第五話 柑子ノ香ト振ルウ腕―Ⅳ
トールに材料を貰って戻って来た僕は、あれから小一時間、室内に備えられている調理場で、作業に没頭していた。ほぼ完成に向かっているのは、焼き菓子。ソムとの話の最中にも思い出したことだが、数年前、僕がルノにシュークリームを作って渡したことが頭に浮かぶ。
あの時は、ルノの仕事が忙しそうなのを見て、何かできないかと思ったことがきっかけだった。細かい作業が嫌いなわけでもなく、ルノがシュークリームが好きだと言っていたことを受けて、初めてなのに少し難しい物に挑んだ。結果は、三度目の正直というやつだった。
......
「……え? 俺に?」
「……仕事、大変そうだから。それに、その……色々、お礼も、したくて……」
―僕がまだ、屋敷に来て間もない頃。多面的にルノに支えられ、屋敷に居られるようになって、できることを探した。好きなもの、そんなありきたりな質問をした結果、僕の手には手作りのシュークリームが、袋に入ってあった。
「すげえ、作ったのか? 大変だったろ」
「何回か失敗はしたけど……でも、できたから」
「その失敗したやつは? 捨てるのか?」
「味は問題ないと思うけど……ぐっちゃぐちゃだし」
そこまで言ったところで、ルノは僕が持っていた袋を全て取った。驚いて、失敗作のものは返してもらおうとルノに飛びつくが、軽く避けられてしまった。
「味に問題ねーなら、食べても大丈夫だろ。折角作ってくれたものだ、もったいねーし、ありがたく貰うよ」
「いや、でも……」
ルノの大きな手が、灰色のぼさついた髪を掻き乱す。最後に頭にその手が乗ってから、僕は顔を上げた。目の前にいるルノの表情は、凄く優しかった。
「……ありがとう」
「……! ど、どう……たし、まして……」
突然羞恥心が込み上げてきた僕は、俯いて。すぐに部屋に帰った。ルノから感想を聞いたのは、ほとぼりも冷めた翌日のことだった。
......
何となく、懐かしくなってふと笑みがこぼれる。
「ソムも、何かそういう存在があれば、うまくなるかもしれないな……」
独りごとは、部屋に留まり他に伝わることはない。片付けをしながら、味見をすると、僕好みのさっぱりとした食感に、思わず気分が高まった。
出来上がった物を一つの袋にまとめ、僕は部屋を後にする。部屋には、焼き菓子の香りが漂っていた。
「作った?」
最初はもちろん、ルノのもとに向かったわけで。訪ねたところ、ルノは充てられた自室で本部長としての仕事に追われていた。
「はい、ソムの料理上達のために付き合っていたら、少し気が向いたので。簡単なものですけど」
「いや、ちょっとびっくりした。……あの時を思い出す」
「……ルノにシュークリームを作った時のこと、ですよね。僕も思い出しました。今回は違いますけど、どうですか?」
貰う、と一言言って、ルノは焼き菓子を一つ手に取って、食べた。菓子らしい食音が鳴り、それは徐々に小さくなっていった。
「うん、美味い。……結構作ったんだな」
「いくつか貰ってください。多めに」
「……仕事が捗るようにって?」
「あ、じゃあそれ口実にしといてください。あと、よかったら、ソムも努力しているようですし、料理教えてあげてください」
「口実にって、他に理由があるのか?」
「逆にないので、そういうことにしといてください」
気が向いただけ。本心がどこにあるのかは分からないけれど、最後までその理由を貫いた。
ルノの部屋を出て向かうのは、ソムの自室だ。幸い、その部屋に部屋主と、ウィンさんもいて、二人に焼き菓子を振る舞った。
ウィンさんも、ソムやルノと同じようなことを言って、「美味しいですね」と、笑っていた。
「ガネ、何でそんな器用なの……? 分けてよ」
「僕が器用なのは今に始まったことじゃないでしょう。あ、ウィンさん、ソムに聞きましたよ。今度、食事会をするんでしょう? 面白そうなので、息抜きに僕も行っていいですか?」
「もちろんです、頑張ります!」
「私はガネの最初の発言を流せない! 私も今に始まったことじゃないようにしたい!!!」
「意味が分からないので、失礼します」
ソムが器用になりたいということは、料理の件で嫌という程伝わっている。それでも、こればかりはどうしようもない。結局は、努力次第だ。
不貞腐れるソムをウィンさんに任せ、僕は次の目的である、ザイ君とラオ君を探した。
自室にいなかった二人は、応用剣術広間で試合をしていた。僕が入ったことに気づいた二人は手を止め、話を聞くと、ここ数日、毎日二人でやっているという。
「他の応用生にも見せてあげたいくらい感心しますね。怪我には、気をつけてくださいよ」
「分かってるって。ところで、何かいい匂いするけど、ガネさんが持ってるの何?」
「焼き菓子です。作ってみたので、休憩がてら食べてください。少し話でもしましょう」
ザイ君とラオ君は、素直に僕についてきて、広間の壁に備わる窪み型の椅子に向かった。程よい汗も流れている、ちょうど疲れてきていた頃だろう。
各々飲み物は持っていたようで、それを持って、座った。
「ガネさんがお菓子作るってあんまり想像できないけど、美味しそうな匂いだな」
「ラオ君はこういうの、作らないんですか?」
「あー俺作れない。簡単な料理なら作れるけど。ザイは極たまに作るよね」
「俺は苦手な部類だからなー」
ラオ君はともかく、ザイ君に至ってはすんなりと納得ができた。失礼な話ではあるが、想像することもできなかった。しかし、ここで違った特技をラオ君の口から聞くことになった。
「でも裁縫はできるよな、古くなったのを作り替えるのとか、よくやってた」
「へえ、それはまた意外ですね」
そう言うと、文句があるのかと言いたげな辛辣な目を僕に向ける。意外、という感想の以上も以下もなく、僕はその目をさらりと流した。
「……あ、昨日言っていたソムとウィンさんのことですけど、本当にやるみたいですよ。僕たちもお邪魔しましょう。ソムのスープは結構おいしかったので、安心していいです」
「そっか。じゃあ楽しみにしとこ。……ていうか、しれっとなかったことにしたな……?」
「そんな話に割いていられるほど暇があれば乗りますけど、良いんですか? 睨み返しますよ?」
「遠慮するしかねーだろ! そんなもん!」
顔を逸らしたザイ君は、焼き菓子を口に入れて噛み砕く。ラオ君もいくつか手に取って、一つ一つ口に含んでいく。
「……うまいなー。なあ、プリンは? 作らねーの?」
「そんなに食べたいなら、自分でどうぞ」
ザイ君は相変わらずのプリン好きで、揺るがない。ころころと変わっていくよりは良いものの、そこまで執着を見せると少し心配になる。
そんなところで、一人の来訪者が戸を開けた。
「あっこんなところにいたのね! ねえガネ、好きな料理教えて。ザイヴ君とラオガ君も」
ソムは、各々の好物を把握すると言って、僕たちの料理を聞きに来たのだった。




