紙切れの中のしあわせ
梅雨が明けて今年も暑い夏がやって来た。連日猛暑日が続く。
そんなある日の夕方のことだった。
タッチパネルにチャージ残額が少ないカードをかざし、駅の改札口を出た。
もう夕方の6時を回っているのに、日はまだ高い。
蒸し暑く、不快指数も高い。駅前に出たら、もっと暑いだろう。
普通は、駅の雑踏の中で、床を見ることはないだろう。
俺も今まで意識して見たことはない。
しかし、今日は、なぜか、ふと見てしまった。
そこには、四つ折りにされた紙切れが落ちていた。
当然、ただの紙切れだと思った。
でも、俺は気づいてしまった。
大勢の人が立ち止まらず歩き抜ける駅の雑踏で、落ちている紙が、綺麗なままで汚れていないことに。
無性に気になってしまい、俺ははた迷惑にも通路に立ち止まった。
通行人たちが、怪訝そうに俺をチラチラ見ては歩き去ってゆく。
じっと、落ちている紙切れを見ていた。
これだけ人が通るのに、全く踏まれないなんて、偶然にしては、出来すぎていないだろうか。誰ひとり、紙切れに気づいていないのに。
サラリーマン、学生、子連れの主婦、高齢者…たくさんの人が通るのに、誰も紙切れに気づかない。
そして、誰も踏まない。
俺は携帯の着信バイブレータで、ハッと我に返った。そうだ、飲み会があるんだ。
気づけば10分近く、紙切れを見つめて、人ごみの中で立ち尽くしていた。
俺は、どうしても紙切れが気になってしまって仕方なくなった。
紙切れとの距離は3歩くらいだ。
ゆっくり近づき、前かがみになり、紙切れを拾った。
何が書かれているんだろう…
…
「これを拾った奇跡の人へ♪あなたこそは私のご主人様です!生涯お仕えしますので、ご連絡ください!!!」
…
なんて、ないだろうなあと思いながら、ドキドキして紙を開くと…
…
…
「あなたにとって幸せとは何でしょうか?
お金ですか?地位ですか?名誉ですか?世界一素敵な配偶者と家庭を築くことですか?
何を手に入れても、何を成し遂げても、いつかは必ず死んでしまうのに、何かを求めるのですか?
幸せとは、永続的なものではないのです。瞬間の出来事でしかないのです。
ですから、あなたに瞬間の幸せをプレゼントいたします。
苦しまずに一瞬で死ねるという幸せを。
―究極幸福贈呈委員会―¥n 」
…と丁寧な字で書かれてあった。
「は??何…コレ??」
その瞬間、意識は真っ黒になった。
暑くもない…
痛くもない…
苦しくもない…
ある意味、これこそが究極の幸せなのかもしれない。
文字のカウントをしてもらえるのは助かります。1000文字で掌編小説を書く縛りが、自分には不思議と心地よいから尚更です。それは、自分にとっての「幸せ」なのかもしれません。これまでの人生を振り返ってみると、たしかに「幸せ」を感じたことはありました。しかし、それは永続しません。昔、お付き合いしていて、「幸せだなぁ」と感じていた相手は音信不通になり、ある意味生き別れてしまいました。500gのステーキと大盛ごはんを平らげて、満腹感で「幸せだなぁ」と思っても、しばらくすればまた空腹感に苛まれることになります。「幸せ」とはいったい何なのでしょう?そのようなことを考えながら、1000文字を綴ってみました。