3.直紀
曲のクライマックスに空手の型を取り入れた振り付けにシビれ、小学校になったら雷神に入るんだと決意した五歳の夏。翌年の入学前に練習が始まったとき、同じように雷神ジュニアに入った小学生たちは十人以上いたと思う。俺のように自分から入会した子供もいたけれど、親や兄弟に連れられて入ったほうが多かったかも知れない。学年が上がるにつれ、スポーツを始めたり飽きたりで同期の数は減っていったけれど、新規で入会してくる子供もいるから、どの学年の子でも仲良くなれる。その中でも気が合う仲間ってのはできるもので、たまたまそれが全員同学年だった。
『奇跡のバランス』と言ったのは、誰だったのだろう。中学校に入ったころに言われだし、高校生が終わるころまで続いた。
「内部崩壊するとしたら、おまえらの代だと思ってた」
いつだったか言われたことがある。一本気で思い込みの激しい慶、お調子者で人懐こい佑太、我が道を歩む慎一郎、クールな朱莉、そして決断力に乏しい俺。何かの弾みで慶が暴走したときに、俺と佑太が追随してしまい、それが周囲を巻き込んでしまったら、中高生の半分くらいが動揺して滅茶苦茶になる可能性があると、大人たちは目を光らせていたらしい。ところが慶が生意気な意見を言いはじめると、朱莉がざんぶりと冷水を掛け、慎一郎が沈静化する。ひとりでも抜ければバランスが壊れ、どっちに転ぶか危ないグループだと危惧されていたのは、ある程度育った今なら理解できる。
一番先に抜けたのは、慎一郎だった。賢い慎一郎は医大にストレートで入学すると、学業が忙しくて練習に出て来られなくなったのだ。それは素晴らしいことなので、特に文句はない。その翌年に慶と佑太が演出部に引っ張られ、どうせ一緒にいるのだからと朱莉は衣装部へ、俺は総務の補佐に入るように指示された。その形で三年して、慶が演出のトップになろうというときに、今度は朱莉がデキ婚しやがった。相手は佑太だ。佑太は専門学校を出て就職したばかりだったけれど、朱莉が働いていたのは社員数人の小さな会社だったから、産休なんてとれなかったみたいだ。ともあれ幼馴染の結婚は、両方の親のサポート付きらしい。佑太もずいぶん忙しそうになって、役員は続けられない。
こうなると、慶が暴走しそうになった時に止める役は俺だ、と思わざるを得なかった。慶は就活ですら鳴子優先で、地元に近くて残業の少ない業種っていうのが大前提になっていた。運良く市内の企業に就職し、週に何度もある練習にフルで参加している。そんなことのできる人はそう多くなくて、平日の練習時間は前半をジュニアに割り当て、後半になってもまだ間に合わない大人も多い。皆それぞれ仕事も生活も違うのだから、当然だ。けれど慶は納得しない。
「全体がまとまんなきゃ、練習したって意味ないんだよ。もっと真剣に踊んないと、グダグダな演舞見せるだけ」
そんなことは言われなくたって、本当は誰もが知っている。けれど鳴子っていうのは、大抵の人にはあくまでも趣味なのだ。優先するのは生活の基盤であって、その他の空いた時間に趣味を入れるのだ。慶みたいに鳴子が中心に回るような生活なんて、できない。
かく言う俺も、社会人二年生の忙しさがまとわりついてきて、平日の練習は遅れたり休んだりだ。慶だって頭では理解しているはずだけれど、自分の熱さと他人の温度の違いを解消できないのだ。
ところで今更だけれど、俺は鳴子が好きなのだろうかと考える。小学生の頃から踊っていて、なんだか夏の義務みたいに毎年毎年新しい踊りを覚えて、衣装だって安価くはないし、足袋や鯉口シャツなんて祭がなければ必要ない。日曜日も夕方になれば練習があるからバタバタしてるし、それ以外にも役員の打ち合わせとかあって、平日の時間も潰れていく。結構しんどいんだ、これ。
来年は踊らないでおこう、少なくとも役員は降りよう。大学に入ったころからそんな風に考えて、それでも次期の話が始まると中にいる。これが決断力の無さってものか。少なくとも慶が何かやらかしたときにサポートするのは、俺しかいないって責任感は、確かにある。ただ鳴子に対する情熱は、今のところかなり薄まってきている。仕事を終えて帰宅したらすぐジャージに着替えたり、予定のない休みがなかったりが、疲れてきてしまった。たとえば彼女と映画に行っても、夕方から練習だからと食事にも行けないんだ。
体育館で靴紐を絞め、ウォーミングアップを始める。そろそろ振り落としも終盤で、これが終われば微調整をしながら踊りこみ、本番に向けて意識を高めていく。
