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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」
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88.「英雄見習い」

 ラーミアは顔面に怒気を(みなぎ)らせていた。随分とヒステリックな性格なのだろう。


「ぅわあぁ!」


 ハンバートの情けない悲鳴が聴こえて振り向くと、丁度彼は自分の身に巻き付いたラーミアの尻尾の先から抜け出したところだった。ぶるぶると震え、歯をガチガチと鳴らしている。ようやく我に返り、それと同時に恐怖も取り戻したのだろう。


 八方から這い寄る蛇を薙ぎ払い、ついでにハンバートも守りつつ、この先の展開について思考を巡らせた。


 今やラーミアの全身は対岸に露出していた。尻尾の切断面が徐々に塞がっていく。やがて患部が盛り上がり、元の状態に戻るのだろう。再生速度から考えて、あと五分足らずで全快だ。


 全身が見えている以上、泉からの不意打ちに意識を向ける必要はない。尻尾の先とはいえ、身体が斬り落とされたことでやや狼狽も感じられる。敵が狡猾なのは間違いないが、このチャンスを活かすべきだ。


「村長さん、聞きなさい」


 蛇を払いつつ、小声で囁いた。


 ハンバートは恐怖でそれどころではない、といった具合に落ち着きなく周囲を見回して身を震わせている。


 一度冷静さを取り戻させる必要がある。高慢ちきな嫌味男には違いないが、魔物の餌にするわけにはいかない。


 彼の爪先を思い切り踏みつけると、ハンバートの身体がびくりと跳ねた。一瞬だけ驚くように目を見開いたが、すぐさま鋭い視線がわたしを捉えた。読み通り、こういうのには敏感な男だ。


「村長さん。今すぐヨハンのところまで行って。なるべく早く。わたしは蛇の親玉を叩く」


 またも目を丸くし、それからぎこちなく頷いた。


 よし。ラーミアはまだ対岸で傷を癒している。再生中はこちらへの攻撃は控えるつもりなのだろう。でなければとっくに二撃、三撃と繰り出されているはずだ。


 ハンバートが蛇を避けつつヨハンへ向かって走るのを確認し、サーベルを握り直した。


 呼吸を整える。


 対岸まで直線距離でおよそ三十メートル。泉を迂回することを換算すると約五十メートル。気付かれずに駆け抜けることは不可能だろうが、意表を突くことは出来る。


 足に力を入れ、一気に駆ける。足元の蛇は一旦無視だ。牙を立てて待ち構える蛇だけを避けて走ればいい。


 風が髪を乱していく。握ったサーベルは以前よりも重く感じなかった。慣れたということだろう。


 残り三分の二。三分の一。十メートル。五メートル。


 サーベルを振り上げると、ラーミアがニタリと口を開いた。そして身体を低くし、胴体を鞭の如くしならせて丁度わたしの真横から薙ぎ払うように攻撃を仕掛けてきた。


 淀みのない動き。咄嗟のあがきにしては出来過ぎた速度。


 不意を突かれたのはわたしのほうだった。たとえ攻撃が繰り出されたとしても、(あら)い反撃を想定していたのだ。


 大木ほどの太さの尾が迫る。


 息を止めて、瞬間的に集中力を高める。それと同時に刃を振るった。


 三発。


 一瞬でそれだけの斬撃を放ったのは確かだった。サーベルの重さと、奴の攻撃が届くまでの時間を(かんが)みれば上出来だろう。弾き飛ばされて背を巨木に叩き付けた挙句(あげく)、地に伏せている結果を無視すれば、だ。


 背を中心に焼けるような痛みがあった。手足は動くが、立ち上がろうとすると激痛が走った。


 待っていたのだ、ラーミアは。サーベルでは切断困難な打撃を浴びせられる距離まで。虎視眈々(こしたんたん)と。


 再生中に攻撃を仕掛けなかったのも、わたしの接近を許したのも、奴の作戦というわけだ。


 それを見抜けなかった自分に怒りが込み上げる。この程度だったのか? 騎士時代も?


 こんな(てい)たらくでは勇者一行に一撃すら与えられないだろう。気を引き締めろ、迂闊(うかつ)さを消し去れ。


 いくら願っても身体の痛みは去ってくれない。しかし、いつまでも寝ているわけにはいかないのだ、わたしは。


 背を貫くような激痛に耐えて立ち上がり、すぐそばまで寄ってきていた蛇を切り裂く。痛みのためか斬撃が鈍い。意識を切り替えてもこれでは限界がある。


 ちらとヨハンを見た。彼ならば最適解を見つけられるだろうか。


 ヨハンはハンバートを守りつつナイフを片手に汗を散らしていた。


 どこかおかしい。違和感が足元に絡みつく。


 ドローレスはどこに消えた?


