4.篤人
もう一回、と声がかかった。
「アツ、もう少し腰低くして。おまえだけ高い」
そんなこと言われたって、もともとの身長が違う。周りよりも十センチ以上デカい俺が高さを合わせるのに、どんだけ柔軟性を要求されてるのかなんて、演出は気にしていない。ただ集団が揃って見えるように気を使うだけ。
だから俺を前列に使うなんて、しなきゃいいんだ。もっと目立たない場所なら、少しくらい頭が出ても目立たない。にも拘わらず最前列で低く踊れとか、イヤガラセじゃないのか。ついそんな風に思うのは、毎回同じことを言われて、うんざりしてるから。
いや、最前列はすっごく嬉しいんだよ。踊れるって証明みたいなもんだし、目立てるし。もう十年以上踊ってるんだから、ご褒美代わりに立ち位置貰ったっていいじゃん。でも、それが苦痛になるなんて思わなかった。
背が高いのは、自分のせいじゃない。ってか、普段なら長所に数えられるとこだろ。百八十センチ代後半で細身ってのは、顔が良ければモデルだって可能なはず。実際羨ましがられることのほうが多いから、自慢に思うのは当然でしょ。
だけど衣装部からは俺だけ長寸で別オーダーだって文句言われるし、演出部からは高い高いと直しばっかりだし、本当に面白くない。
動きは間違ってないだろ。俺を直す前に、あっちで動きも覚束ないおばちゃん集団の指導してやれよ。
顔に不機嫌が張り付いていたみたいで、練習が解散になったら、瑠香が寄ってきた。
「なーに仏頂面してんの。もう仕上げでしょうが」
「その仕上げが問題なの」
答えながら、靴紐を纏めて縛る。専門学校も今年で卒業で、就活だってそれなりに忙しいのに、趣味でまでストレスを感じたくない。今年も踊ろうと思ったのが間違いだったのかも知れない。だけど就職先によっては来年は踊れないかもって思ったら、どうしても踊りたかったんだ。
「アツ、これから予定ある?」
自転車のスタンドを上げたら、慶さんに呼び止められた。
「いや、帰ってメシ食います」
「じゃ、メシ奢ってやるからつきあえ」
学年は三年しか変わらないのに、慶さんには逆らえない。俺が入会したころジュニアのセンターで踊っていた慶さんは、憧れの存在だった。それが大人になって、身長では目線が下になったって、上下関係っていうのはそんなに変わるもんじゃない。
チーム雷神のセンターで踊る慶さんは、文句なしにかっこいい。目線から指先までかっこいい。それは多分誰に言わせても同じだし、鳴子バカって言葉は慶さんのためにあるんだと言っても過言じゃない。シーズンオフには全国各地のチームの動画を見て、研究を繰り返してるっていうのは、有名な話だ。
そんなに打ち込んでいる人に批判されたら、あんたとは違うと反発しそうだ。俺は友達と遊ぶことや就職や、ネットで動画を見るとかゲームをするとかも同じように重要だからね。
先に到着したファミレスの駐車場で待っていたら、慶さんの車が入ってきた。直紀さんも一緒に乗っていて、ちょっと気が抜ける。一対一の指導じゃなくて、しかも踊りのキレはイマイチ(失礼!)な直紀さんとなら、大した話じゃない。もうちょっと身を入れて踊れ、的な説教が来るかと思った。
食事の最中の会話は普通だ。メンツがメンツだから、鳴子の話が中心になるのは仕方ない。どこのチームの衣装と色がかぶりそうだとか、札幌のyosakoiソーランで入賞したチームの動画を見たかとか、そんな感じで食べ終わる。直紀さんが煙草に火をつけると、慶さんがオーダー票を手に取った。
「ナオが一服したら、行くぞ」
「どこへですか?」
「中央公園の石畳。アツは自転車、ここに置いてけ。あとでここまで乗っけて来るから」
やっぱりか。
中央公園の石畳は彩夏祭間近になると、そちらこちらに小さいグループが固まっている。住宅街の中でなくても音を出すことは憚られるので、みんなカウントで動きの確認をしている。
「雷神の舞い、最初から行こう。ナオ、動画撮って」
慶さんが言う。
「俺、祭チームなんだけど。俺も怪しいとこあるんだよなあ」
直紀さんがぼやきながらスマートフォンを構えると、慶さんが中央に躍り出るタイミングの音を口ずさむ。
「いちにいさんし、ごおろくしちはち、にいにいさんし、ごおろく、構え!」
二カウントの仁王立ちのあと、いきなり激しい動きになる。足を踏み鳴らして威嚇し、蹴りから突きへ、そして低い姿勢から爆発するように高さを出しての回し蹴り。僅か一分足らずの動きなのに、どれだけの要素が組み込まれていることか。
