74.「聖域の魔物」
もはや自警団の出る幕はなかった。グールの気配が十メートルの範囲まで来るとそちらに駆けて切り裂く。その繰り返しだ。南側はわたしひとりで問題なく守り切れる。
ランタナ方面も、ハルキゲニア方面も、魔物の気配が現れては消えていった。
三方は心配いらないだろう。
ただ、気になるのは北側である。グールの気配は数を増しているように感じた。北は一向に魔物の気配が減らない。すると、『魔物除けの風習』とやらもアテにならないかもしれない。
南側が一旦落ち着くと、クルスのもとへ戻った。
「クロエさん、素晴らしい腕前ですね! 感動的だ」
やはり、ド直球の褒め言葉。
思わず「えへへ」とにやけてしまう。
団員たちも口々に「お嬢さん、凄いですね!」「かっこいいなあ」「俺たちの出番がちっともないぜ」「本当に助かります」なんて投げかけてくる。
どうにも照れ笑いが収まらない。
「ちょ、ちょっといいかしら」にやけ顔をなんとか引き締めてクルスに呼びかける。
「なんでしょうか?」
「普段は何体くらいのグールを相手にしているの?」
魔力量に対してどの程度グールが増加するかを計るにはこの質問が一番だ。
「そうですね……。一晩に一体出るか出ないかです」
なるほど。既にわたしひとりで十数体を葬っているので、普段と比較すると異様な数が出現していることになる。
魔力に対する魔物の発生度合は、土地によって様々だ。ここは魔力に敏感な土地なのだろう。
「一方向につき一体出るかどうか、ってことなのね」
「いえ、全方面合わせてです」
クルスの言葉に、一瞬思考が止まった。
一晩に一体? それも、出ない夜もある?
いくらなんでも少なすぎる。この規模の土地でその程度の数しか現れないのはあまりに不自然だ。
あるいは、彼らが知らないだけで、もっと大量に発生しているのではないだろうか。現在の北側のように。
「普段から北側は警備しないのかしら?」
クルスの顔に、一瞬だが影が差したように見えた。憂鬱な影が。
「ええ。北には警備は不要です。この村は、そういう仕組みになっています」
仕組みとは、なんだろう。
北側でグールが発生してから一向に減っていないことから鑑みるに、その仕組み自体が機能していないのではないだろうか。
訊くなら今しかない。彼らに実力を示し、少なからず一目置かれた今しか。
「クルスさん。どうしても気になっていることがあるの。もしわたしに教えたくないのなら、答えなくても構わないわ。……北側はどうして警備が不要なの? その仕組みを知りたいんだけど……」
ぴん、と張りつめたような沈黙が広がった。
団員は固く唇を結んでいる。
クルスはというと、険しい表情で考え込んでいた。言うべきか否か、迷っているだけなら幸いだ。ヨハンの注意したように、物騒なことにならなければいいが……。
やがてクルスは決心したように一度頷いた。それからゆっくりと口を開く。
「北には聖域があります」
「聖域?」
「ええ、聖域です。普段は決して立ち寄ってはならない場所。そこは小さな泉になっているらしいのですが、私は直接目にしたことはありません。その泉にハイペリカムの守り神がいます」
守り神。
なんとも信じがたい話だ。『聖域』という表現も願かけのように思えてならない。
「……その守り神が村の北を守ってくれるのかしら?」
クルスは重々しく頷いた。本気で信じているのかどうかは分からない。
「ええ。泉の守り神が、北の森からやってくる魔物を討ち滅ぼしてくれるのです。だからこそ我々は三方の警備で済んでいます」
もし守り神が本当にいるのなら、北側に溢れるグールの気配はどうなのだろう。これを早朝まで放っておくのが正義なのだろうか。
彼らの迷信を崩してしまうのは忍びなかったが、増えていく魔物を放置など出来ない。
「クルスさん。正直に打ち明けるけど、わたしは魔物の気配が察知出来るの。それも、割と正確に。さっきもあなたたちが気付かないほど遠くにいたグールを仕留めに行ったでしょう? それが出来たのは、魔物の位置が把握できるからよ」
男たちは顔を見合わせ、クルスは面食らったように表情を崩している。
「だからこそ言うんだけれど……。気を悪くしないでね……。今、北側はグールが溢れてる。柵が壊れないとも限らない状況なのよ。だから、北側へ行く許可をもらえないかしら? 全部倒してくるわ」
