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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」
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77.「泣くような良心があるのなら」

 慰めるように、クルスの肩に手を置いた。彼は首を横に振って応える。同情しなくていい、と言いたいのだろう。


「クルスさん。……あなたの気持ちはよく分かるわ。わたしだって、たくさん理不尽な目に遭ってきたんだもの」


 責務と倫理観とのぶつかり合いは王都で何度も経験した。そして、徐々に他人の悲劇(・・・・・)に鈍感になっていく自分に気付いたときの絶望感も。


 クルスは俯いたまま黙っていた。


「あなたは立派な人よ。間違っていることを、ちゃんと知っているんだもの」


 彼は俯いたまま、ぼそりと呟いた。「……違います」


「違うかしら?」


「……違うのです。私は、間違っているとは思っていません。聖域を維持していくのが村のためですから、犠牲が出ることで掟が形骸化(けいがいか)しないなら、それは正しいとさえ……」


 語尾はかすれて消えた。


 よほど『聖域』が大切なのだろう。そして、その不可侵も。


「クルスさん……。どうしてあの泉がそこまで大事なものなのか、教えてくれないかしら?」


 クルスは躊躇いがちに、ぽつりぽつりと語った。




 彼が生まれる前、この村は毎晩大量の魔物が出現していたのだという。村の戦士たちは勇敢に戦い、なんとか夜を乗り切っていた。


 ある晩、ひとりの女性がふらりと村に立ち寄り、ある提案をしたのだという。勇敢な戦士たちが犠牲になるのは忍びないので、魔物の量を大幅に減らしてあげましょう、と。


 そして女性は自分が泉に住む守り神だと明かしたのである。


 次の晩には魔物は一体も現れなかった。守り神を本物と信じた人々は、村長を中心として泉へと足を運び、未来永劫、村を守護するよう頼んだのだという。


 守り神はふたつの条件を出した。


 ひとつは、この場所を『聖域』として不可侵とすること。


 もうひとつは、ひと月に一度、供物を提供することである。


 村長は承諾し、以後村の魔物は激減した。夜毎(よごと)の戦闘で疲労していた戦士たちも恢復(かいふく)し、村の繁栄のために防衛の柵を造ったのだという。




「当時の村長は夜毎の戦いで消耗し、命を落としたらしいです。代わりにひとり息子だった青年が村長の役職に就いた矢先、守り神が現れたと言われています。その青年というのが、今の村長です」


 語り終えて、クルスは静かに目を閉じた。


 彼の話自体は大昔の伝承ではないわけか。あの村長が関わっているとすると、どうも話の信憑性が揺らぐ。


 クルスが生まれる前、ということは当時のことを正確に把握しているのは村長と同じか、それに近い年齢の者だけということになる。


 村長であるハンバートの姿を思い出す。


 あれはどう見ても七十は超えている。彼に仕えていた初老の女性でさえ、当時は子供だったろう。


 すると、今となってはいくらでも脚色できるだろう。都合の良いように全体の流れを作り変えることも、細部に色を加えることも。


 それでも、いくつか掘り下げたい点があった。


「不可侵だけなら処刑する必要ないじゃない」


 わたしの疑問に、クルスはばつの悪そうな顔をした。


 じっと彼を見つめる。答えるまでは目を離さない。


 観念したのか、クルスはゆっくりと口を開いた。「……確かに、不可侵だけなら処罰は必要ない。ただ、それが破られた場合、守り神を鎮めるために禁を犯した者を泉に投げ込めば引き続き守護を受けられる。……守り神が提示した付加条件らしい」


「だったら、わたしは確実に処刑されるじゃない……」


 クルスは顔を背け、小さく頷いた。


 守り神を鎮めるために犠牲になるのか、わたしは。あまりにも横暴な話だ。


 それに、本当に不可侵であるなら昨晩の人型魔物は例外なのだろうか。


 到底納得出来ない話だったが、まだ聞きたいことがある。


「不可侵については理解出来たわ。……で、もうひとつの条件についてなんだけど」


「供物ですか?」


「そう。供物って、どういうものを指すのかしら? それに、供物を運ぶ人は聖域に侵入したことにならないの?」


「供物を運ぶ使者――村長は、例外です」


 そう答えたきり、彼は黙ってしまった。


 肝心の供物についてなぜ沈黙するのか。おおかた想像出来たが、クルス自身の口から確かめるのが一番だ。


「……それで、供物って?」


 クルスは口をぱくぱくとさせ、いつまでも言葉にしようとはしなかった。可哀想だったが、なりふり構ってはいられない。


 クルスの両肩を掴み、じっと視線を注いだ。「教えて頂戴」


 クルスは苦々しい表情を浮かべ、ようやく口を開いた。


「……子供です」


「……子供?」


「……ええ。泉の守り神は子供が好きなんです。遊び相手として一晩過ごすために」


 なんだそれは。


 嫌な感覚が背筋を這いずる。


 子供が供物?


 子供が好き?


 遊び相手?


「ところで……供物になった子供たちは今まで帰ってきたことがあるのかしら」


 クルスは目を瞑り、首を横に振る。「子供は一晩過ごしたあと、守り神の力で泉の精霊になります」


 嫌悪感が全身に広がる。心臓が強く脈打っていた。


「クルス。あなたは本気でそれを信じているの?」


 曖昧に頷いた彼の両肩を揺さぶった。


「正直に答えなさいよ! そんなの、死んでるに決まってるじゃない! あの十字架はなんのため!? 子供を――」


 クルスの掌がわたしの口を覆った。


 彼は泣いていた。


「やめてくれ……。お願いだから、やめてくれ……」


 泣くような良心があるのなら、どうして放置しているのか。果たしてそれが正義なのか。それを正しいとさえ思っているのか。


 怒りが胸で渦を巻いていた。ただ、それをクルスにぶつけるのは違う。


 掌をトントンと指で叩くと、彼は我に返ったようにゆっくりと手を離した。


 何度か深呼吸をする。思考が淀んでいる。とてもじゃないが、冷静とは言い切れない。異常な物事に直面したときこそ、理性を目一杯働かせなければ。


「……あなたが葛藤しているのは分かる。正しいと思い込まないと自分を保てないのも分かる。抵抗出来るほど力がないから、もどかしく思いながらも従うしかないその悔しさも、分かる。全部を勇気の問題にするつもりはないわ。勇気があればなんでも出来るなんてのは幻想よ」


 そう。力が及ばず、手も足も出ない状況に甘んじなければならない苦しみは地獄だ。


「あなたはそのままでもいい。ただ、少しでも今の状況を変えたければ、わたしの邪魔をしないで。わたしは――自分の信念に従う」


 ドアに寄り、鍵を開け放った。


 クルスはただただ、こちらを見つめているばかりだった。


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