一度踊って、撮って貰った動画を三人で確認する。暗い中でもちゃんと写ってるスマートフォンの技術、すっごい優秀。流してみたら、慶さんと俺の差がよくわかる。
俺、やっぱり高い。身長の差だけじゃなくて、腰が落ちてない。落ちてないと、次の動作へのメリハリが半減するんだ。そのせいで、踊りのキレがなくて地味な動きに見える。動きが間違ってなくても、細かい気の使い方でこんなに違うものに見えるんだ。
「俺、腰が落ちてないっすね」
「そうだろ」
「右で突きを出したときの、左手の引きも甘い」
「気がついたか」
「左足踏んだとき、肩の線がブレてる」
「そこで歪むと、次のカウントで肩が上がっちゃうんだ」
自分では気にもしなかった身体の動きが、実は気を付けるようなものだったと改めて知る。もっと低くとか腕が伸びてないとか言われても、自分はできているつもりだった。できてないじゃん、俺。
なんだか、すっごく恥ずかしかった。何か言われるたびにずっと頭の中で反発して、慶さんみたいに自分の生活のすべてが鳴子じゃないから、なんて開き直ってて。これが最前列にいたら、確かに雷神のレベルが問われてしまう。百人を超す大人数の評価を、俺が落としかねない。
自分を客観的に見ると、指摘された事柄は納得だ。それどころか、注視している分だけ他のアラが気になって来る。
「おし、じゃ、ひとつずつやるか」
直紀さんは離れた場所で、自分のチームの動きを確認してる。自分がどうこうじゃなくて、本当に俺のためだけに二人もつきあってくれているんだ。
踊りが怪しい人はたくさんいる。全員にこんな風に指導してるわけはないけど、それだけ俺の立ち位置の踊りは目立つってことだ。
「アツ、おまえは踊れるんだからさ。だから前列なんだぜ。せっかく手足長いんだから、もっと生かせよ」
そんなことを言われたって、限界まで落とした腰で、太腿の筋肉が悲鳴を上げてる。自分の動きを確認し終えた直紀さんが買ってきてくれたスポーツドリンクで、やっと一息つく。頭の中からも垂れてくる汗で、シャツの首までビショビショだ。
黙って煙草を吸っていた直紀さんが、口を開いた。
「アツさ、自分が一番カッコイイって、ちょっとだけ考えて踊ってみ? 実際その体格でバシッと決まれば、多分雷神の中で一番映えると思う。おまえに足りないの、自分が目立とうってアピールじゃない?」
目立つ? あんな大勢の中で、間違えれば確かに目立つけど、ひとりひとりがカッコイイアピールしていいの?
「ああ、そうだ。アツの踊りはどこか消極的なんだよな。ちょっと時間やるから、そこでイメトレしてからはじめるか」
慶さんが言い、言われたとおりに目を閉じてみた。
彩夏祭のでっかいステージ、最前列で踊る自分。センターの慶さんの隣、もう片隣には、演出補佐で慶さんの跡継ぎ候補の浩輔。俺、その二人の隣で踊ってるんだぜ。カッコ悪いわけ、ないじゃん!
「行きます。ナオさん、動画お願いします」
立ち上がって、頭を下げる。俺が一番カッコイイんだと、自分に暗示をかける。行ってみよう。
いちにいさんし、ごおろくしちはち。にいにいさんし、ごおろく構え! 直紀さんが曲をハミングし、それに合わせて踊る。蹴りからの突き、思いっきり腰を落としてから高い位置への回し蹴り。雷神のテーマが終わる直前、雷が落ちるように地面の叩きつける拳。
そこから掃ける動作がはじまったとき、俺の息は上がっていた。一分足らずの動きに、こんなに気合を入れたのははじめてかも知れない。それだけ手を抜いてたってことだ。
直紀さんが見せてくれた動画は、最初に撮ってあったものとずいぶん変わっていた。慶さんと一緒に正面を睨みつける視線からはじまって、最後の動作に入る前に、俺は声を出していたらしい。全然意識外だった。
「いいじゃん、アツ。身体が一回りでかく見える」
やっぱり腰の位置は少し高くて、肩の線がブレ気味だけど、イメージが全然違う。なんならもう一時間踊りますって言えるくらい、興奮する。
「彩夏祭まで、まだ少し時間はあるから。毎日イメトレするだけで、当日は身体が勝手にテンションアップするよ。明日は仕事だから、今日はここまでな」
ファミレスまで車で送って貰って、自分の自転車に跨る。明日の昼休み、学校の中庭で踊っているバカがいるとしたら、それはこの俺だ。