第四話 継ノ言ノ切―Ⅳ
「……さて、無事見送りもできましたし、仕事に戻らないといけませんね」
屋敷内に戻った時、既にルノさんは管理の者の横にはいなかった。自分の持ち場に戻ったのだろう。それを見てか、ガネさんも手を組んで、前方に腕を伸ばした。
「ガネさんありがとう、これでやっと区切りがついた」
「……はあ、全くですよ。思いの外君たちを心配している彼を見ていると、どうにも落ち着きませんでした」
「ガネ教育師、あの、本当にずっとありがとうございます」
「最初、ウィンさんに冷たくしてしまっていたことが懐かしいですよ。きっと、あなたも今日が区切りになるんでしょうね。あなたを担当しているソムにもしっかり言っておかないと」
仕事に戻らないと、という割には、時間を割いて俺たちの横にいてくれる。ガネさんを見ていると、屋敷の機能復興も早いのではないかと、そんな期待をもつ。
「……仕事には戻ります、が、その前に。ザイ君、試合でもしますか?」
「えっ、あんたと試合……!? っていやそれやばい……」
突然の提案は、久しく体を動かす場としては難易度が高い。この師の実力は、嫌という程間近に見てきている。返答に悩んでいると、腕を組んでまた、言った。
「どうせ数日間体動かしていないんでしょう? そんな程度では君の運動神経は鈍らないと思いますが、気分転換に付き合ってくださいよ。ウィンさんも来ますか?」
「見せてくれるんですか?」
「彼が受け入れるかどうかは分かりませんけど」
「ウィンを誘うあたり断る選択肢潰してんな……?」
まさか、と計算していたかのような表情で答える。そのまま、修復に充てられていない広間がある、と俺たちを誘った。俺の答えは、当然聞いていない。
数日ぶりに手にした竹剣で簡単に素振りをして、何となくの感覚を取り戻す。ガネさんの言う通り、この程度の空白では体は鈍っていない。俺の様子を見たガネさんも、予想通り、と言わんばかりに竹剣を持つ手に力を入れる。
ウィンは広間の隅の方で、壁に寄りかかっている。
「あれ、何だ、やっぱりガネたちだったんだ。入っていくの見えたから来てみたけど。仕事は?」
「ソム教育師!」
「ちょっとした気分転換ですよ。仕事のことならご心配なく」
偶然見かけて覗きに来たというソムさんが、事情を聞いてウィンの横に並ぶ。当然のように見学する、というわけだ。
「そういうことなら、私も休憩だなあ。ほんと、この数日疲れちゃった」
「ご自由に。……ザイ君、問題なさそうですね」
「うん。じゃあ……行くよ」
「どうぞ」
ガネさんの気遣いだったのだろう。彼の気分転換、というよりも、俺の気分転換になろうとしている。
瞼を下ろし、視界を黒に覆う。すうと息を吸って、静かに、ゆっくりと吐き出していく。体の力が抜けたところで、再度ガネさんの姿を見る。彼の持つ竹剣の切っ先は、俺を向いている。
余裕を見せる師を、俺はいつか、追い詰めることができるだろうか。そんな無謀を考えながら、右足が、動いた。
自分よりも背の高い相手に、一発目で上方から行くのは無策。下方から振り上げるように竹剣を動かすと、一瞬でそれを、俺ごと弾く力で対抗してきた。もちろん、そのまま受け身をとって体勢を立て直す。ガネさんも、距離の離れた俺に、かなりの速さで接近してくる。右から左から、その勢いは止まらない。防ぐことで精一杯でも、切り抜ける一瞬はあるはずだと、竹剣を受けると同時に、体を下方に流して潜り抜ける。
ガネさんの背後から斬りかかるも、体を半分捻じって止めてくる。
俺が回避してから、そのまま一瞬の出来事だった。
竹剣がぶつかりあう音。床が擦れる音。風を切る音。その全てが集中して、疾走感、というものを、俺なりに感じていた。何度も何度も、武器同士が合わさる音が響く。
そう、何度も。
ガネさんは再度俺との距離を作り、今度は俺の下方から振り上げてきた。
「え!?」
「まさかこの戦法がないとでも?」
「変化球持ってくんなよ!!」
それでもその軌道は避けきれるもので、体を右斜め後方に逸らす。そのまま足で体を支え、ガネさんが振り切った方と反対側、つまりその左足を狙った。
もちろん、そう簡単にはいかず、彼は自身の右半分を、既に俺の方に回して、止めた。
「その変化球についてくるザイ君もザイ君ですよ」
「……っこのやろ!」
俺の右手首は、意識的に外側に捻りを利かせる。結果、剣先は動き、二人の場所を入れ替えるようにすれ違った。その手の動きにも動じない、むしろそれを利用して、向き直り切っていない俺の背後に回り込み、竹剣は振り上げられた。
一瞬反応が遅れただけだったが、俺の手から、それは離れていた。
「っはあ、はあ……っは、っ……あーーーー! もう! もう少しだった!」
「ふう……ソム、これでどのくらいの時間ですか?」
「二分いかないくらいだね。竹剣を持ってるガネ相手に二分か~。私よりは上だね」
