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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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804.「骨と笑いと消失と」

 峡谷(きょうこく)は進めば進むほど深くなっていった。頭上を(あお)いでも、(かさ)なり合った(もや)(はば)まれてなにも見えやしない。靄のなかで光が散乱し、あたり一面(いちめん)が白々と(けぶ)っている。


 (はる)か頭上で風の(うな)りがしているけれど、谷底はしんと()いでいた。風が通らないのだろう、空気には停滞(ていたい)した腐臭(ふしゅう)がいくらか混じっている。トロールが一時的な根城(ねじろ)にしていた山岳地帯の谷よりはマシだけれど、なんだか物寂(ものさび)しさを感じる臭気(しゅうき)だ。生物的な(にお)いというよりも、空気そのものが時間の流れから置き去りにされて死に()えたような、どうにも(わび)しい臭い。


 どこかにネズミでもいるのか、ときおりカリカリと岩肌に爪を立てる音がしている。そのささやかな(いとな)みが(かえ)って寂しさを誇張(こちょう)しているように感じてならない。


 例の巨大な影を追って歩き出してから、もう一時間以上()っている。道幅(みちはば)はさして変わらない。多少の起伏(きふく)はあるものの、ゆるやかに下っているのは確かだった。


 ここまで、ほとんど無言の行軍(こうぐん)だ。憂鬱(ゆううつ)な景色がギクシャクとした雰囲気に拍車(はくしゃ)をかけている。聞きたいこともあるし、話しておきたいこともあるのに、言葉が胸の奥でぐるぐるとわだかまっていた。下手なことを言うととんでもない破綻(はたん)が訪れそうな予感があって、言葉をアレコレと選んでいるうちに沈黙が()もってしまったのだ。特にリリーはずっとピリピリしている。顔に『不愉快(ふゆかい)』の三文字がハッキリと書かれていた。


 彼女の機嫌の悪さが子供じみた理由ならば気楽に応対(おうたい)出来るのだけど、なかなかどうしてそうもいかない。彼女の(いだ)いているであろう不安は、わたしだって簡単には否定出来ないのだ。


 相談もなく進んでいくハックを全面的に肯定するのは難しい。きっとひとつひとつの決断に彼なりの葛藤(かっとう)があるのだろうけど、それを(おもて)に出してくれない以上、スッパリと迷いなく判断を下しているように見えてしまうのだ。もちろん、物事(ものごと)によっては彼のやりかたは正しい。特に『霊山(れいざん)』でのその態度は目を見張るものがあった。しかしながら、今は裏目(うらめ)に出ているように思う。血の(にお)いのするデリケートな物事を説明もなしに進めていくその姿には、少なからず不信感を覚えてしまうのが自然だろう。


 とまあ、穿(うが)った目線で考えているのだけれども、そんなわたし自身はハックを――そしてリリーを――どう(とら)えているのかと考えると、途端(とたん)にあやふやになってしまう。手段を選んでいられる状況ではないことは理解しているし、かといってリリーと同じくとことんまで悲劇を回避したい想いもある。


「……うぇっ!?」


 わたしの(のど)から(あふ)れた間抜(まぬ)けな音を、自分自身の耳が捉える。わずかな浮遊感(ふゆうかん)ののち――。


「あうっ!」


 不意に足が取られ、派手(はで)に転んでしまった。足元が見えなくなるくらい考え事をするなんて、我ながら迂闊(うかつ)だ。


「大丈夫にゃ!?」「ちょっと、大丈夫?」「大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫」


 ほとんど同時に(はな)たれた心配の言葉に、なんだか(ほお)がゆるんだ。自分の迂闊さや空気の憂鬱(ゆううつ)さが、ふわり、と身体から離れていく。そんな具合だった。


 ハックは柔らかく笑っていて、リリーの表情には(あき)れが浮かび、ジェニーはわたわたと心配してくれている。


「まったく、(つまづ)くなんてどんくさいこと」と、リリーはうんざりした口調でわたしの服を払ってくれた。


「ありがとう、リリー。あなたってホント優しいわね」


「ふ、ふん! 当たり前でしょ!」


「そうね。高貴(こうき)だものね」


「そう、ワタクシは高貴――って、ちょっと馬鹿にしてない!?」


滅相(めっそう)もないわよ、お姫様」


 パシン、と背中を叩かれる。それでもわたしは笑ってしまった。ほんの少し声を出して。


 不安はいくつもあるし、上手く言葉にすらなってくれない鬱屈(うっくつ)もある。それでもこの瞬間だけは、全員が憂鬱を頭から追い出してくれたんじゃないか。そんなふうに思うのはやっぱり傲慢(ごうまん)だろうか。分からない。分からないからわたしは、とりあえず明るい方向に捉えようと思う。


