぁ、ここから先は学院長とヒィー男爵のお二方に弁護士の私の立ち会いの下で結んだ契約について話していただくことにしましょう」
※ナィールがルナーベルの代わりにソーダを飲みました。仮面の先生=仮面の弁護士による、ざまぁ……金色のスクイレルの罠が発動しました。治水工事の区域別土地調査報告書は、ルナーベルの悪役志願のお話に出てきます。アンジュリーナが14才で初めて女の子の日になって、気を失ったと聞いたイミルグランがそれを放り出して彼女の見舞い品を持って駆けつけたお話です。
※リアージュの夢の中で、リアージュが心の中で思っていたことは、現実の茶会では大声で自分から言っていました。(酔っ払いの人は、たまに大声で話しますね)また夢の中で、ルナーベルがゲップをした時に舞台下から貴族に責められていた声は、現実ではリアージュに対しての貴族達の驚きと呆れの声でした。




