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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」
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87.「半人半蛇と破滅思考」

 ラーミアが右手をやや持ち上げて静止させた。すると、大量の蛇はぴたりと動きを止める。やはり、小型の毒蛇は全てはラーミアに使役(しえき)されている魔物だ。襲うも止めるも意のままというわけである。


 奴はわたしたち四人を順繰(じゅんぐ)りに見下ろす。それから、いかにも不愉快そうに眉間に皺を寄せた。真っ赤な長い舌が、口元でちろちろと踊る。


「ハンバート」と、確かにラーミアは言った。低い女性の声で。


 ハンバートはぶるぶると震えながらラーミアを見つめている。


「ハンバート。お前、その(つるぎ)はなんだい?」


 びくり、と彼の身体震えて短剣が地に落ちた。


 それから彼は取り繕うように揉み手をはじめた。先ほどの高慢は影もかたちもなくなっている。


 それもそうだろう。こんな化け物を普通の人間が見たら(すく)み上がるのは当然だ。しかし、ハンバートは泉へ供物を届ける使者を(にな)っていたのではなかったか。何度か顔を合わせていても不思議ではないし、ラーミアが彼の名を知っている理由もそこに由来(ゆらい)するだろう。


 なら、ラーミアの姿に怯えているわけではないのだろう。彼が恐れているのは、この状況だ。


 一旦は成り行きを見守るべきだろう。現状、高さから考えてラーミアの上半身を攻撃する手段はない。ヨハンも同じ考えらしく、黙って敵を見据えていた。


「ハンバート。これはなんだい? こっちが気持ち良く眠っているところを邪魔した挙句、全員が剣を持っているじゃないか。まるで悪者を討伐するみたいだねぇ」


 粘ついた口調。聞いているだけで不安を(あお)られる声だ。


 ハンバートは膝を突いて、ラーミアを(あお)いだ。口をぱくぱくとさせ、目を泳がせている。なんて情けない姿だろう。目の前の魔物は村を悲劇に(おとしい)れた元凶であり、初恋の相手の仇敵(きゅうてき)ではないのか。


 もうハンバートに正常な反応を期待すべきではない。彼は恐怖に囚われている。何十年もその牢獄にいたのだ。


「なんとか答えたらどうだい!!」


 びりびりと空気が震えた。毒液(したた)る牙が見える。


 まずい。この状況を放置しているわけにはいかない。


 なにか言葉にしなければと息を吸ったものの、声にはならなかった。わたしよりも早く、ドローレスが口火を切ったのだ。


「私からお話ししてもよろしいでしょうか?」


 ドローレスはハンバートの横で毅然(きぜん)と立ったままである。彼女はラーミアを前にしても無表情を崩すことはなかった。妙に落ち着き払っている。


「なんだい、婆さん。馬鹿村長のおもり(・・・)かい?」


「ええ。そんなところです」


 ラーミアはケタケタと(わら)った。卑劣さの滲み出た笑いだ。


「そうかい……じゃあ、あんたに聞こう。一体この状況はなんだい? あたしを馬鹿にしてるのか?」


 ドローレスは首を横に振る。「いえ、その意図はありません。私は――私たちはあなたに殺されに来たのです」


 風が泉の表面にさざ波を立てた。


 今、ドローレスはなんと言った? 殺されに来た?


 さっぱりその意味が分からない。


 彼女は寂しげに、そしてどこか諦めたような晴れやかさで微笑んだ。儚げで、しかし狂気的な意志を感じる微笑。


「殺されるために、あなたの怒りを買ったのです。そちらのお二方は――」言って、ドローレスは手のひらでわたしとヨハンを示した。「あなたを殺しに来た人です」


 ラーミアはドローレスを凝視していた。


 やがてその口が糸を引いて開かれる。


「それじゃつまり、契約は終わりってことかい」


 ラーミアの声は脅すように、更に低くなった。それを聞いて(なお)、ドローレスは微笑を崩さずに首肯(しゅこう)した。「その通りです。もう、なにもかもおしまい。私も、ハンバートも、あなたも、全部」