 泉の周囲にその姿はなかった。逃げたのなら幸いだが、どうもそう考えることは出来なかった。


 ラーミアが現れてから彼女の様子はがらりと変わった。殺されることを願ったあの声。寂しげな微笑。落ち着いた立ち姿には、芯の強度が表れていた。そんな彼女が逃げるなんてあり得るだろうか。


 ぞわり、と嫌な感覚が皮膚の奥に広がった。


 ラーミアの背後、鬱蒼(うっそう)とした木々の間から人影が現れた。厳粛な顔は、もはや消え去っている。諦念(ていねん)と絶望と悔恨(かいこん)と、それらからの解放を願う哀切(あいせつ)な微笑。


「ラーミアさん」ドローレスは、確かな足取りでラーミアの背後に接近した。「どうですか? これなら殺し(やす)いでしょう?」


 ラーミアは呆気(あっけ)に取られたように口を半開きにしてドローレスを見下ろしていた。狡賢(ずるがしこ)く立ち回り、常に頭を回転させているような敵が本当に(・・・)狼狽している。ドローレスの狂気は魔物にさえ理解出来ないということだろう。


「さあ、殺して下さい。あなたでないと駄目なのです」


 短剣を地に捨てる。そして切々(せつせつ)と迫るドローレスに、少し身を引く魔物の姿はなんとも妙な光景だった。


 とはいえ、黙って見ているわけにはいかない。むざむざ魔物に殺させてたまるか。


 駆け出そうとしたが、身体の悲鳴は否応(いやおう)なく動きを鈍らせた。一刻も早く、あの死にたがりを助けなければいけない。


 わたしの前で魔物が腹を満たすような悲劇があってたまるか。


「なんだい、あんた。頭おかしいんじゃないかい」


「お蔭様(かげさま)で、すっかり壊れてしまったのです。だから、中途半端なまま生かされているのはなによりも(つら)いのです。この胸の痛みを、罪を罪と感じない真っ黒に(けが)れた心を、老いた少女を、どうか殺して下さい」


 ラーミアは明らかに(ひる)んでいた。その理由ははっきりとしている。ドローレスの裏になにがあるのか読めないのだ。


 狼狽はいつしか逆上に変わった。ラーミアは牙を剥き、叫びを上げる。「ああ! 気味悪いんだよ! そんなに死にたいなら喰い殺してやる!」


 ドローレスの身体に尻尾が巻き付いて、ぐわりと持ち上がる。


「ありがとう。これでやっと、なにもかも終わりに出来ます」


 ラーミアまではまだ二十メートルほどの距離があった。間に合えと願いつつも、鋭利な痛みがわたしの邪魔をする。


 足が止まりそうだ。けれど、ここで諦めてなにが騎士だ。無謀の渦に飛び込んで傷を代償に勝利をもぎ取るのが、わたしの信じる騎士だ。


 ラーミアの口が裂けるように開き、その真上にドローレスを持ってきた。


 どうすれば阻止出来る? 今更どうやって? ラーミアまでは残り十メートル以上ある。


 ドローレスの安らかで堅固な微笑み。その目から、一滴の涙が零れたのが見えた。そして、瞳が揺れる。


 恐れ。ドローレスの瞳にははじめてそれが表れていた。明確に、疑いようなく。


 恐怖をずっと閉じ込めていたのだろうか。それとも、今になって後悔が滲み出したのだろうか。いずれにせよ遅過ぎる。


 サーベルを大きく引いた。この背の痛みが投擲(とうてき)の妨げになることは明白だったが、知ったことではない。集中しろ。研ぎ澄ませ。方法があるのなら、それがどんな種類のものであれ迷うな。命が消えるよりはずっといい。


「いっけえええええええぇぇ!!」


 思い切り放ったサーベルは、理想的な角度で奴の首めがけて飛んで行った。


 喉に突き刺さる寸前、ラーミアは身をかわした。ドローレスを胴の辺りまで下ろし、口を閉じてこちらを見る。


「残念だったねぇ、馬鹿娘!!」


 敗北感。無力感。


 そのあとに訪れたのは、あまりに異常な光景だった。


 放ったはずのサーベルが、緩やかな放物線を描いてわたしの(そば)の地面に突き刺さる。わたしもラーミアも、それに目を奪われた。


 だから、その瞬間は見ていない。


「ぎゃあああああああぁ!!」


 ラーミアの絶叫が響いた。


 八つ裂きにされた尻尾の先から、影が飛び出す。尻尾の肉片と、血しぶき。わたしから見て対岸に、それは着地した。


 血塗れの大剣。黒のコート。フード。


 昨晩の人型魔物。その片腕にはドローレスが抱きかかえられている。


 人型魔物は慎重にドローレスを地に下ろした。彼女は恐怖に喘ぎ、驚愕に目を見開いている。足には力が入らないと見えて、ぺたりと座り込んだ。


「畜生!! 誰だ!!」


 ラーミアは激昂(げっこう)してその魔物を睨んだ。


 大剣がゆっくりと持ち上がる。それは丁度ラーミアの顔を指す位置で静止した。


 宣戦布告。


 直後、その人型魔物はラーミアに答えた。


「ただの英雄(ヒーロー)見習いだ」


 それは、透き通った声だった。


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