「それにしても、なにに転んだのよ」


 言って、数歩後戻りをしたリリーが短い悲鳴を上げた。


「どうかした?」


 彼女へと()を進めて――ハッとした。わたしが足を取られた物がなんなのか分かり、心臓が鼓動(こどう)を強める。


「骨ですね」と、ハックは平然と言った。


 そう、わたしが転んだのは(まぎ)れもなく骨だった。背骨と肋骨(ろっこつ)。骨格は人に似ているけれど、随分(ずいぶん)骨太(ほねぶと)だった。全体がないのでなんとも言えないけれど、獣人のものと考えるのがしっくりとくる。


「た、たかが骨じゃない。まったく」


 そう口にしたリリーが、わたしのシャツをちょこんと()まんでいることには気付いている。可哀想なので指摘(してき)しないでおくけど。


「そろそろラップさんの住処(すみか)なのかもしれないです」


 ハックは行く先を指で示した。目を()らすと、(もや)の先に細い倒木(とうぼく)がいくつも転がっている。……いや、よく見れば倒木じゃない。


「ひっ……」


 リリーがシャツにしがみつくのを感じたけれど、道の先から目を()らせなかった。


 ゆるやかな下り坂に点々と落ちた骨。それらは薄靄(うすもや)に包まれて、(なめ)らかで非生物的な(おもむき)(はな)っていた。


骨の揺り籠(カッコー)』。


 ラップは自分の住処をそう称した。例の巨大な影も、そこに住んでいるのだろう。さして考えずにいたけれど、随分と不穏(ふおん)な響きだ。物騒(ぶっそう)でもあり、ひどく静かな印象もある。


「ホネホネだにゃ」


 ジェニーがぶるりと身体を震わせるのが、視界の(はし)に映った。とぼけた言い回しだけれど、彼女なりに怖がっているのだろう。


「とにかく進んでみましょう」


 わたしのシャツを(つか)む手を取る。ひんやりしていて小さい。子供らしいと言えば子供らしいけど、リリーの手ってこんなに小さかったっけ?


「そうね、怖がってる場合じゃないわ。というか、怖がってなんてないわよ」


 リリーが、すっとわたしの横を通り抜け、ジェニーやハックと並んだ。


 わたしは立ち止まったままだ。そしてこの手には、小さな小さな感触(かんしょく)がある。冷えた手のひらと五指(ごし)


 え。


 わたしは今、誰と手を繋いでるの?


 勇気を出して振り返ると――というか、ほとんど無意識に振り返ると――そこには誰の姿もなかった。不自然に突き出したわたしの手には、なにも握られていない。そして、振り返った瞬間に感触も消えていた。


「ちょ、ちょっと待って……!」


 ぞわぞわぞわ、と悪寒(おかん)が背を()いずる。ほとんど無我夢中(むがむちゅう)でハックたちの背を追った。


 魔物ならいい。獣人だってかまわない。血族(けつぞく)は、立場によるかも。


 なんにせよ正体の分かっている者なら、誰が相手だろうと覚悟を決められる。けれど、オバケは勘弁(かんべん)していただきたい。だって、正体も分からない上に戦って勝てる存在じゃないんだから。


「どうしたのよ、クロエ。真っ青よ」


 リリーは(あき)れ顔で振り返る。


「う、えと……うん、なんでもない! なんでもないのよ」


 上手く説明出来る自信がなかったし、なにより、リリーまで怖がらせてしまうのは(しの)びない。わたしだけが(かか)えていればいいんだ。それに、なにかの錯覚(さっかく)かもしれない。


 魔術の可能性もあるけれど、ここまで見事な隠蔽(いんぺい)魔術を獣人が(あつか)えるとも思えなかった。しかも谷底で、手だけ繋ぐような無意味な悪戯(いたずら)をするわけもない。


 ……くそう。考えれば考えるほどオバケとしか思えなくなってくる。どうしよう。


 不安に耐えかねて口を開こうとした瞬間だった。


「オ~ホッホッホ!」


「アッハッハッハ!」


「ニャハハハハハ!」


 三人が一斉(いっせい)に笑い声を上げたのである。こちらに背を向けたまま。


「え。なによ。どうしたの……?」


「オホホホ!」


「アハハハ!」


「ニャハハ!」


 三人の笑い声はやまない。わたしが面食(めんく)らっていると――。


「え!?」


 三人の姿が、さらさらと砂のごとく崩れ去ったのである。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ジェニー』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村をルドベキアの獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』参照


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『隠蔽魔術』→魔力を包み込むようにして隠す術。術者の能力次第で、隠蔽度合いに変化が出る。相手の察知能力次第で見破られることも


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて

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