第五話 来タル日ニ想イヲ―Ⅰ
本編一年後。
あの日から、何日も何日も過ぎた。俺は一つ年を重ねて、今でも剣を振っている。一方、その時間をよく覚えていないこともある─無心でいることが、多くなっていた。
「ザイ君、ねえザイ君……おーい!」
「!!! あ、び……くりした……シリス……」
シリスの呼びかけにも、一度では反応できない。
「一緒にいい?」
「い、いけど……何で急に」
「いや、ずっと気にはしてたんだよ。邪魔しない方がいいかなって思ってただけ。でも……やっぱりおれの性格だね、ほっとけなくて」
竹剣を取ったシリスは、俺の前で足を止め、構える姿勢をとった。竹剣は後方へ、剣先を下げて、俺をまっすぐに見ている。
「……はっ!」
一瞬で距離を詰めてきたシリスに対抗すべく、一歩下がって竹剣でシリスのそれを受け止める。ビリビリとした感覚が腕に伝わり、脳を刺激する。この感覚は、久しぶりだった。
「っくぁ!」
受けた竹剣をそのまま弾くように振り、今度は俺から攻め込んでいく。体格も似ている相手だ、怯まなければ、負けるようなことはない。それなのに、どうにもあと一歩が踏めずにいた。
「ザイ君甘いよ、もっと踏み込んで」
「っわ、かって、る……!」
「……うん、やっぱり」
「へ、っぐ!」
力いっぱい押された俺は、当然加わる力をそのまま受けて、後方へ軽く飛んだ。倒れた俺に、シリスが手を伸ばしてくれている。すでに戦闘態勢は解かれていた。
「ごめん」
「いや、いいんだ。……ね、それより話したいことない?」
「え?」
壁際に腰を下ろすシリスに手招きされ、休息も兼ねて座った。肩が重く、足が僅かに震えていることに気付いた。
「君を見てると、どうにもそわそわしてさ。何となく理由は分かるから、今まで黙って見てたんだ。でもそのままじゃ、いつか壊れちゃう気がして、お節介焼いちゃった」
シリスは、俺が無闇矢鱈に一人で剣を振っていることを見破っていた。これまで誰にも、広間にいる時は話しかけられなかったのに。
「……君が強いのは知ってる。おれなんか、君に及ばないことも。でもね、その“弱みを見せないところ”は、時に自分を追い込むよ。ほんとは……言えるはず。“その相手がいない”だけ」
「!!!」
「おれをいないものだとして、伝えたいことを彼に伝えなよ。優しい人だから、きっと聞いてくれてる。……ずっと君たちを守ってきた人でしょ。おれが、今のザイ君を見ても安心できないんだ、多分……ラオガ君もそうだよ」
「…………あ、お、俺」
知っている。俺が一番辛いところは、伝えたいことを伝えたい相手が、いないこと。あって当然のものがなくなった今、それがどんなに厳しい現実か。
「……俺、俺は、ずっと……甘えてたんだよ。こうやって、置いて行かれただけで、こんな……表現できないくらいすげー苦しい。あいつが一人で持ってったものは、ほんとは俺が持ってたものなのに……俺に代わって全部引き受けて、その代わりのものを、俺に託していったんだ……」
「うん……凄く、重たい荷物を交換したんだよね」
「……会いたい」
「…………うん」
顔を埋めたせいで視界は遮られた。口元には、意識しなくても力が入る。
「ちゃんと会って、もう一回、ちゃんとあいつを受け止めたい……会いたい……!」
声が震える俺の肩を、シリスは黙って擦ってくれていた。
「もう一回会えたら、何て言う?」
「……盛大に怒って盛大に許す。あと殴る」
「散々だ。忙しいね」
涙が止まって、俺とシリスは壁にもたれるように座っていた。疲れた顔を何度もこすり、体に入っていた力が抜け、少しリラックスしていた。
「ありがとな」
「ううん、むしろおれは謝らないと。無理に引っ張り出したからね」
「時々強引なとこあるよな。でも、今回は助かったよ。少しだけ肩の荷が下りた気がする」
「……実はね、ガネ教育師なんだ」
ここに来て突然出てきた名に、思わず体を起こす。にこりと笑みを浮かべたシリスには、何も言えない。
「長い時間、一人で広間にいるみたいだから、少し様子を見ていて欲しいって。クラスの中じゃ、おれが一番ザイ君に寄り添えるって思ったみたい。自分が行くには、ちょっとしつこいかもしれないから、って心配してたよ」
「あいつほんと嫌な奴だな……人を使うくらいなら本人が来たほうがマシなんだけど」
