7.「人形使いと死霊術師」
二人分の食器の音が響く。小さなテーブルで、わたしはネロと隣り合って食事を摂っていた。といっても、野菜ばかりの薄味なスープと手のひら大のパンがひとつ。育ちざかりの少年がこれで満足できるものだろうかと思ってしまう。
匙でスープをかき混ぜながら、先ほどのことを考えていた。巨大なクレーター。それをわたしに見せたハル。どう考えても、自分がここにいることと無関係だとは思えなかった。
手を止めてスープを見つめる。
魔術痕。強力な魔術が一気に解き放たれたとき、周囲の物は決して無事ではない。ただ、あのクレーターは普通ではなかった。わたしの知る魔術痕はせいぜい石畳が割れる程度だ。ニコルの転移魔術があの林で解放されたというのなら、彼はもはや人の次元を超越している。
手も足も出ない。少なくとも、今のわたしでは。
とぽん、と小さな水音がしてスープに赤が沈んだ。
「マスター。ニンジンをクロエに押しつけないでくだサイ」
「……いじわる」
「マスター。大魔術師は好き嫌いしませンヨ」
ネロは渋々わたしのボウルから人参を掬い取った。彼はすっかりわたしに慣れたようだ。臆病ではあるが、案外人懐っこい性格なのかもしれない。
少し、からかってみたくなった。
「ねえ、大魔術師さん。あなたはどこで魔術を覚えたのかしら?」
「う、産まれたときからさ! 僕の家は魔術師の家系だから。父さんも母さんも立派な人形使いだったんだよ」
彼は誇らしげに喋る。魔術の話になるととりわけ元気になるのが、この子の特徴のようだ。
「魔術師の家系?」
「マスターの家系は代々人形使いを輩出している家柄デス」
ネロは力強く頷いた。
「ハル! クロエお姉ちゃんにあの話をしてあげてよ」
ネロの提案に、ハルは一拍置いて応じた。
「ここから少し離れた場所に町がありマス。その町の南のはずれと北のはずれに、それぞれ魔術師の家がありまシタ。南には人形使いの一家。北には死霊術師の一家」
ネロは落ち着きなく足をぶらぶらさせている。
「死霊術師と人形使いは、直接争うことはありませんでしタガ、どちらがより魔物を倒せるか競っていたようでシタ。片方が、昨晩は十体倒したと言えばもう片方は、いやいやこちらは十一体、といった具合ニ。……そんなある日、死霊術師の家は魔物の群れに襲われてしまいまシタ」
「そこに現れたのが僕の父さんだよ!」
ネロは嬉しそうに言う。ハルは冷静に続けた。
「駆け付けた人形使いの一家は、死霊術師の一家と手を組んで必死に戦いまシタ。ひとり、またひとりと、両家の魔術師は魔物にやられていきマス。残ったのはマスターの両親と、死霊術師の当主だけでシタ。やがて明け方になり、全ての魔物は消え失せまシタ。激しい戦いに傷つき消耗したのでショウ、死霊術師の最後のひとりはネロの両親に町の平和を託し、息を引き取ったのデス」
「それから父さんと母さんは、平和のために一生懸命戦ったんだ」
「勇敢に戦い、そして穏やかに亡くなったのデス。……立派な人たちデス。それから間もなくして、マスターは自分の両親が遺した人形に魂を吹き込んだのデス」
語り終えると、ハルはスカートを広げて一礼した。
ネロは誇らしいのか恥ずかしいのか、やたらとはにかんでいた。
わたしは「へえ」とか「すごいんだねえ」とか、当たりさわりのない言葉を選んで口にした。
ネロの両親がどうして亡くなったのか。それについて聞ける雰囲気ではなかったし、少年の前でする質問ではなかった。あまりにデリケート過ぎる。
そもそも、ハルの話を少しも信じる気になれなかった。ひねくれていたわけではない。魔術師は少なからず、魔力を周囲にまとっているのだ。強大であればあるほど、溢れ出る量は増える。ネロの魔力は、一般人が微弱に帯びる魔力の範疇にあった。どちらかというと、ハルがまとう魔力のほうが大きいくらいだ。
自分の夢に酔いしれる無邪気な少年と、それに付き合う優しい姉。顔立ちこそ似ていないが、そんな関係性に思える。
しかし奇妙な点があった。
ネロとハルの間には、幾筋もの魔力の連絡がはっきりと感じられたのだ。理由は分からないが、魔術的な繋がりがあるのは明らかで、だからこそ二人の関係のデリケートな部分に踏み込んでいくのは躊躇われた。
食事を終え、洗い物を手伝おうとしたわたしをハルはテーブルに押し留めた。
曰く「メイドの仕事ですカラ」。
陽が落ちたようで、小さなランプひとつでは心もとないくらいだった。夜闇に押し負けているような、そんな薄暗さ。
夜になると気持ちが落ち着かなくなる。魔物の姿が脳裏にちらつき、騎士団員時代の夜警の記憶が蘇る。魔物たちのあからさまな気配。剣を鞘から抜く際の金属音と武者震い。鎧の冷たさ。王都の内外を繋ぐ巨大な門越しに伝わる魔物の蠢き。
過ぎ去った日々は、自分自身の肉体に習慣となって染みついているように思える。夜が濃くなるに従って全身に力がみなぎり、思考は乱れなく透き通る。健全な精神は、魔具の出力をより高めてくれるのだ。だからこそ、わたしたちは夜間に心身ともにベストの状態になるよう訓練された。それらの日々が、今のわたしを形作っている。
夜の帳がすっかり下りてしまうと、ネロはあくびをひとつして「おやすみなさい」と呟いてベッドにもぐり込んだ。わたしはテーブルを挟んでハルと向かい合って座っていた。
「クロエも、お休みになったらどうデス? 奥の部屋にもう一台ベッドがありまスヨ」
「悪いけど夜型なの。ハルこそ休まなくて大丈夫なの?」
「ワタシは人形デス。睡眠は必要ありまセン」
彼女は一定の口調で返す。よくやるものだと、感心するより呆れてしまった。彼女は食事すら摂らなかったのだ。
壁に掛けられた時計の時針が頂点を指す頃、不意にハルが立ち上がった。そうして真っ直ぐに玄関へと向かう。
「ハル」
思わず呼びかけると、彼女は一瞬立ち止っただけだった。迷いなくドアに手をかける。そうして、ひと言残して外へと消えていった。
「庭掃除もメイドの仕事デス」
確かにそう聞こえた。
【改稿】
・2017/11/13 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。