隠された物語の始動
「あれ?お嬢様、顔が赤いようですが……熱が出たのですか?今すぐ引き返してお医者様に診てもらいますか?」
「っ!?こ、これは違うんです!熱とかじゃなくて……その……後で話しますから……」
「?」
入学前検診が終わり、学院から出てきたイヴは、まだ顔が赤かったので護衛のミーナは心配し、当然そのことをイヴに指摘した。ミーナに顔を覗き込まれて、そう指摘され、イヴはさらに顔が火照り、この場で言うのは恥ずかしいから宿舎に戻ってから話すとミーナに告げた。ミーナは赤面が引かないイヴを訝りながらも、必ず後で教えて下さいねと念押しをした。
宿舎の食堂で夕食を取り、部屋に戻ってから先に部屋の浴室で入浴を済ませた後、寝間着姿でミグシスに手紙を書いていたイヴに、後から浴室を使ったミーナが髪を拭きながら浴室から出てきて、学院でのことを再度問うた。イヴは顔を真っ赤にしながらゴレー医師との会話の話と、その後の女子達との恋バナの話をミーナに包み隠さず、全て話した。
「あ、あかひゃん!?」
赤面しているイヴから話を聞いたミーナはイヴよりも赤面し、さらには全身まで真っ赤になり、上ずった声を上げ、イヴの顔を凝視した。次にミーナはイヴの全身をゆっくり見た後、唾をゴクンと飲み込んで喉を鳴らせた。ミーナはイヴの手元の便せんを見て、言った。
「あ、あの、今日のこと、彼には……」
「ミグシス?もちろん書きますわよ!私、毎日の出来事をミグシスにずっと書いていますもの!」
「お、お嬢様、ゴレー先生との詳しい会話のことは書かない方が……」
「?どうしてですか?ミグシスは入学前検診のことをとても心配していたから、結果をきちんと伝えたいと思っているのだけど、ダメかしら?」
「お嬢様……。彼はお嬢様を愛しています。とてもとても愛しています。お嬢様のお手紙を、お嬢様と同じ回数くらい、いえ倍以上読み返されるくらい会いたいと思っているそうですよ。そんな彼が今日の事を知ったら……。彼が手紙を読み返す度に出血死させる危険にさらしたくなければ……、その……もう少し控えめな言葉を使われるべきかと……。いや、それでも持たないかも……。と、とにかく、あ、赤ちゃんの話は、い、一年後に……でないと……」
そこまで口にしたミーナは、ハッとなった。たった今、自分の口にした言葉にミーナは驚愕し、動揺した。
(え?出血死って、何!?赤ちゃんの話を一年後にしてほしいって?狼狽えるなんてどうして!?持たないって、何がどう持たない!?)
「?どうしたの、ミーナ?」
「い、いえ、何でも!」
小首をかしげるイヴにそれ以上何も言えず、ミーナは部屋に置かれた二つのベッドの内の一つに腰掛けた。部屋に一つだけ置かれた机で、イヴはミグシスへの手紙の続きを書き始めた。今日は学院に来る用事があったため、前回のように宿屋を利用したのだが、今回は宿泊客が多く、一部屋しか取れなかったため、二人は同室となったのだ。ミーナはイヴが手紙を書いている姿を静かに見つめる。
イヴの月光のように輝く銀髪は緩やかに波打っている。大きくも小さくもない額に、細く整った銀色の眉と同じ銀色の長い睫に縁取られた、その瞳は大きくて透き通った青空のような光を放ち、以前バッファー国中の教会にあった、あの壁画の”銀色の妖精”よりも、より際だった清廉な美しさが、イヴを女神のように見せていた。小さな鼻にサクランボのような唇は、ミグシスを想って手紙を書いているため、笑みを形作った。幼い頃の面影を残しつつも、そこにはれっきとした大人の美しい女性に成長したイヴがいた。
イヴは今、補正下着をつけてはいない。簡素な寝間着は手首も足首もしっかりと覆い、首下も冷えないように狭く、何の色気もない、ごくごく普通の白いワンピース型の寝間着だったのだが、イヴのたわわな胸の形も、その大きさも、キュッとくびれた細い腰も、ぷりんとしたお尻の形も大きさも隠せているようでまるで隠すことが出来ていない、身体の形がはっきりと浮き出てしまう絹素材だったため、男を悩殺するような色気を無防備に醸し出していたことをイヴは気づいていなかった。
ミーナはベッドに置かれた羽根枕を抱え込み、ゴクンと唾を飲み込んで、食い入るようにイヴを見つめる。ミーナはイヴと知り合ってから10年以上経つが、ミーナがこんなふうに喉が鳴ることは、今の今まで一度も無く、どうして喉が鳴るのか、どうしてイヴの姿から目がそらせないのか、わからな……いや、わかる自分にミーナは戸惑った。
ミーナがイヴと知り合って、離れていたのは一年ほどだ。それ以外は、ずっと二人は一緒にいた。だからミーナは、イヴの成長を知っていた。4才から5才、7才の少女から12才になって、その後、少女の身体から大人の女性の身体へと成長し、変わっていく姿を、ずっと傍にいて見ていたから、イヴが14才頃から母親にそっくりの体型であることもすでに知っていた。それでもミーナは、今までこんな心の状態に陥ったことは一度もなかったのにと内心、激しく狼狽えた。
(もしかして、これがグラン様がおっしゃっていたことだろうか?それとも先月の合格発表の後、長の許しが出て、4月からは本当の姿に戻ることが出来るから、9年近くも封じていた気持ちが溢れてきてしまったのかもしれない。だからこんなにも彼女から目がそらせなくなってしまっているのだろうか?)
じっと見つめるミーナの目の前で手紙を書き終わったイヴは手紙に封をし、その封筒に口付けを落とした。
(っ!?え?)
イヴはミーナの視線に気づき、一瞬で頬を赤らめた。
「あっ、ごめんなさい!つい、いつもの癖で!」
「い、いつも……?、もしかして9年間ずっと?」
ミーナに尋ねられて、さらに顔を赤くさせたイヴの顔を見て、ミーナはイヴの答えを聞かずとも、それがわかり、その事実を知って、ミーナ自身も顔を赤らめた。イヴは机をきれいに片付けた後、ベッドに向かった。
「先に使わせてもらって、ごめんね、ミーナ。ありがとう。もう私は書いたから、次はミーナよ」
「……はい。お嬢様はもう先に休んでいて下さい。私も書き終わりましたら眠りますので」
「わかりましたわ。では、手紙はいつもの場所に置いておいて下さい。私も置いてから寝ますから」
「わかりました、おやすみなさい、お嬢様」
「ええ、おやすみなさい、ミーナ」
二人は一瞬だけ視線を絡ませたが、それ以上の言葉は言わず、イヴは眠り、ミーナは机へと向かって行った。ミーナは手紙をいつものように書き、封をした後、イヴの微かな寝息を確認後、いつものように手紙に口付けを落とした。
ミーナは旅行鞄の横に二つ並んで置かれた袋の一つに手紙を入れ、もう一つの袋から手紙を取り出し、それにも口付けを落としてから、もう一度手紙を直し、ベッドに向かって行き、イヴの寝顔を見てから眠りにつ……眠りにつくのに、かなりの時間を要したが何とか眠ることに成功した。
次の日、入学前検診の日の手紙を読んだミグシスが、どうなったかは……イヴは知らないし、彼は決してそのことをイヴには教えなかったが、イヴの手紙をもらった後のミグシスの手紙の文字は……若干乱れていた。