菫を守る金色のスクイレル
「え?それって、もしやヒィー男爵令嬢の茶会の事でしょうか?」
ニコニコと笑いながら『男爵令嬢にお茶会に誘われて行くことになりました』と、職員室まで言いに来た修道女の言葉に仮面の先生は目を丸くして、思わず聞き返してしまった。
「ええ、そうなんですの。私はもう貴族ではないからとお断りをしたのですが、リアージュさんが今度初めて茶会の接待役をするので、不安だから私に傍にいてほしいと何度もおっしゃって……。いきなり保健室にやってきて、怒り出したときはどうしたのかと思いましたが、どうやら彼らに私を取られると思って、ヤキモチを焼いていたようなんですの!……私、こんなふうに好かれるなんて、何だか照れくさいですが、とても嬉しいです。だから少しでもリアージュさんが社会復帰出来るように、茶会は苦手ですが頑張ってきますね!」
ニコニコと人の良さそうな笑顔の修道女の言葉は、職員室中の教官達の心をほっこりと癒やし、仮面の先生は……軽く頭痛を覚え、片手で頭をガリガリと掻き、仮面の奥で眉をひそめた。
仮面の先生は本来の姿を隠して学院ではしょぼくれた中年男性の姿でいるのだが、ヒィー男爵令嬢は入学式の10日後に職員室に来て剣術指南の教師を呼んでくれと言うので、何の用だろうか?と思いながら彼女の前に出ていった。すると仮面の先生の姿を見た途端、彼女は下品な舌打ちをしてみせ、こう呟いた。
「チッ!ミグシリアスじゃない方か。つまんないの!せっかく攻略対象者4人と同室になったから、彼も仲間に入れてあげようと思ったのに、しょぼい中年男なんて冗談じゃないわ!これじゃ、逆ハーレムルートは諦めなきゃダメじゃん!」
ヒィー男爵令嬢はブツブツと大きな独り言を言った後、自分が呼び出した仮面の先生に話しかけることもなく去って行った。
(?!何であの子は”ミグシリアス”を知っているのだろう?それにどうしてミグシリアスが、教師をしていると思っていたんだろう?逆ハーレムって何のことだろう?)
そう怪訝に思った仮面の先生は、入学式後の騒動を起こしたヒィー男爵令嬢を警戒し、けして心は許さず、話しかけることも話しかけられることも避けて、彼女の前では気配を消して、つかず離れずの距離を取るようにと仲間達にも通達していた。
この一ヶ月、あのヒィー男爵令嬢は実に優秀な道具だった。学院で彼女と係わった生徒会の4人は、腹芸を忘れ、普段なら絶対口にしないような愚痴や、内部の秘密情報を赤裸々に、保健室のルナーベルや仮面の先生に話してくれるようになっていた。
この不思議な現象は、貴族の社交の場でも同様に起きた。礼儀作法や貴族の身分差を忘れて令嬢とは思えない言動をする彼女と係わった老若男女の貴族達は、普段の腹芸を忘れるほど彼女に怒り呆れた。そして少しもまともな会話が成り立たない彼女に飽き、彼女はいない者として、自分達で会話を始めるのだが、その会話の中に、普段なら絶対口にしないような自分達の秘密や、国に係わる重要な秘密を語る者が出始めたのだ。
ヒィー男爵はリアージュのために、この一ヶ月かなりの予定を詰め込んで、へディック国の王都で行われている茶会や夜会に娘を連れ回していたので、ヒィー男爵令嬢はカロン王以外の貴族達と一応は、全員と顔合わせは済ませていた。貴族の社交界に潜んでいる仲間達は、その時のことをこう報告している。
『あんなに奇妙な現象は今まで見たことは一度もありません。男爵令嬢は聞き上手ではないし、誰からも信用なんてされていないのに、我々が目星をつけていた相手に限って皆が皆、彼女と二、三言、言葉を交わすとその後、自分の心に秘めている気持ちや秘密をベラベラと話し出すのです。
何が彼らの心に作用しているのか、わかりませんが、長年潜入していてもわからなかった秘密を彼らは、どうせ彼女は聞いていないだろうと、言って周囲の目を忘れて、しゃべり出すんです。そして秘密を話しているというのに、その自覚がないのです。同席している貴族達もそれに気づかないし、話が終わって数分経つと話していたことも忘れてしまっているようなんです。彼女は一体何者なんですか?』
潜入者や協力者達は前もって彼の通達を聞いていたので彼女を警戒し、社交の場でも学院でも気配を消して、彼女に絶対近づきはしなかった。つかずはなれずの距離を保ち、ヒィー男爵令嬢が係わった全ての社交の場での話をしっかと全部聞いていた。その報告を聞いた仮面の先生は、彼女の才能には一目置いていたし、感謝もしていた。
(彼女の一体何が、貴族達の警戒心を崩すのだろう?ルナーベル嬢や寮の関係者達は彼女と係わっても何も起きないのに、貴族達……特に王に近い者達にだけ、それが起きるなんて?)