三部構成の振り付けの打ち合わせは、俺も同席していた。踊れる人、踊れても華がない人、リズムの掴めない人、身体の動きが硬い人。百人以上の立ち位置を決めるために、個人の名前を書いたコマを移動させる作業もした。先頭に立つ慶が、一番のプレッシャーを感じているのは当然のことだ。
「ちょっとさ、直紀も言ってやってよ。慶のやつ、肩に力入りすぎ」
「良い演出するんだけど、完璧主義だから疲れるんだよな」
古い年上の踊り子たちが、俺に言ってくる。知らんがな、とは言えなくて、酒飲んでるときにでも言いますよとか返事をする。
俺だって、大して踊れるわけじゃない。慶の選んだ演出補佐は、自分の手足に使えるように若くて踊れる子ばかりで、他人の筋肉の柔軟性や持って生まれたリズム感なんて、概念でしか考えられない。だから三度も教えれば十分だろうとばかりに、踊れない人は放置されてしまう。そこを拾って歩くのは、ベテラン勢と俺みたいな演出部じゃない役員になる。完璧に覚えていない同士で、あーでもないこーでもないと確認し合うことが繋がりを深めていくのだと、最近顕著に思う。鳴子にだけ潤沢に時間が使えたころは、知らなかった。
「来週から衣装練でーす。パート別で小細工する場所が違うので、仕上げてきてくださいね」
練習の終わりに、衣装部が声を張り上げる。なるべく安価に仕上げるために、色だけ変えた同じデザインを用意し、踊り子自身が仕上げるんだ。俺みたいに自分の分だけ払えば良いって人ばかりじゃない。家族五人で参加すれば、溜息を吐くような金額になってしまう。
最近細かいことにあれこれ気がつくようになってしまい、これが疲れってものなのかなと思う。考えることが面倒くさい。あ、俺も針と糸持って、衣装の手直ししなくちゃ。
彩夏祭近くになると、市内のドラッグストアからクエン酸のタブレットが消える。入荷した途端に大量に買われていくから、少し離れた量販店で箱買いしないと当日に大変なことになる。なんせ百人超の大所帯が炎天下で踊るんだから。他に氷と水、救護用品、サポート部隊へのお礼品と、打ち上げの予約。祭りが近づいてくると、総務はこれからが戦争だ。本番まであと一か月切ってるんだ。
本当に一銭にもならないことで、なんでここまでやってるんだろう。
「自主練用に動画撮りたい人、演出部が通しで踊りますから撮ってくださーい」
そんな言葉で、慶を中心に演出部たちが体育館の前半分に並んだ。大勢が慌てて、バッグからスマートフォンを出してくる。踊り自体はすべて覚えていても、細かい動きをチェックしたい人は多いのだ。俺も床にべったり座り、スマートフォンを構えた。
今年のテーマはずばり『祭』で、去年の秋にノリさんが提案した。彩夏祭の中に更に賑やかな祭りを作ってやろうぜ、と言っていた気がする。それから慶に向かって、今年の曲は威勢が良いから思いっきり暴れてみなって笑ったんだ。その言葉を受けた慶が、ノリさんのためにって余計思い込んだのは、ある意味仕方ないことなのかも知れない。
明るい音から曲が始まる。跳ねるように楽し気に踊る『チーム祭』が捌けると、次に出てくるのは優雅な女踊りの『チーム花』だ。センターの絵里香はまだ高校生なのに、余裕の表情で指を伸ばしている。そして疾風の音の後、中央に走りこむ『チーム雷神』。ここが見せ場だとばかり、力強く激しい舞いになる。この立ち位置に入るのは、慶が厳選した踊り手だけ。そこからまた立ち位置が混ざり、総踊りで終わりになる。
ちくしょう、かっこいいじゃないか。衣装じゃなくて、練習用のTシャツとジャージなのに、かっこいいじゃないか。俺もあれを踊っているのか。あれを全員が衣装を着て踊っていると思うだけで、ワクワクする。この演出なら今年は入賞、あわよくば鳴子大賞を狙えるかも知れない。一気にモチベーションが上がってくる。
結局、俺は鳴子が好きなのだ。グズグズ言おうが疲れようが、想像するだけでワクワクしちゃうくらいに好きなのだ。続ける言い訳をして、きっと来年せっせと働くに違いない。好きなんだから、仕方ないじゃないか。お守りが大変だとぼやきながら、慶と一緒に飲みに行き、今年は賞もらおうななんて言っちゃったり。
慎一郎がいなくても、朱莉と佑太が忙しくても、きっと大丈夫だ。もう奇跡のバランスなんてものに頼らなくても、俺と慶は少しずつ自分の意見が調整できるようになってるはずだ。そうでなければ、こんな団体の中で続けていけないことを学習し続けているんだから。
どこのチームより、俺たちはかっこいい。夏が来る。俺たちが一番の夏が。