 破滅思考。そんな言葉が頭をよぎる。


 彼女はずっと、この瞬間を待っていたのだろうか。何者かが掟を破壊しに現れ、それに便乗するように、ハンバートを道連れに自分も死のう、と。


「私もハンバートも大罪人です。もうとっくに壊れてしまった。子供を殺したって少しも良心が痛まない。どうしても死ぬべき人間です。そして、出来ることならあなたに殺されたい。この人は臆病だから――」と言ってしゃがみ込み、ハンバートの肩に手を置いた。穏やかで、(よど)みない手つきだった。「自分ひとりじゃ素直に殺されることも出来ない」


 決定的なタイミングが訪れなければラーミアとの契約を破棄することは出来ないし、ハンバートをこの場に引きずり込むことも不可能。だからこそ、今までそのチャンスを待ち続けていたというのだろうか。


 ドローレスの言葉の通りだ。彼女は壊れている。


「そして……あなたもやはり、死ぬべきなのです」


 ハンバート、ドローレス、ラーミア。魔物と人を同列に考えることなんて絶対にしたくなかったが、ドローレスには同じに見えているのかもしれない。この三者が同時に破滅すること。それが彼女の理想なのだろう。


 馬鹿げている。哀しいくらい、馬鹿げている。


 いつから彼女はそんなことを考え始めたのだろう。老いてから――ではない気がした。ドローレスの口振りには、ずっと以前からそれを想い続けていたかのような芯があった。


「あたしが、死ぬべきだと?」とラーミアは返す。


「そうです。私の姉を殺したあの日から」


 ラーミアは急激に冷めた表情を見せた。馬鹿馬鹿しい、とでも言うように。「だから先月の生贄をすっぽかしたのか」


 ハンバートとドローレス。そしてわたしは、同時に同じ言葉を発していた。(なか)ば無意識的に。「「「え?」」」


 ヨハンだけは怪訝(けげん)そうな表情でラーミアを見つめていた。


 生贄がなかった? どういうことだ。


 ドローレスとハンバートも、わざととぼけている素振りはない。ヨハンだってその理由は知らないだろう。


「ああ、そうかい。……あくまであたしを馬鹿にするんだね? いいさ。あんたらが雇ったのかどうか知らないけど、そこの馬鹿男も、馬鹿娘も、馬鹿なジジイとババアも皆殺しだ!!」


 ラーミアはするすると対岸にあがった。が、まだ尻尾の先は見えない。蛇の胴を地でひと巻きし、それでバランスを取っている。あくまでも上半身は高く保っておくつもりらしい。


 あの厄介な胴を真っ二つに出来れば勝算はあるのだが、サーベルの長さが圧倒的に足りない。それに、一閃させてくれるような隙は見せてくれないだろう。対岸に位置を()めて距離を置き、更には尻尾を露出させない辺りから、激昂(げっこう)しているように見せて案外冷静に状況を把握していることは明らかだ。いつでも尻尾で巻き取り、水中に引きずり込んで絞め殺す。それまでは不意打ちを食らわないように注意する。そんなところだろう。


 なるほど、やはり狡猾だ。


 不意に、それまで静止していた小型の蛇が動き始めた。群れながら身を重ね合い、接近する。小蛇に気を取られて隙が出来た段階で巻き取ってしまうつもりなのだろう。


 ドローレスは蛇に殺されるつもりはないらしく、滅茶苦茶に短剣を振るって敵を蹴散らしていた。


 一方で村長であるハンバートは尻餅をついて呆然としている。脱力し、ラーミアを眺めていた。いや、そちらの方を向いているだけで、実際はなにも目に入っていないのだろう。そんな様子だ。


