※悪役志願~ルナーベル③
へディック国の国王の住む城よりも格段に小さい屋敷だけど、国中で一番美しい白亜の屋敷で結婚披露宴が行われている。あれから2年が過ぎ、16才になったアンジュリーナは、シーノン公爵と結婚式を挙げた。
アンジュリーナの首には、美しい16個のダイヤモンドを使って作られたネックレスがキラキラと光り輝かせている。シーノン公爵家の使用人は皆老人で11人しかいないはずなのに、一人が100人分の働きをしているような錯覚を覚えるほど、料理も給仕も全てが王宮よりも素晴らしいと招待客は褒め称えている。ルナーベルは、自分のテーブルに並べられた料理を口にする。
(……何て優しい味だろう)
アンジュリーナにルナーベルの持病のことを聞いたから……とシーノン公爵は、見た目は他の招待客と同じ料理に見えるが、ルナーベルの食事だけ、お腹に優しい料理をと、油や香辛料を控えめにしてくれていた。
ルナーベルは今日の宴の新郎新婦を見る。なんて似合いの美男美女だろうか。アンジュリーナが太陽の女神ならシーノン公爵は月の男神だ。
いつも美しいアンジュリーナは今日は一段と美しく、そして不機嫌顔のシーノン公爵は、新婦を見つめるときだけ、その眉間の皺が消え、絶世の美青年の容貌を持つ新郎となっていた。この男性の横に立てるのは、よほどの美女でなければならないと、客はうっとりと彼を見て、新婦がアンジュリーナでよかったと笑い合う。
ルナーベルもそう思う。彼の優しさに釣り合うのは、アンジュリーナしかいない。彼女の優しさに釣り合うのは、シーノン公爵しかいない。外見も中身も二人は美しく、優しい心も同じだった。
(おめでとう、アンジュリーナ!幸せになって!)
声の出ない口を一生懸命開けて、拍手を送る。アンジュリーナは涙ぐみながら、ルナーベルに笑顔を見せた。
(良かった、アンジュリーナ!幸せそう!)
……一年前、ルナーベルは父親の奸計により、騙される形で無理矢理、ふしだらな貴族が爛れた情交を楽しむ仮面舞踏会に放り込まれ、カロン王に貞操を奪われそうになった。抵抗したが部屋に引きずりこまれ、あわやこれまでかと諦めたとき、常時ルナーベルを困らせる、あのお腹の音とおならに窮地を救われ、アンジュリーナと、その婚約者に助けられて、貞操の危機から身を守ることが出来たのだが、ルナーベルは、あの後すぐに、シーノン公爵やアンジュリーナに内緒で、城に父娘で呼びつけられたのだ。
ルナーベルは知らなかったが、どうやらルヤーズがカロン王に側妃の打診をしていたらしく、あの時の仮面舞踏会での逢瀬が、その条件だったらしかった。そちらが持ちかけた話なのに、約束を破るとは何事かと、カロン王の名誉を傷つけたとして側妃の婚約話を白紙に戻された。ルナーベルは父の目の前で、口にするのも憚られるような悪言雑言をカロン王に罵られ、聞くに堪えない侮蔑と嘲笑をずっとまくし上げられ、終いには、
「こんな臭くて恥知らずな女をいつまでも侯爵令嬢でいさせるな、貴族の恥だ」
と、暗に貴族位剥奪と追放を告げられた。……ただ、カロン王の大事なシーノン公爵の姪御となるから、すぐにはダメだと言われ、20才ごろなら婚期が過ぎたと言い訳が立つから、それからにしろと命じられてしまった。そしてこの事は、くれぐれも口外するなときつく命じられ、念押しをされて、城を放り出された。帰宅後、父はルナーベルを激しく叱責した。
「王に体を開かなかったお前が悪い!!煩い腹と臭いおならばかりのお前でも嫁にもらってやると、お情けをくれた王に何という恥知らずなことをしたんだ!この親不孝者!!」
ルナーベルは父に罵声と共に頬を叩かれた。ルナーベルはカロン王に襲われた衝撃よりも、実の父の暴言と暴力に心を深く傷つけられ、その後、声が出なくなってしまった。
