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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」
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89.「英雄と蛇の呪術」

 なにが起こっているのか、まるで理解出来ない。


 ドローレスの悲願が達成されようとした瞬間、ラーミアの尾は引き裂かれた。血と肉を貫くように現れた人型魔物。その腕にはドローレス。そしてその魔物――声色から考えて男だろう。そいつに性別があれば、だが。――は自らを英雄(ヒーロー)見習いと称した。


 こんなにも判断のつかない状況はなかなかない。魔物が人を助け、別の魔物に刃を向ける。あまりに倒錯的(とうさくてき)な光景だ。夢でも見ているのだろうか。


 ラーミアの怒気は、(しん)に迫っていた。


「英雄? ……馬鹿馬鹿しい! 何様だか知らないけど叩き潰してやる! 死んでから後悔しな!」


 ラーミアが大きく息を吸い込むとともに、口に呪力が集中した。咄嗟(とっさ)に耳を覆う。


 ――絶叫。両耳を潰すくらいの強さで塞いでも、その声は暴力的に鼓膜を震わせた。両手を離しても耳が遠い。


 増幅呪術。その一種だろう。それ自体は魔術のなかでもありふれている。勇者凱旋のパレードでも、音響増幅魔術は使用されていたはずだ。人間がそれを戦闘に応用しようとすれば、敵の耳元で怒鳴り、それを増幅させて聴覚を狂わせるぐらいだろう。非常に限定的な用法だ。


 それを魔物が使用するとなれば簡単に凶器となる。ラーミアは上半身こそ女性だが、下半身が蛇である以上、発声器官について科学的な解釈を用いるのは不適切だろう。人間を超えた声量と音域。それが増幅呪術によって何倍にも膨れ上がる。一時的に感覚を奪うくらいわけはない。


 薄ぼんやりとラーミアの叫びが聴こえた。随分遠いが、聴き取れはする。「英雄だかなんだか知らないけど、あんたはあたしの眷属(けんぞく)に殺されるんだよ!!」


 人型魔物を大量の蛇が囲った。一斉に飛びかかられれば薙ぎ払いきれないほどの数だ。蛇は鎌首(かまくび)をもたげ、彼とドローレスを包囲していた。刻一刻と蛇は数を増やしていく。わたしの位置から見れば、黒く(うごめ)波間(なみま)のようだった。


 フードの男はドローレスを向いて屈み込んだ。彼の身体に呪力が満ちる。


 嫌な予感が皮膚を駆ける。ドローレスを囮にして、この窮状(きゅうじょう)を乗り切ろうとしているのではないか。彼女を蛇寄せの道具にして、自分はラーミアと対峙する。つまり、彼がラーミアと敵対する理由は血なまぐさい縄張り争いなのではなかろうか。


 迷っている暇はなかった。男の呪力が更に高まる。


 サーベルを地面から引き抜き、叫びとともに渾身の力で投擲(とうてき)した。


 誰ひとり死なせるものか。


 しかし、サーベルは人型魔物を貫く前に停止した。彼は片手で刃を掴み、もう片方の手でドローレスの首元に触れる。呪力がその手のひらを通してドローレスに注がれていくのがはっきりと分かった。


 思わず足の力が抜けた。これから彼女の身に起こる未来が容易に想像出来たのだ。疑似餌(アトラクタント)。ヨハンがわたしにかけた魔物引き寄せの魔術。おそらく奴は、それと近い呪術を彼女に対してかけたのだ。ドローレスの身体は今や不自然なほど魔力――あるいは呪力――に満ちている。這い寄る蛇を蹴散らす手段を持たない彼女は文字通り餌だ。


 咄嗟にドローレスへと駆け出そうとしたが、足は自然に止まった。


 蛇は想像に反して人型魔物に向かって飛びかかったのだ。それも、全て。


 彼は蛇に身体を覆われながら、わたしのサーベルを放った。その武器はまたしても緩やかな放物線を描いてわたしの目の前の地面に突き刺さる。


 どういうことなのか。それを考えるよりも、目の前で展開している状況を追うだけで精一杯だった。


 男は全身を蛇に覆われている。既に致死的な量の毒を注ぎ込まれたことだろう。指一本動かすことが出来ずに直立する黒の物体と化していた。その右手が(いま)だに大剣を握り続けていることが不思議なくらいだ。