 しかしこちらも、彼を哀れんでいる余裕はなかった。尻尾に注意を払いつつ雑魚を散らさねばならない。一匹一匹が小さいので倒し漏らさぬように意識しなければ。不意に噛まれて動きが鈍れば絶好の餌だ。


 ヨハンもナイフでなんとか応戦しているものの、苦しげな表情を浮かべている。


 やがて、泉に一体のグールが姿を現した。そうか、もう魔物の出現時刻に入ってしまっている。


 苦戦が続くだろう。ラーミアが痺れを切らすまでは。


「なかなか頑張ってるようだけど、いつまで体力がもつかねぇ」


 口調に愉悦が表れている。悪趣味な化け物だ。


「しかし退屈だねぇ。……少し面白いものをみせてやるよ」


 ラーミアの口に呪力が凝縮される。


 まずい、なにか来る。


 ――!!


 声にならない甲高い叫び。風圧。そのあとには、鋭い頭痛と耳鳴りが襲ってきた。


 ラーミアが満足そうに笑みを浮かべるのが見える。


 ヨハンもドローレスも、頭を押さえながら剣を振るっている。しかし、わたしの耳には高周波の音が鳴り続け、その他の音が消えていた。風切り音や蛇を蹴散らす音も、なにも聴こえない。


 きっとヨハンもドローレスも、ハンバートも同じ状況だろう。


 意識を集中させ、神経を尖らせる。聴覚に頼らず、状況を見極めなければならない。サーベルを握り直した。


 微かな音が耳に戻る。と同時に、泉から伸びる巨大な尻尾が見えた。ハンバートへ向けて伸びた尻尾は、彼の身体に巻き付いた。


 次の瞬間には尻尾に力が込められ、ハンバートの命が吹き飛ぶイメージが浮かんだ。


 身体は瞬時に動いていた。駆け、跳び上がる。そして落下の力を乗せて尻尾へサーベルを振り下ろした。


 ――確かな手応えに酔っている暇はなかった。着地点の蛇を最高速度で蹴散らす。そして、ハンバートの(そば)に這い寄った蛇も同様に切り裂いた。


 やがてわたしとハンバートの周囲の蛇は皆、蒸発した。


 音が徐々に戻って来る。ハンバートの喘ぎが、まず聴こえた。


 左腕に痺れるような痛みが、呼吸に合わせて広がる。おそらく、蛇を倒しきる前に噛みつかれたのだろう。丁度二の腕に牙の(あと)がついていた。


 唇を患部まで持っていき、毒を吸い、そして吐き出した。


 ハンバートは目を丸くしてわたしを見上げている。その瞳に疑問の色が浮かんでいた。助けてもらえると思わなかったのだろう。


 本当に、どこまで愚かな人なんだ。


「馬鹿娘ぇ!! よくもあたしの身体に傷をつけたね!!」


 ラーミアの怒声が響き渡る。末端とはいえ、尻尾を真っ二つにされれば再生までは少し時間がかかる。しかしながらそれも数分で治るだろう。恢復までの時間は問題ではない、ということだ。


 魔物に自尊心があるなんて笑ってしまうが、(まれ)にそういう奴はいる。喋れるくらい賢い魔物なら感情もいくらか持ち合わせている、というのが定説だ。だからといって容赦なんてしない。


「馬鹿娘が……!! あたしに勝てるとでも思ってんのか!! そんなちっぽけな武器で!!」


 怒りに顔を歪め、甲高い叫びをあげる。随分とヒステリックじゃないか。


 ラーミアを睨み、サーベルの切っ先をその顔に向けた。泉ひとつ分の距離と、わたしの身長の三倍近くの高さがある。


 今は離れているが、わたしの刃はその首を()ね飛ばす。


 そのために来たのだ。


「勝てると思っているから、ここにいるのよ」


発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『呪力』→魔物の持つ魔力を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。『4.「剣を振るえ」』にて同様の言及がされております。

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