ソムさんが、自分よりも持ちこたえている、と言ったことは、恐らく俺への励ましだ。師の立場である人が、わざわざ自分を下にするような発言は、無意味にはしないだろう。
「まあまあですね。……久しぶりにしては、よく動けていましたし」
「やっぱり、ザイは強いね」
「でも負けた……暑い……くそ、絶対負かす……」
「その意気その意気」
「あんたに言われるのむかつくなあああああ!」
拳を握って、先程負けた相手に思い切りぶつける。ものともせずに受け止められると、それはそれでどうでも良くなるもので。
「何はともあれ、君の実力は確かです。全力で指導させてもらいますよ。君が、師になるために」
「……っは」
その言葉で、俺の拳は衝撃を与えた手から力を抜く。歴然としている力の差がどれくらいの期間で、どこまで詰まるか想像もつかないが。俺は、この人を追う必要がある。それだけは間違いない。
「その内、超えてやる」
「待ってます」
少しだけ熱気の残る広間から、音は去って行く。
教育師たちは、当の職に戻るべく、俺たちと別れた。僅かな時間だったのに、濃く思うのは。きっと、これまで寄り添ってもらった分の厚みだろう。
「……俺たちも、休もうか。その前に何か……飯でも食べたいな」
「うん、何食べる?」
「……プリン」
「ご飯の話、どこいったの?」
普段通りとまではいかずとも、このままゆっくりと、平常になればいい。時間がかかってもいい。それだけ重たいものだから。
残ったものを、手放さないように。
並んで歩く者を守るために、終わりから始まりに繋げていく。
薄暗くなった青郡、そこに呆然といる人でない者。数日間戻らない者を、毎日繰り返し、同じ場所で待ち続けていた。
何をするわけでもない、ただ待っているだけだ。あの、大きな力をもった人間の友人を、見守るような形で。
青郡の町並みは、活気を戻していて、魔石―青精珀―は僅かに残った色を保って微弱に輝いていた。
預かった魔物と何気なく話をしているところで、土を踏む音が近づいてくることに気づいたその者は、その方向に顔を上げた。
「……おせーよ。ルデ」
「ほう、魔物と言を交わしていたか。……待たせたな、あいつはどうしておる」
久しく見た顔は、余りにもつまらなさそうで。少しだけ笑いが込み上げてきた。待たせていたのは吾の方だというのに。
「ギカか? さーな。あれから、別に落ち込んでる感じじゃねーし、遠目から見てただけ。……それで? 終わったか?」
「それなりに、じゃな。……奴らのことが片付いたところで、少しやることがあるが……乗るか、シンマよ」
「やること、ねえ……何だよその顔。碌なことじゃなさそーじゃねえか」
「ふん、吾々が中途半端なままにしておることがあるじゃろう?」
その言葉で察しがついたのか、否か。そこまで言うと、シンマは黙った。そこに、前方から人間が寄って来た。ザイヴの友人である、ギカという名の男。吾が戻って来たことを、全ての幕だというように、「おかえり」と言葉を発した。
「……変わりないようじゃな。その内、ザイヴが直々にここに来ると言っていた。その時は、話を聞いてやってくれ」
真実は告げないでほしい、というザイヴからの頼みは、守ってやった。これで、本当に吾の役目は完了した。吾も、次に行くべき時、というわけだ。
「ああ、そりゃあ聞くけど。……何、何か急いでんの? 言うこと言ってさっさと帰ろうって?」
「いや? 少しばかり……調べたい案件があってな。無論、貴様ら人間に関わらせようとは思っておらん。ここで別れじゃ」
「……へえ。そうか。行って来いよ。オレはお前らのこと、また迎えてやるから」
吾が踏み込もうとする道は、魔が関係するもの。吾の存在が魔であれば、その道は当然だ。
「シンマ、なかなかに好かれたようじゃな」
「いや……んー? まあそういうことでいっか。……オレもルデと一緒に行くから、ギカ。オレもお別れだ。わりいな、大して役に立たなくて」
「お前が、オレを励ましてくれたんだろ。ありがとな。また来いよ」
シンマの言葉は、この人間に強く響いたようだ。それはそれで、元々人間であったシンマの役目だったといえるだろう。
「気が向けば、また来てやらんこともない」
「あーそう? じゃ、どっかでザイヴにあったらよろしくな」
「……ああ」
その真実が伝えられるのは、いつになるだろうか。いや、そこまで気にする必要はない。それぞれが思う、それぞれの区切りが、その場に踏みとどまらせない力だ。
「またな」
ああ、存外悪くない。こうして、人に触れられるというのは。
こうして、世界が広がっていくのは。
見送る人間に振り返るわけでもない。ただ、その温かさは、伝わって来て、無性に痒みを感じた。
─狭きに捕らわれる必要はない。広大になった時こそ、楽しめるというものだ。




