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雷神―Rising―  作者: 春野きいろ
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2.奈緒子

 ノリごめん。宥め役やってくれって言われてた私がキレちゃって、どうしようっていうんだ。だって我慢できなかったんだよ。

「こんな動きに何時間かけてると思ってるんですか。ノリさんのために入賞しようとしてるんです。やる気のない人は帰ってください」

 練習ももう終盤、もう三十秒分ですべての振り落としが終わるってとこで、ちょっと複雑な動きがある。手の動きと足の動きのテンポに差があって、確かにそれがビシッと揃えばチーム全体が締まって見える。ただね、私たちはプロじゃない。小学校の一年生から還暦に手が届く人までいて、今年入った人もチーム立ち上げから踊ってるベテランもいる。筋力も運動能力もリズム感も、全員違うんだ。そんなことが、あいつには理解できないのか。


「悪いけど、ノリは踊りを楽しんで入賞したい人だった。たった八拍の動きなんて審査の対象にもならないし、それはあんたの自己満足でしょうよ。前回の練習から、ずっと同じこと繰り返してんのよ。飽きも疲れもするわ、人間なら」

 私の隣で、ゆきちゃんが慌てた顔をしてたけど、止まらなかった。

けい様の満足のために踊ってんじゃないんだよ。やる気がないなんて、よく言えたもんだね。夜にわざわざ体育館まで出てきてるのは、何のためだと思ってんの。子供は晩御飯の時間ずらして、学生は部活終わってから、勤め人は仕事帰りの時間調整して来てんだ。やる気がない人が、そんなことできるか!」

 一気に捲し立ててしまって、みんなが呆気に取られていることには口を閉じてから気がついた。慶は顔を真っ赤にしながら、反論を考えてるみたいだった。


 雷神は、ここ何年も入賞してない。初期のころに鳴子大賞をもらって、その栄光にしがみついてる感じ。あの頃の演出メンバーはチームの中にいるけれど、練習には基本、手を出さない。曲とか全体イメージとかの打ち合わせにアドバイザーとして同席はしても、表面は全部代替わりした若い子たちが運営することになってる。だから慶の踊りの指導に少々問題があっても、本人の成長過程だからと見守るはずだった。当然チームから反発は出るから、そこを上手く宥めるのが私たちベテランの役目だと――

 ノリごめん。慶の成長待つより、ノリを引き合いに出されたことが許せなくて、つい溜めてたことまで言っちゃったよ。慶のやつ、プライド傷ついたろうなぁ。だけど、実は後悔してない。


 帰宅すると、主人と子供はもう食事を終えてテレビを見ていた。

「今年も一中いっちゅうで鳴子やるの?」

 市内の中学校は、それぞれ有志によるチームがある。

「知らなーい。俺、部活あるから」

「彩夏祭の日は休みじゃないの?」

「普通にあるよ、関東行けるかもだし」

 一緒に踊ってたのは小学校までで、中学生はよっぽど鳴子が好きな子しか残らない。学生は学生なりに忙しくて、社会人は社会人で時間の調節が必要で、それでも踊りたくて踊っているのだ。


 もちろん、チームの役員が忙しいことは知ってる。私だってかつて、演出に携わっていたのだから。全員が頑張っているのだから、賞っていうご褒美が欲しいのも、理解できる。けれど、そんな人ばっかりじゃないのだ。勝利が欲しくて必死でトレーニングしたいのではなくて、私たちが参加するのは祭りなのだ。曲も衣装も振り付けも違う踊りで、点数をつけるのは審査員の感性だけ。そんな中での賞なんて、腕の角度腰の高さが基準なわけない。完璧に仕上げたい慶の気持ちはわかるけど、それがチーム全体のモチベーションを下げるような言葉は、控えなくちゃいけない。


 自分が若くて身体が自由に動くと、他人にも同じ能力があると思い込んでしまう。自分基準で考えて、できない人が手を抜いているように見えちゃう。そして勝手にイライラして、抑えることすらできすに表面に出す。

 つまり慶は、まだ子供なのだ。たった二十二の若造に、こんなこともできないのかとバカにされて、不満を溜めてる人の愚痴を聞くのが、私の役割だった。

 まあまあ、もう少し長い目で見てやってよ。慶も必死だから、ちょっと失礼なこと言っちゃったりするけど、ちゃんと育つから。そんな風に庇って、慶の教え方では覚えにくい振り付けを、個人的に教えてみたり。


 もしかしたら私たちベテランが、慶にわからないようにこっそりとサポートしていたのが裏目に出たのかも知れない、とは思う。去年演出部長を任された慶は、他のチームから褒められたことに気を良くして、今年は結果を出そうと張り切ったのだろう。

 自分だけは張り切って完璧に仕上げることができても、鳴子はあくまでも群舞だ。全員の呼吸が揃わなくては、美しく見えない。そして呼吸ってのは、揃えろと命じたって揃うもんじゃない。


 息子を風呂に追い立てながら、缶ビールのプルタブを引く。鍋一杯作って翌日まであるはずだったカレーは、半分に減っている。ああ、中学生の男の子の食欲って怖いななんて思いながら、自分も軽く遅めの夕食を摂る。先に食事も風呂も済ませた夫が、寝転がってテレビを見ている。自分の洗い物くらい、自分でしろってんだ。まあ、私がこんな時間になっているのは自分の趣味のためだから、あんまり大きな声では言えないけど。仕事だって通勤二十分で、朝七時に家を出ていく夫とは違うし、今日はたまたま早い帰宅だっただけで、深夜の帰宅もあるんだってことを忘れちゃいけない。ご飯を食べながら、今日のトピックスをふたつみっつで、夫婦の会話なんて終わってしまう。

