※悪役志願~ルナーベル②
ルナーベルよりも3ヶ月誕生日が遅いアンジュリーナが14才になって、しばらくたったある日のこと、突然アンジュリーナが、茶会で目眩を起こして倒れた。ルナーベルは目の前で倒れるアンジュリーナを慌てて支えた。
あんなに元気だったのに、どうして!?……と休憩室に運ばれていく彼女にルナーベルは付き添った。アンジュリーナは休憩室でコルセットを締めるリボンをハサミで切ってもらうと、フウ~とため息を一つついた後、ルナーベルに腹痛を訴えだした。
よくよく詳しく話を聞いてみるとアンジュリーナは、その日の朝に初めて、女の子の日になり、痛いのを我慢して無理して茶会に出席をしたが、どうやら月経痛が強く出る体質だったみたいで、頑張って社交を続けていたのだが段々と痛みがひどくなり、我慢の限界が来て、目眩がしたようだとルナーベルに語ってくれた。
「う゛う~!痛い痛い痛い!マジ痛いから、勘弁してくれ!ホントにごめん!全世界の女性に謝るから、ホントに許して!マジで痛いんだよ!……なんで、この世界には”鎮痛剤”がないんだよ!」
ベッドの上を転げ回り、わめき苦しむアンジュリーナの腰を、ルナーベルはひたすら摩っていた。ルナーベルはアンジュリーナより2年も早く、大人の身体になっていた。ルナーベル自身は月経痛をまったく感じない体質だったけれど、女性だけの茶会で女の子の日の痛みには、摩ると楽になるという話をよく聞いていたので、アンジュリーナが少しでも楽になれば……と日頃の感謝の気持ちをこめて摩った。
「ありがとう、ルナーベル。少し楽になってきたわ!さすが私よりも3ヶ月もお姉さんなだけあって、物知りなのね!」
と、痛みが楽になったと喜ぶアンジュリーナに、感謝と尊敬の瞳で見つめられてしまったルナーベルは照れながらも、ポン!と自分の胸を叩いた。
「ふふふ!2年前に大人の女性になった私は、アンジュリーナよりも女の子の日の先輩なのよ!だから女の子の日で辛い時は、いつでも私を頼ってね、アンジュリーナ!」
ルナーベルは、そう言って変な先輩風を吹かせて、アンジュリーナを笑わせてから、青い顔色で具合の悪そうな彼女を寝かせた。いつも世話になっているアンジュリーナを、自分が世話していることに、少しは恩返しが出来ているかしら?……と思いながら、ルナーベルはアンジュリーナが眠りにつくまで、いつまでも摩っていた。
貴族教育を一通り学び終えた12才から、貴族の令息令嬢は、夜会の参加をし始める。侯爵令嬢のルナーベルとアンジュリーナは貴族の子女の役割のために、12才から夜会に参加を始めていて、アンジュリーナが倒れたその日もいつものように夜会があった。アンジュリーナが目眩と激痛で起き上がれそうもないのに、青い顔色で心配してくるので、いつもと反対ねと苦笑しつつ、ルナーベルは大丈夫だとお姉さんぶって、一人で出かけた。
いつもなら夜会に来た途端、大勢の人に囲まれてしまうのだが、今日はアンジュリーナが傍にいない。ルナーベル一人っきりだと誰も寄ってこようとはしなかったので、ルナーベルは、さっさと侯爵令嬢として、主催者に挨拶を済ませ、小一時間ほどして帰ってきた。早すぎる帰宅を父に咎められるかもしれないと思いつつも、アンジュリーナのことが心配だったので、ルナーベルは社交どころではなかったのだ。自分の屋敷の玄関の前で馬車を止めると、馬車の外からルヤーズの声とルヤーズに向かって、必死に問い詰めているような青年の声が聞こえてきた。
「本当に大丈夫なんですか!」
「大丈夫ですよ、シーノン公爵、あれは……その妹が……アンジュリーナが女性の身体に、な……なったので、目眩を起こしただけなんです。全く……妹が情けなくてすみません!」
「情けないなんてとんでもありません!女性は自らの身体に子を宿せる、偉大で繊細な身体を持っているんです!義兄上様となる方だろうとも大事なアンジュリーナ嬢に情けないなんて、そのような物言いはされないでいただきたい」
「あ、義兄上様!?イミルグラン様にそう呼ばれるのは光栄なことです。わかりました、情けないとは言いません。そ……それよりもイミルグラン様こそ、そんなに目の下に隈を作られて、やつれているではありませんか!大丈夫なんですか?」
”イミルグラン”という名前を聞き、ルナーベルはアンジュリーナの婚約者の名前だと思い、興味が湧いて馬車のカーテンの隙間から、そっと覗いてみた。するとそこには、まるで人間とは思えないほどの美貌を持つ青年がいて、ただただアンジュリーナのことを気遣う言葉を発していた。
月の光で出来たような銀髪に透き通るような青い瞳、真白の雪よりも青白く見える顔色の、スラリとした長身の美しい男性は、まるで神代の国の人のようだとルナーベルは思った。眉間の皺は確かに不機嫌そうに見えるけれど、その言葉は、とても誠実で思いやりがあり、彼がアンジュリーナをすごく大事に思っていることが一目でわかった。
(この方がシーノン公爵様?……初めて見たわ)