「不器用なんだよ。でも人のことちゃんと見てる人だから、放っとけないんだろうね。ほんと、おれも最初と印象ひっくり返っちゃって困ってるんだけど」
ガネさんと初めて会ったのは、俺が〈暗黒者-デッド-〉だと分かって間もなくのことだった。何度も俺を生意気だと言いながら、棘のある言葉はもちろん、容赦のない言動を見せていた。
「あー……それは、分かる。何だかんだ、すげー人だとは思うし」
「うん。ガネ教育師のクラスで、本当に良かったと思ってる。そうじゃなきゃ、君をこうして励ますこともできなかっただろうから」
それが徐々に、自分の身を守ってきたが故の行動で、それをうまく人へ伝えられないでいただけだと分かった。根はとても強く、太く張り巡らされていて、実力もさながらに頼れる人となった。
人を使って人を気遣う様に、少しだけ「らしいな」と思った。
「いや……ほんと、ごめん……」
「何で謝るの? 何も悪いことしてないでしょ」
「…………自責の念」
「君、絶対少しずつ頭良くなってるよね。ラオガ君のためだね? 聞いてるよ?」
俺が目指すのは教育師。そのためには、苦となる座学を克服するしかない。それでも、向き不向きはあるもので、なかなか成果は出ないでいる。
「うわー……最悪……。あんま勉強してるの勘付かれたくない……」
「人のために頑張れるんだから、良いじゃん。羨ましいよ。おれは、誰のためなら頑張れるのか分からないから」
「……シリスって、意外と難しい性格してるよな」
「んーどうだろう。おれもおれのことあんまり分かんないんだよ。何だったら、チェインの方が分かってる時あるからね」
もう少し自分に興味をもて、と言いたくなるところだが、口をつぐんだ。その眉間に少しだけ皺を寄せた表情に、「そっか」とだけ返した。
「あ、こんなとこに居やがった。てめぇら何時だと思ってんだー?」
広間を覗き込むのは、煙草を加えたゲランさん。時間は再の四時─普段なら寝ていても不思議はない時間を回っていた。
聞くと、チェインがシリスを探しているらしい。この時間に自室にいないことで、クラス担当のガネさんにも話が行ったそう。ゲランさんは偶然チェインとすれ違った時に知ったという。
「ザイヴは特に寝とかねーと、明日の講技遅れんぞ。……まぁてめぇは毎日ここにいるし、実力は劣らねーけどよ」
「えっ、毎日って……知ってた?」
「あ? 逆に知らねぇと思ったか? まーきっかけはぼんやり歩いてたの尾行した時だからなー。声かけても全っ然気付かねぇの。ちなみに嬢ちゃんも一緒にいたんだぜ。まじ病気にでもなったかと思ってこれでも心配してたんだぞー」
失礼極まりない言葉ではあるが、言われずとも俺の状態を把握していたようだ。
「とりあえず病気ではないし、ちゃんとフォローはできたから大丈夫だと思いますよ。そういうとこはちゃんと見てるんですね、ゲラン教育師」
「おぅ、シリス=ドム。てめぇの性格やら何やら俺も分かってきてんぞ。これでも医療担当教育師だぜ? 人は見た目で判断できねぇっつー良い見本じゃねぇか」
「そんなとこ見本になってもなぁ……いや何でもない。何でもないって! 顔こっわ!」
冗談でも笑えない表情で接近する男を前に、俺は同時に後退った。止まったかと思えば、今度は意地悪そうに笑った。
「こんなとこいてもしゃーねぇだろ。早く戻んな。シリス、てめぇはチェインのとこ顔出してけよ。何であんな心配してんだか分かんねぇんだけど……はっ、近くにいたラオガの性格がうつっちまったか?」
時々、自分が情けなくなる。俺は必死に這い上がろうとしているつもりだった。ラオのために頑張ろうとする自分は確かにいる。一方で、自分のために、はどうだろうか。
シリスが、「おれよりもチェインの方が分かってる時がある」と言った。その時、何も言えなかった理由は、彼の表情だけではない。
俺自身が背伸びだけしていて、つま先はまだ動けていないことに気付いたから。
「あぁ、はい。チェインは変なところで気を遣ってくるから。ザイ君、改めて無理させてごめんね。戻ろうか」
シリスがそれを意図して発言したかどうかは、どちらでも良い。
「うん。……あと、もう一個だけ聞いて」
「何?」
ゲランさんもいる中、俺の口は軽く開いた。俺の言葉を聞いて、二人とも笑ってくれた。
「そうだね」と、俺を肯定してくれた。