 小さな会社での仕事と家の往復。親との会話なんてもう忘れたような中学生と、家にいるのが当然のような夫。閉塞しそうな空気の中で、私に風を送ってくれるのが鳴子って存在なのだ。


 週に二回、祭りが近くなれば三回の公式な練習と、闇練(やみれん)と称する夜の自主練。これが一年のうち半年近く続く。何故そんなに時間を割いて、身体だって疲れるのにと思う。若い頃なら、自分の仕事の調整だけで済んだ。子供を産んだ後は、体育館まで子供を連れて行き、小学生の練習の付き添いで来ている他のお母さんに見てもらっていた。趣味にそんなに情熱を傾けられていいね、なんて姑から嫌味を言われたこともある。夫が黙認してくれるのが救いで、主婦としては間違っているのかも知れない。

 それでも、踊りたい。踊るのが楽しくて、祭りに参加するのが一年のクライマックスで、何か強い事情でもなければ、このまま踊り続けるだろう。称賛や拍手があれば確かに嬉しいのだけれど、なくても構わない。ただ踊りたいだけ。


 慶は今、受賞って目に見える実績を欲しがってジタバタしている。私みたいな踊り子からすれば、それは副産品なのだ。全員で楽しく踊って、一体感を味わった後の副産品。若くて勝敗のある恭義をした経験のある子たちは、どうしても大賞が欲しいらしい。踊りそのものが好きだっていうのは大前提として、勝ち負けで競えるものは、勝ちたい。何かのスポーツみたいに、勝敗のゲームを楽しみたい人も、確かにいるのだ。


 私が入賞したい理由は、実は別にある。何人か同じことを言っていたから、独自の理由じゃないけど。

『夜のステージで踊りたい』

 彩夏祭の舞台は結構立派で、声出し用のブースはあるし、後ろから入場するためのスロープとは別に、掃けるためのスロープがサイドにある。けれど、昼にはないものが夜にあるのだ。それは、ライトアップ。

 照明の点滅や色の変更、レーザー光線で作る線まで、演出部が秒で依頼して、舞台が華やかになる。その中で踊りたいのだ。一日目のパレード形式の流し踊りで審査があり、そこで選出されたチームが二日目の夕方にステージ審査を受けられる。そして日が暮れてからの受賞発表。入賞したチームは、受賞演舞があるのだ。夜の華やかな舞台の上で、自分たちが何よりも素敵なことをしているのだと陶酔できる。その空気が伝播していき、踊りの後半にはより強い一体感が生まれる。あれを、感じたい。


 ビールを飲みながら、つらつらそんなことを考えていると、スマートフォンがメッセージを着信した。慶からと、他数名から。

 慶からは、ほんの一言。

『ムキになりすぎてました。すみませんでした』

 他数名からは、慶は締めといたからとか、そんな内容。誰も表立って演出部長に喧嘩を売った私を、責めてない。本当は私にも、文句を言いたい人はいるだろうに。


 ああ、ヤキがまわったね、奈緒子さん。自分に向かってそう呟く。ベテランの私が言ったのだから正しいんだって認識が、現行の役員の中に出来ちゃってる。そうじゃない、そうじゃないよ。意見を言い合って、それが喧嘩になってもいい。そうしているうちのすり合わせが、大きな一体感になっていって、観た人を巻き込むんだ。それを若い奴らに教えないで、後ろで協力している気になって。

 反省すべきなのは、私も同じだ。子供じゃないんだから、もっと婉曲に練習を進める方法があったはず。考えなよ、もう二十年も踊ってるんだから。


 ゆきちゃんからもメッセがあった。

『いろいろ考えてたって仕方ないから、とりあえず闇練しよ。明日の九時でどう?』

 なんかすっごく普通で、その画面にほっとする。私が臍を曲げて辞めるかもなんて、絶対考えてない。

『じゃ、中道公園で。亜矢ちゃんに連絡しとくね』


 結局、前夜祭の他に夜のステージで踊りたければ、入賞するしかないのだ。ただそれはノリのためじゃなくて、自分たちの満足のために。

 その辺のニュアンスの違いを、今に慶に説明するかも知れないし、しないかも知れない。そんなことはもうどうでも良くなって、ベランダのカーテンを開いてガラスを鏡にし、出来上がっている振り付けを踊ってみる。テレビを見ているのに横でウロウロするなと、夫がブツクサ言う。

「あなたも踊ったら? メタボが解消するかも」

「そんな時間、どこにあるんだ。勤め人なんて踊ってないだろ」

「いるよ。練習に来れない日は、ビデオ練習してるみたい」

「俺は疲れてるから、そんな暇ないの」

「ハイハイ」

 毎度の会話で、祭りに対する温度差なんて、わかりきってる。咎められないだけ、感謝しなくちゃと自分に言い聞かせる。


 再来週には、彩夏祭に先駆けて他の地域のよさこい祭りに出場する。そちらの主催者には失礼だけれど、私たちはそれを『本番練習』と呼ばせてもらっている。


 夏は、すぐそこ。

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