クルスは即座に首を横に振った。「それを許すことは出来ません。北は聖域です。誤って泉に侵入しないとも限らない」
でも、と返そうしたところで、背に異様な寒気を感じた。
今まで味わったことのない感覚。
ルフやリッチのように嫌悪を催すような悪寒ではなかったが、キュクロプスやマルメロでの微弱な気配のように、違和感がぞわぞわと足元や首筋に絡みつく。
未知は恐ろしい。
騎士団で、ほぼあらゆる魔物と戦闘を繰り返してきたからこそ、既知の魔物に関しては気配で把握出来るようにはなっていた。なのに、不明な気配がある。その事実自体におぞましさを感じてならない。
クルスの言葉を無視して駆けた。後ろから追い縋る声が聴こえたが、足を止めるわけにはいかない。
もし、見たこともない邪悪な魔物だったらノックスにまで危険が及ぶことは間違いない。クルスには悪いが、北に足を踏み入れる必要がある。
ランタナ方面の門前を駆け抜けるとき、ヨハンと目が合った。その瞳に落胆の色が浮かんでいたように見えたが、それに頓着している時間はない。
気配は徐々に近くなる。それにつれて、正確な位置も掴めた。北側の柵付近にいる。
その魔物は、どうやら共食いしているようだった。その証拠に、グールの気配が急激なスピードで消えていく。二、三十体ほどの気配はあったはずなのだが、今や五体程度に減っていた。
もうじきその姿を目にすることが出来るはずなのだが、いかんせん濃い靄のせいで視界が悪い。位置を把握出来ても実物を確認しないと意味がない。相手はお馴染みのグールではないのだ。
そこに辿り着いたのは、最後のグールが消えた後だった。
そいつは黒いコートに、グレーのフードを目深に被っていた。腕は二本。足は二本。身長はヨハンと同じくらい。その右手には痩せた体型に似合わぬ大剣が握られていた。
足が止まり、思考も停止する。
どうなってる?
魔物の気配は、そいつからしていた。人型の魔物も存在はする。ただ、フードで顔を隠したり、武器を使用する奴は初めてだ。しかも、整った呪力が感じられる。
サーベルを構えると、そいつは森の方角へと駆けていった。隙を突かれたかたちになり、多少出遅れながらも気配を頼りにそいつを追う。
気配は森の深くへと進んでいき、やがて感知出来なくなった。異様ではあったが、強い気配ではないし、グールほど露骨な気配でもない。数百メートル離れられたら追えなくなるであろうことは分かっていた。
森に入ってどのくらい進んだだろう。すっかり気配は消え去っていた。随分と遠くに逃げたらしい。
共食いではなかった。グールの血に塗みれた大剣は、ただただ殲滅するために振るわれたことを物語っていた。
ふと、水音がした。
木々の先を少し進むと、開けた場所に出た。中心に大きな泉。それを囲うように苔むした地面が広がっており、更に円形に木々が取り囲んでいる。
ここがクルスの言った泉なのだろう。魔物の気配はない。
静かな場所だ。ただ、気になる物がひとつだけあった。
泉の真横に、太い木板で作られた十字架が刺さっている。ご丁寧に釘まで打って、見るからに頑丈そうだ。十字架のくすんだ木目は年季を感じさせたが、直立に立っている様子を見るに、かなり深く刺さっているのだろう。木肌はところどころ、締めつけられたような傷跡がついている。
それがなんのために設置されているのかは分からなかったが、人為的な物であるのは明らかだった。
泉の守り神。フードを被った人型の魔物。血塗れの大剣。聖域。
なるほど。ヨハンが知らせようとしなかった理由も頷ける。
これはあまりに異常で、不穏だ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ルフやリッチ』→作中でクロエが出会った魔物。リッチは『16.「深い夜の中心で」』、ルフは『37.「暁の怪鳥」』で遭遇。
・『マルメロでの微弱な気配』→詳細は『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』参照。
・『呪力』→魔物が帯びた魔力を便宜的にそう呼んでいる。実質、差はない。




