第九話 紫眼ニ焼キツク裂戦―Ⅲ
ウィック教育師に言われた通り、后郡内を歩きながら、ここにあるという魔石を探す。
何といえばよいだろうか、この抗争の場にそぐわない、不気味にはっきりとした色が、視界に入った。それは、どよりとした空気の中に、強く主張するかのような、赤色。そぐわない、と言ったものの、多くの者の血と重なってしまった俺は、背筋が凍った。
―全てを見ている。全てを統べている。
そう思わせてくる魔石から、目を逸らした。
俺についてきていた一人の応用クラス生も、俺が場を立ち去ろうと足を進めたところを見て、慌てて駆けた。
あれは、一体何だろう。得体の知れない、とは能く言った言葉があるものだ。これほど掻き乱されそうな感覚に陥るのは初めてだった。
「おい、ルノタード……え、おい、大丈夫かよ」
横で俺の心配をする、その男は、この気持ち悪さが分からないのだろうか。それとも、顔に出していないだけなのだろうか。いずれにしても、俺にとってはそれそのものが異常で、「触るな」と、強く当たってしまった。
「……あ、悪い」
「いや……顔色わりーよ。大丈夫か?」
「……早く離れよう、ここにはいたくない」
そう言った俺に、何を思っただろうか。その男は、黙ってついてきていた。
先程のウィック教育師の様子を思い出せば、その理由は、口に出されなくても分かってしまった。
ウィック教育師が向かったと思われる、その先に、俺たちは向かう。合流して、状態を整理し快方へ誘うためだ。
后郡に来てすぐに見た、あの林もどきまで戻って来る。更に、境のようにも見えるそこを抜け、奥へと足を進める。視界が開けたところで、俺は見る。
―壮絶な、景色を。
大都市とは思えない、静まり返った土地。その中で聞こえる、人々の荒んだ呼吸音。何度でも言う、異常だ。
しかし、あの魔石を見てここに戻ってきた俺からすれば、“壊す”という考えに至った者の心境は、正直納得がいく。あんなものは、この世界に存在し得ないと、目を逸らしたいから。
「戻ったか、ルノタード」
足音で俺たちが戻ったことに気づいた教育師は、「どうだった?」と直接的に尋ねてきた。思い出すのもおぞましい、あの魔石のことを。
「……正直、あるべきじゃない」
「なるほど、な。何となく原因の根本は分かってきたな。色々と、話せるやつとは話をした」
その結果。あの魔石に対して、何らかの異様さ、恐怖、禍々しさ。そういったものを感じた者が、“壊す派”。そうでない、その異常さに触れることもできず、あってもなくても良い、壊す必要はないと考えた者が“守る派”だったようだ。
人の能力差、というものが、あの魔石一つで測られ、分離するまでに至らしめられた。というわけだ。
「……こうまで歴然としていると、ちょっと手も出せないわね。どうしますか、ウィック教育師」
「……抗争自体は止める必要がある。その先は、住民次第だ。幸い、あの木々で区域は分かれているようなものだ。しばらくはあれで壁にすれば良いだろう。ここの統括主に会ってくる。お前たちは、助けられる者への処置を、手分けしてやってくれ。誰が悪いわけでもない、そう感じたか、感じなかったか、ただそれだけの差で隔てられた壁だ。私たちは、助ける必要がある」
ウィック教育師の言い分は、最もだ。良い例に、霊能力の有無がある。それは、視えない者には分からない、それこそ不気味な話だろう。その力があるかないか、それだけで、人は争うこともできるだろう。ただ、それと同等のことだ。
「……分かりました、そちらは頼みます。じゃあ、みんなはそれぞれ手当てをして回って。ウィック教育師が戻って来るまでに、できるだけね」
「はい」
四人の手で、どこまで手当てを施せるかは分からないが。林もどきを境に、二手に分かれ、手当てを進めていくことになった。
もちろん、俺はあの魔石がある方へは、行かなかった。
待たせた、と言ってウィック教育師が戻って来たのは、ほとんどの手当てが終わった頃だった。すでに、辺りは薄暗い。そのうち、真っ暗になるだろう。
「とりあえず話はついた、住民にも、さっきの話の通りで伝えるそうだ。これで抗争が終われば良いが、どうなるだろうかな。后郡自体を分けてしまった方が手っ取り早いんだがな、そう簡単な話でもない。統括主の力量が問われる、と言ったところだ」
「じゃあ、私たちの仕事はここまでですね。あの魔石が何なのかは、今後じっくりと調べることになる、そういうことでしょう?」
「まあ、そうなるだろうな。住民じゃどうしようもないだろう。私たちが動くしかない。……手当ては大体終わっているのか?」
「ええ、彼らも手際が良いし、みんな真面目にやってくれたから、思いの外進んだんですよ」
そう言ったミーラン教育師は、俺たちに、「ね?」と言って首を傾げてきた。彼女からすれば、俺たちを評価しただけに過ぎない。ただ、その彼女は、どうも気づいていないようにも見える。あの、魔石の気に。
こんな溌溂としていられるのも、そのせいなのではないだろうか、と。そう思えば、ウィック教育師はともかく、俺だけが、あの気に中てられたということだ。
それも、不気味な話だった。
「じゃあ、屋敷に戻るか。後は后郡の者に任せよう。抗争は終わってくれることを期待して、な」
后郡を出るため、来た時に入った道へと向かう。木の壁を超えて。
その先で、また、背筋が凍ることになった。そのものは見えないはずなのに、遠くで強い光を放っているのが分かる。薄く伸びてきたその色で、また、目を疑った。
―赤ではなく、青を主張して、伸びたその色は。俺の目に焼き付いて、消えていった。