仮面の先生は本業が別にあったから、毎日は学院に来ることが出来なかったが、学院の職員や生徒会の彼らや仲間達から、ヒィー男爵令嬢の様子を詳しく知ることが出来ていた。彼らの話を聞いて、仮面の先生はヒィー男爵令嬢のことを、16才の可愛らしい少女の姿をしていても、その内面は醜く、人を人とも思わない高慢な姿は、まるで悪魔のようだと思っていたので、仲間に入れる気はさらさらなかった。ヒィー男爵令嬢が仲間に入れなかったように、彼も彼女を便利な道具として扱うことにした。なのでルナーベルを茶会に誘ったヒィー男爵令嬢の行動を、仮面の先生は当然のように怪しんだ。
(……多分、というか絶対に男爵令嬢は彼らにルナーベル嬢を取られるじゃなくて、ルナーベル嬢に彼らを盗られるって思っているんだ!それにしても、何を企んでいる?本当に傍にいて欲しいだけなら、問題はないだろうが何かが怪しい。何をしようと考えているんだ?
どれだけ俺達の計画にとって、なくてはならない逸材でも、俺は仲間を傷つけるヤツは……、あの人を傷つけるヤツは絶対、許さない!俺はもう、大事に想う人を二度と失わせるようなヘマは絶対しないと誓ったんだ!
あのころは子どもだったが、今は違う!俺は大人だし……仲間達が、あいつが味方してくれている!俺は一人じゃないんだ!俺は……もう闇に潜む”復讐者”じゃない!俺は仲間を、親友を、愛する者を守る者だ!俺は銀色の妖精王の……あいつの親友で今では”菫を守る金色のスクイレル”なんだ!”スクイレル”は、万が一を考えて備える者だ!もしもに備えて、考え、守る者だ!
考えろ……、考えろ、俺!あの醜悪な令嬢は何をしようとしてるか、考えろ!心根が腐った人間が好むことは何だ!?考えるだけで反吐が出そうな悪巧みを全て予想しろ!ルナーベル嬢がそんな悪魔の罠に落ちる前に!)
