第十六話 灰ノ忘レヌ郷ノ魔―Ⅵ
異様を察知した方向に向かう。野次でもいたら大変だと、周囲も確認しながら、その足は緩まない。当然、ガネさんの方が足が速いため、俺は少しだけ遅れて、ガネさんの後に続いていた。
日も落ちているためか、幸いにも野次はおらず、その存在もはっきりしないままに丘に辿り着いた。
「ガネさん、いた!?」
「一瞬しか見えませんでしたけど、結構大きな体をしていますね。もしかしたら、あの類の魔物を餌としている同種かもしれません」
俺にも分かる。その存在が向かっているのは、間違いなくあの森の一角。調査の段階で魔には魔を、という見方があったほどだ。害のない魔物を見つけたのが穏慈だったのと同様に、他の同種にも嗅ぎつけることはできる。
「可能性は十分だよな。どれくらいの図体?」
「そうですね……。見たことがあるもので例えれば、陰くらいですね」
以前、〈暗黒〉で俺を喰おうとし、足に噛み付いてきた怪異の名。あれは本当に、怪異姿の穏慈よりも大きな体をしていた。陰でさえ、俺を丸飲みできる程の口を持っていた。ならば、自ずと向かうものの質は測れる。
「行こう、ガネさん。被害が広がらないうちに!」
「そうですね」
森は、風になびいて、鳴いていた。
「だから、家から出てくんな。今は二人応戦しに行ってる、いいな」
あいつらは、異常を感知してから、真っ先に動いた。
異質な眼だろうとなんだろうと、きっと、お前はもともと強かった。大人になって、真実を知って、そう思える。
こういう時、どうやって守ればいいのだろう。自己的に考えても、バカみたいに同じことしか浮かばない。
(……あいつにしてみれば、仕事柄、ってやつかもな……)
それなら。素人のオレができることは、今すぐ向こうに走ることではない。森凱の人間に危険が及ばないように、手を打つことだ。
ようやく視界に捉えた魔物は、呻きながら懸命に辺りを散策しているようだった。恐らく、その動きからも、俺たちの予想は当たっていると見える。
動きはそこまで速くなく、俺もガネさんも、魔物の行く先に立ち、道を塞いだ。すると、俺たちを認知した魔物は、腕のようなものを生やして、俺たちに殴りかかってきた。
「うわっ!!」
「ザイ君、後方に回りなさい。暗がりで危ないですし、前方は僕が引き受けます」
「は!? それじゃああんたが危ないだろ!?」
「僕がいるのに、敢えて教え子に危険を任せると思いますか? 僕に構ってる暇があるなら、回りなさい」
ガネさんに半ば強制的に魔物の後方に向かわされ、俺は渋々魔物の視野外で鎌を振った。その足、背、俺が動ける範囲で、魔物の動きを止めるべく奮闘する。
その中で気づいたが、その魔物は後ろを向けないようで、腕は大きく回しているものの、俺には当たらなかった。
「そのまま足の方を任せますよ!」
「分かった!」
ガネさんが針を数本投げたらしく、鋭く刺さる音が聞こえた。その怯んだ隙に、持っている剣で生えた腕を斬り落とした。
『ギャアアアアアアアアアアアア』
魔物の悲鳴は、俺の耳にはきついものだった。きっと、ガネさんも耳にも響いたはず。痛いほどの音を取り払い、懸命に前を向いた、その直後。
魔物の頭らしき部分から、ボコッという不可解な異音が聞こえた。咄嗟に、ガネさんに後方に来るように叫ぶ。ガネさんも察したようで、俺の声とほぼ同時に動いた。
『ゴワァアアアアアッ』
前方には、どろりとした液が溜まっている。魔物はそれを大量に吐き出したようだ。木々が腐っていく。焼け溶けていくような、例えるなら、そんな音だった。
「良い判断だったようですね……。あの液の上に、魔物を転ばせてみましょうか」
「了解!」
ガネさんと俺は、再び己の武具を振るった。
大きな音と、無臭の液体。目の前にいる魔物が只者じゃないということだけは分かった。けれども、見た目とその液体が禍々しいだけで、動きは不十分。幸いにも、魔物は自らの前に溶ける液体を流したため、すぐにでも決着は着くところだ。
「ザイ君、足のバランスを崩してください。僕は上を斬ります」
「おらぁ!」
同じタイミングで魔物を前倒しになるように斬りつけ、俺たちはすぐさま魔物の後方に移動した。呻きながら倒れ、地響きとともに液体に触れ、暴れながらも液体の効果で溶けていったのをこの目で見た。
自分で出した溶液で命が絶たれるとは、思ってもいなかっただろう。己にも害を成すものを持つ、というのはこういったリスクが伴われる。
「……僕も、気をつけなければなりませんね」
ガネさんは、自分を犠牲にした針術を使うことがある。溶けた魔物を見て、似つかないものでも、重ねて見ていた。
「あ! あの土の奴は無事か!?」
「きっと大丈夫でしょう。近場ではありますが、距離的には問題ないはずです。まあ、土に影響がないとは言い切れませんので、清めてはおきましょうか」
ガネさんの針術には様々なものがある。流れた液の周辺に針を刺し、掛けられた【聖の針】は溶液を清め、その場を収めた。
「まったく、無駄な体力を使わされましたね」
「ガネさん余裕そうじゃん」
「さあ、そうでもないかもしれませんよ」
手に持った武具を仕舞い、俺たちは屋敷に帰ろうと向きを変えた。するとそこに、呆然と立っているダイスがいた。
「……二人で、倒したのか?」
「だったら……どうしました?」
話は分かってくれたし、ガネさんも少し許したような素振りを見せたものの、やはりまだ壁を隔てている様子だ。俺も俺で、ガネさんほどではないけれど、一線をおいていた。
「すげーな。お前のことをお前として見れていなかったオレが情けねえ。許してもらえるとは思ってねーし、許さなくていい。今まで悪かった。ガキの頃は、怪我もさせた。お前はひと暴れしてこっから出てっちまったし……。でも、真相が分かって本当に良かったと思う」
「さっきも言いましたけど、僕はこれまでのことは許せません。例え、今やっと大人になって、見え方を変えたとしても、“深く抉られた傷は、傷跡を残すことでしか治せない”ことに変わりはありません。そして、もう一度ここに訪れるときにも、僕の中の何かが崩れていることはない、それだけは覚えておいてください」
ガネさんはその言葉を最後に、ダイスの横を通りすがる。その光景を見て、何となく、あの時の優しい顔を思い出した俺は、ガネさんの心の中で変化が起きているかもしれないと、そんな想像を描いた。簡単に表に出せないのは、その性格上仕方がないのかもしれない。
「何をしているんですかザイ君、帰りますよ」
「あ、うん」
ガネさんの後を追い、ダイスの横を通る。
「お前にも迷惑をかけた。強くなれよ」
その言葉を耳に、俺はダイスを見る。どこか吹っ切れた様子のダイスは、俺をまっすぐに見ていた。
「俺はきっと、また来るよ」
前を歩くガネさんに追いつこうと、俺は小走りで進む。
いつかガネさんの中で、森凱との壁が低くなることに少しの期待を抱いてみよう。
「何の話です?」
「え?」
「ダイスと話してたでしょ」
「……別に、大したことじゃないよ。人の心は変わるものだって」
「……くだらない」
顔を背けるガネさんの表情は見えないけれど、また、彼らに優しさを向けられる日が来れば良い。それがどれだけ時間のかかることでも、ガネさんはたった少しだったとしても、許す隙間を作ったのだから。
さあ帰ろう。俺たちの心の置き場所へ。そこからまた、進むために。