領地から帰ってきた祖父母とルナーベルの母は、怒り心頭のアンジュリーナの早馬の手紙により、事の次第を把握していたらしく、帰宅するなり、ヤーズは息子を殴り飛ばし、侯爵の跡取りを次男にすると宣言し、ルヤーズを糾弾した。母もルヤーズが悪いと言ってくれたので、幾ばくかはルナーベルの心は救われたが、声は出ないままだった。声が出なくなったルナーベルは、それからずっと持病が悪化したからと、全ての社交から遠ざかり、領地の田舎に母と引っ込んで暮らしていた。
今日はアンジュリーナの結婚式で一年ぶりに王都に来たが、後4年経てば、20才でカロン王の命令通りに、北方の修道院に入るのだ。修道女になれば、もう貴族ではなくなるし、結婚だって出来なくなるがルナーベルは、これで良かったのかもしれないと思った。侯爵令嬢ではなくなった自分は、もう毎日のように父に叱られることもない。貴族ではなくなった自分は、体調をさらに悪化させる茶会や夜会に出ないですむ。貴族でなくなれば、心が伴わない政略結婚などしなくてもよくなるのだ……。
今まで自分によくしてくれた、世界一大好きなアンジュリーナの幸せを見届けて、ホッとした気持ちでいたルナーベルは、その4年後、カロン王によって、自分の一番大事に思っているものを奪われた。誰よりも幸せになってほしいと願っていた叔母夫婦の幸せを、カロン王が奪ったのだ。
修道院に入ってしばらくしてから、ルヤーズとアンジュリーナの両方から手紙が届いた。父の手紙には、アンジュリーナがシーノン公爵と離縁し、外国に飛び出して行ったことに激怒し、アンジュリーナと絶縁したことや、もし彼女が修道院に尋ねてきても追い返せと書かれていた。
ルナーベルは、あんなにお互いを想い合っていた二人が離縁するなど、とても信じられないと驚き、アンジュリーナの手紙を急いで開いた。すると彼女の手紙には、とんでもないことが書かれていた。
(シーノン公爵とあの子が死んでしまうかもしれないですって!?)
アンジュリーナの手紙には、身体が常に不調なシーノン公爵が、毎日長時間、城で本来の事務次官の仕事だけではなく、カロン王の仕事をほぼ丸投げされて、それらの仕事に追われていることや、それなのに王や他の貴族に、複数の大臣やら宰相の仕事まで、させられそうになっていて、このままでは過労死という、恐ろしい病気で、心臓が止まってしまいそうだと書かれていた。そして、アンジュリーナが生んだ神様の子どもにも父親と同じ体の不調があり、このまま放っておくと二人の命が危ういと文章は続いていた。
夫と娘を愛しているから、彼らの病を治す手立てを見つけるために外国に行ってくる。だから留守の間、二人の様子を見に行って欲しい。私のたった一人の姪で、世界で一番信頼している親友のルナーベルにしか頼めない。どうかよろしくお願いします……と、結びの言葉で閉じられた、その手紙にルナーベルは慌てた。修道女の修行は一年間外出禁止が決まりだったが、何とか外出できないかと、筆談で修道院長に掛け合い、大司教の了承が得られれば構わないと言われ、大司教に手紙を書き、返事を待っている間に……その事故が起きた。
シーノン公爵とその娘が、北方にある療養施設を目指して、貴族を辞めて旅立ったが、途中の崖崩れで馬車ごと落ちて、二人とも亡くなってしまったのだ。ルナーベルは茫然自失になってしまった。
二人は北方の修道院にいるルナーベルを頼ろうとしたのではないだろうか?誠実な彼が、こんなに慌ただしく公爵辞退をするなんて、よほどの病状だったのに違いない。アンジュリーナの手紙にあった通りに、カロン王がシーノン公爵を酷使し疲労させ、追い詰めたのだ。しかもルナーベルを自分の思い通りにいかなかったからと北方の修道院に入れるように命じたのもカロン王だった。
(こんなに遠くの修道院でさえなかったら……。アンジュリーナの手紙も直ぐに受け取れただろうし、私だって、手紙を受け取って直ぐに二人の様子を見に行けたのに!そうしたら、二人は事故死なんてしなかったかもしれないのに!アンジュリーナの最愛の家族を殺したのは、あの人だ!!)
『ぅぁ、ぁ・・・ う゛ぁああああああぁぁぁ!!』
ルナーベルは気づいたら、大声で泣き叫んでいた。