頬を染め可愛らしく笑う修道女の顔を、それ以上他の教官達に見せたくないと思った仮面の先生は、彼女を保健室まで送ると言って立ち上がり、彼らの視界から修道女を隠し、職員室を二人で退出していった。
ヒィー男爵令嬢が初めて接待役としてお茶会を開き、そこで新作発表すると仕事の付き合いで聞いたと言い、普段、口を聞いたこともないような上級貴族達が是非とも、その茶会に招いてくれと、次々と茶会や夜会で、ヒィー男爵に話しかけてくるようになった。ヒィー男爵は長くヒィー男爵代理をしていたが今まで一度も、こんな経験をしたことがなかったので困惑し、狼狽えた。いつもなら微妙な立ち位置にいるヒィー男爵家との社交を避けがちな彼らが、どうしてこんなに積極的に?……と訝しみ、それほど娘の揚げ物の知識は上級貴族に受けが良いのかと喜び、……困ることになってしまった。
ヒィー男爵家の王都の屋敷は狭く、大勢の上級貴族を受け入れられるような建物ではなかったし、領地の屋敷を茶会に使うには、場所が遠すぎたからだ。そこで付き合いのある貴族の建物を借りようとしたが、どこの家の建物も借りることは出来ず、……まぁ、彼らの家だって下級貴族の家だから上級貴族を受け入れられない建物なのだと暗に告げられたのだが、茶会に出たいと言い出す上級貴族は、日を追うごとに増えていき、上級貴族と親しくなりたい、下級貴族達も噂を聞きつけて、自分達も茶会に招いてくれと押し寄せられ、こんな大人数だと並大抵の広さの建物では、とても収容出来ないと困っていたヒィー男爵は、ある日夜会の酒の席で親しくなった見慣れない紳士に、良い場所があると教えてもらった。
「へぇ、お茶会ですか……、ほう、そんなに大人数が来たいとおっしゃっているなんて羨ましいです。ああ、でも、どこの男爵邸でも手狭で、上級貴族の方の機嫌を損ねそうですよね。ああっ、そうだ!学院の施設を借りてみるのはいかがですか?私の知り合いが借りたことがあって、とても良かったと言っていましたよ。学院の講堂なら、全ての貴族達を受け入れられる設備が全て揃っていて、全員を受け入れられそうですよ」
この言葉を聞いたヒィー男爵は毎日娘を学院に迎えに行っていたので、講堂の大きさを知っていた。あの講堂なら確かに、茶会に来たいと言っている全ての貴族を受け入れられると思い、ヒィー男爵は彼に礼を言った。
そして次の日に早速、学院の講堂を借りるために学院長に打診しようと学院にやってきたら、通された応接室には学院長と仮面の弁護士がいたので、ヒィー男爵は、とても驚いて嫌な気持ちになった。
ヒィー男爵は、仮面の弁護士とは初対面ではなかった。初対面どころか、彼とは何度か顔を合わせており、その度にいつも嫌な目に遭うので、どちらかというと、顔を合わせたくない人間だったのだ。
(まぁ、弁護士の彼は、その胡散臭い見た目に反して誠実な仕事をすると噂される腕利きの弁護士で、噂通りに彼は、誠実に仕事をしているだけなんだがな……。だが彼と係わる度に、ウチは困窮していくのだから、私が彼を疫病神みたいに思うのも、仕方の無いことだ)
貴族の処世術により嫌悪の表情を隠し、驚きの表情だけを浮かべることに成功したヒィー男爵に、学院長は仮面の弁護士の同席の理由について話し始めた。この学院をカロン王が新たに建て直しをしたときに、カロン王が監修した学院法があるのだと言い、机の上に王印の捺印が入った、分厚い法律の本を置いた。これはカロン王が男女共学や平民の入学を決めたときに、カロン王の名の下に作成されたもので、公的な施設である学院の講堂の貸し借りにはいくつかの法律があるのだと学院長は言い、仮面の弁護士は法律の本をめくって、その箇所をヒィー男爵に見せた。
学院にいる全ての平民を貴族の都合で、貴族の行事に付き合わせる際の権利の確認や平民の安全保障、トラブルが発生したときの責任問題等のきちんと細かい取り決めを明確化する必要があるとも彼らは言い、お互いが納得する契約を決め、それを文書化し、弁護士の立ち会いの下で契約することが法律で決まっているのだと言った。そのために仮面の弁護士に同席を頼んだのだと、学院長はヒィー男爵に説明した。ヒィー男爵は、なるほどと頷いた。
(そうか、ここはカロン王のお気に入りの学院だ。王が建てた講堂を借りるのだから、弁護士が出てくるのも当然のことだな)
仮面の弁護士の見守る中、学院長と話し合い、書面に起こして、正式な契約書を作成した。契約書は3部作成され、学院長とヒィー男爵と、契約立会人の仮面の弁護士が、それぞれ一部ずつ手元に持つことになった。