 不意に彼の身体が足から崩れると、ラーミアは勝ち誇ったような笑みを作ろうとした。そう、作ろうとしただけで固まったのだ。


 なぜか。男がラーミアの上半身めがけて一直線に跳躍したからだ。


 彼は毒によって崩れ落ちたのではなく、膝を折って跳躍の構えを取っただけだったのだ。


 ラーミアは咄嗟に、再生途中の尻尾で彼を横薙ぎにする。ラーミアにとっては非常に運のいいことに、男が大剣を振り下ろす前に、尻尾でその身体を弾き飛ばすことに成功した。


 にもかかわらず、だ。ラーミアは口をきつく結び、男が落ちた地点を睨んでいた。余裕のなさが明確に表れている。


 やがて聴力は正常に戻った。音が戻ることによって、それまで隔絶(かくぜつ)されていたように見えた空間が、一気に現実感を取り戻す。


 人型魔物は平然と立ち上がって大剣を構えた。そこにまた蛇が噛みつくが意に介さない。


「あんた、何者だい……!? あの忌々しい魔術師どもか!?」


「違う。ただの英雄(ヒーロー)未満だ」


 違和感のあるやり取りだった。ラーミアは大剣の男が魔物だと気付いていないのだろうか。それはどうも奇妙に思えた。


 魔物同士がどうやって互いを認識しているのか、その方法は種によってまちまちである。実際魔物研究の書物では、視覚に依存する魔物、あるいは嗅覚、あるいは『気配』とでもいうべき第六感的な認識方法など、バリエーションは様々だ。しかし、魔物は魔物を(おおむ)ね正しく認識出来ていることは通説らしかった。


 すると、あの人型魔物が同族に感知されにくい特殊な存在なのか、あるいはラーミアが特別鈍感なのだろうか。いや、後者はあり得ない。あれだけ狡猾な性格だ。捉えられるものを誤認するはずがない。やはり、あのフードの男が例外的な魔物なのだろう。


「小生意気なガキめ!!」


 ラーミアは再生途中の尻尾を、ドローレスを巻き込むかたちで鞭のごとく振るった。


 迫る尻尾を見つめてドローレスは虚ろな笑みを浮かべていた。彼女は死の直前まで踏み込んで(なお)、それを望むというのだろうか。どこまでもおぞましく、儚い努力。


 フードの男は、今度はドローレスを守る気配はなかった。


 ラーミアの一撃はドローレスに直撃した――はずだ。


 その瞬間に火花が散り、鋭い破裂音が響き渡る。そのすぐ後に、ラーミアの絶叫が泉を震わした。


 ラーミアの再生中だった尻尾は無残に弾け飛んでいた。目を凝らすとドローレスの半径一メートル程度のエリアが、半円形の薄い膜に覆われていた。


『関所』でのアリスを思い出す。彼女も同様に半円形の防御魔術を使用していた。それと似た呪術なのだろう、目の前のそれは。


 防衛呪術。


 彼は敵ではない。少なくともラーミアがいる間は。でなければ、二度もサーベルを放り返す理由も、ドローレスを頑なに守る理由もない。


 それはつまり、メッセージなのではないだろうか。敵ではない、と。あるいは、ラーミアと敵対する存在である、とこちらに伝えようとしている。


 だが、彼を魔物以上の存在として捉えることは出来なかった。


「くそ!! 馬鹿にしやがってええぇぇぇ!!」


 ラーミアの呪力が尻尾の辺りに集中した。なにか繰り出すつもりだろうか。


 呪力は、まるで消費されるように小さくなっていった。その代わり、ズタズタにされたはずの尻尾は無傷で瞬間的に再生された。


 治癒呪術まで会得しているとは。しかし、そう何度も使用出来るものではない。その証拠に、ラーミアの全体的な呪力は随分と減少していた。呪力量から(かんが)みるに、一度の戦闘では二度の治癒が限界だろう。それでも充分に脅威である。


 ラーミアは尻尾をしならせ、突き刺すように、あるいは薙ぐようにフードの男に攻撃を繰り出した。彼は大剣を振って尻尾を裂きつつ、ラーミアへと前進する。一歩ごとに大蛇の攻撃は苛烈(かれつ)になり、それとともに男の動きも俊敏になった。


 本体まであと僅かといったところでラーミアは先ほどわたしに見せた、あえて身を低くして胴の太い箇所で弾き飛ばす一撃を繰り出した。


 その人型魔物も、わたしと同様の道を辿った。吹き飛ばされ、木に身体を打ち付ける。違ったのは、地に倒れ込むことがなかったことくらいだろう。


 彼のフードが衝撃ではらりと脱げた。


 一瞬にして嫌な記憶がフラッシュバックする。地に伏せる自分の身体。屈辱感。指輪。


 彼の皮膚は、肌色と紫が(まだら)になっていた。その紫の肌には覚えがある。わたしに決して関心を向けなかった憎き敵。


 彼の肌の紫は魔王と同じ色をしていた。

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