こんなにも美しい男性なら、どこにいても人目を引くはずなのに、ルナーベルは夜会でも茶会でも彼を見たことが一度もなかった。
「ああ、やつれているのは、来年度の予算編成案を仕上げていたからで……。アンジュリーナ嬢が目覚めるまで待ちたいところなのですが、今日も又これから城に引き返して、外交修正案と治水工事の区域別土地調査をまとめないといけないので、長くはいられないのです。……すみませんが、これをアンジュリーナ嬢が目覚めましたら、渡していただけないでしょうか?」
シーノン公爵は傍に控えさせていた二人の侍従に、お見舞いの品々をルヤーズに渡すように頼んだ。両手に持てないほどのそれらは、花束やら暖かそうなショールやら……何故か、根菜類の野菜まであった。青年はアンジュリーナの身体を暖めて欲しいと頼み、屋敷のメイド達に聞いた、女性がその時に食すると身体が楽になる食べ物を全て持ってきたのだと話していた。
ルナーベルは、誠実な青年の言葉を聞きながらも、いつまでも馬車に乗っているわけにも行かないので、取りあえず馬車から降りて、未来の自分の叔父になる青年に挨拶をしようと、馬車の席から立とうとした。
……その時だった。ギュルルルルルルッ……と、ルナーベルのお腹が大音量で鳴り、しかもよりにもよって、ブッブブブブ~!!……と、おならまで出てしまったのだ。
「「「……」」」
馬車の外の父親とシーノン公爵にも聞こえる大音量のお腹の音と、おならが出てしまい、ルナーベルと馬車の外の二人は、その場に固まってしまった。あまりの恥ずかしさで馬車を降りることが出来なくなっルナーベルに内心ルヤーズは激怒しつつも、とにかく上級貴族であるシーノン公爵に対する非礼を何とかせねばと、ルヤーズは顔を赤くさせたり青くさせたりしながら必死で詫び、許しを求めた。
「す、すみません!シーノン公爵!お恥ずかしいところを!あ、あれは私の娘、いえ、私の腹が鳴ったんです!お、おならも……そ、そうです、おならも腹の音も私がしたんです!!ええ!そうなんです!馬車にいる娘では、けして……けして違います!!
……す、すみません、浅ましく意地汚い腹で。上位のあなた様の前で私はとんだことを!みっともなくて恥ずかしいことをして、すみませんでした!でも、けっして故意ではないのです!お許しを!お叱りは甘んじて受け止めます!だからどうか、お咎めだけはご勘弁を!!」
焦った声で必死に謝るルヤーズをキョトンとした表情で見ていた青年は、不機嫌そうな顔をやや緩めた。優しげな声がルヤーズを労いだした。
「?何故、私が義兄上様を叱ると?お腹の音もおならも、”出物腫れ物所嫌わず”で、貴族だろうと民だろうと男女問わずに自然に出てしまうものでしょう?そんなことで私は怒ったりなんてしませんよ。それに義兄上様は腹の音が鳴ったり、おならが出るのは浅ましく意地汚いと、ご自身を傷つける物言いをされていましたが、そんなことはけしてないのですよ。
……昔、私の友人が教えてくれたんです。腹が鳴るのは生きている証拠なのだと……。お腹が空いたときだけではなく、自分の身体が健康に動けるように一生懸命働いている音だそうですよ。おならもおなじで、自分の身体の中に悪い空気がたまったものを排出するための大事な生理現象だそうです。
確かに音も匂いもしますし、恥ずかしいと思うでしょうが、どうやっても出てしまうものなんですから、出てしまったら、その後一言詫びればいいだけのたわいもないことですよ。あれは自分の身体を守るためのものなので、けしてみっともないと、卑下してはいけません」
「「!!」」
父娘の驚愕に気づかず、青年は自身の眉間の皺を指で伸ばしながら、不器用そうな笑顔になった。
「私がこんなしかめっつらだから、怒っていると義兄上様を誤解させてしまったんですね、きっと。……大丈夫ですよ、怒ってなんかいませんよ。実は私も、身体にどこも異常はないはずなのに、ずっと体調がすぐれないんです。ここだけの話なんですが、少し頭に……痛みを感じているのです。医師には、”気のせい”だろうと言われているんですが……、今でもよく、痛いと感じてしまうんですよ。人間、完璧な人なんてどこにもいませんし、人それぞれに何か不調があるものです。
だからそういう欠点を補い合ったり、認め合って、お互いを労り合って生きていきましょう、義兄上様。2年後には私はアンジュリーナと夫婦になりますし、あなたとは義兄弟になるのですから、気兼ねはいりません。他の人はどうであれ、私自身は気にしないので、もう謝罪はいりませんよ。では、私はこれで。義兄上様もお体をご自愛下さい」
時間が来たので、もう戻らねば……と、別れの挨拶をした後、慌ただしく去って行ったシーノン公爵の、その時の不器用な笑顔をいつまでも、ルナーベルは忘れられなかった。
(……なんて優しい男性だろう。医者や両親でも失笑するお腹の音やおならの音を、そんなふうに言ってくれる人なんて、アンジュリーナ以外では初めて……)
ルナーベルの胸は何故か煩いくらいドキドキしたが、それが何なのかは、ルナーベルにはわからなかった。




