72.「自警団長クルス」
村は丸太を括った柵に周りを囲われていた。柵の上部は鋭く尖っていて、グールが登ろうものなら串刺しになる――それを期待した設計なのだろうが、奴らの爪なら丸太を破壊することも可能だろう。現に、補修された箇所がいくつも見受けられた。あまりに粗末な抵抗だが、鋼鉄や石で壁を造れないほど貧しいのだろう。ありあわせの資源で賄っていく考え方自体は否定すべきものではない。
村の北部は丘になっており、それを覆うように鬱蒼と木々が広がっていた。
その森は手が加えられているようには見えなかった。逆に南側はぽつぽつと木々が生えており、目を凝らすと切り株がいくつもあることに気が付いた。おそらく南側の木々を切り倒し、それを資材としているのだろう。健気な努力だ。
街道沿いの柵は観音開きの門になっており、大型馬車一台分が通過できるほどの幅広さだった。
門番はおらず、開け放たれていた。
「魔物対策なんでしょうね。夜になったら閉めてしまう、ということです」
「……健気ね」
ヨハンの言う通り、それは魔物対策ではあるのだろうが、内側に閂を挿そうとも素材自体の強度は変わらない。壊されては直し、砕かれては造り、その繰り返しだろう。
村の内部には家畜小屋や井戸、無人の見張り台、あとは木製の家屋が等間隔に並んでいた。村人を数人見かけたが、どれも疑るようなねっとりとした目付きをしている。
「ランタナ方面からハルキゲニアの使者じゃない人間が来るのが珍しいんですよ」とヨハンは耳元で囁いた。
なるほど。使者ならば、大型馬車『ユートピア号』を引いているように、それと分かるものなのだろう。馬を所持した三人連れが訪れること自体が異様なのである。
「まず自警団長のところまで行きましょう。そこで話をつけるのが第一ですからね」
「ええ、分かったわ」
こちらの返答を聞いてから、ヨハンは身体を折ってじっとわたしを覗き込んだ。例の薄気味悪い目付きではなかったが、咎める様な険しい表情をしていた。
「なによ」
「自警団長に話をつけるのは私が請け負います。お嬢さんは余計な口を挟まずにいてください」
「なんで」
思わずムッとした。まるでわたしが面倒事を引き起こすお荷物みたいではないか。
「昨日の廃墟でのことを忘れましたか? これ以上厄介事には巻き込まれたくないでしょう? ただでさえ交流の少ない村なんだから、自警団の機嫌を損ねれば村から追い出されますよ」
「き、昨日のことは確かにわたしに非がある……かもしれないわ。けれど、納得いかないことをそのままにしておくなんて性に合わないの。勿論、あなたの忠告は聞くわ。とっても大人しく、ね。だけど、あなたが素直に話してくれないからわたしもムキになるんじゃない」
「ムキになっていたんですか?」とヨハンはニヤニヤする。思わず脛を蹴りたくなった。
「言葉の綾よ。とにかく、わたしはわたしの思う通りに行動する。知りたいことを知ろうとするし、すべきことをする。分別はあるわ」
「そりゃそうでしょうよ。騎士様なんですから。ただ、迂闊な行動でせっかくの交渉を滅茶苦茶にしてほしくないんですよ。分かりますよね?」
こういうときだけ大人ぶって見せるのはうんざりだ。ヨハンの言うことは正しいし、常に最善の方法を選び取っているのだろう。
「分かるわよ。あなたは正しい。だからといって黙っていろだなんて、ちょっと酷いんじゃないの?」
ヨハンは肩を竦めた。「酷いでしょうね。私だって、出来ることならお嬢さんを労り尽くしたいですよ。毎日だってチーズフォンデュをご馳走してあげたいものです。しかしながら我々はあくまで旅の同行者であって、どこまでも功利的な関係性です。お嬢さんの目的は迅速にグレキランスに到達することでしょう?」
「勇者と魔王を討ち倒すのが目的よ。グレキランスはそのために必要な過程」
ヨハンはぐしゃぐしゃと頭を掻いた。「そういうことを言いたいんじゃないんですよ。つまり、我々は早急に、一日も早く行動する。その障害になるようなものをあえて作るべきではないということです」
段々と腹が立ってきた。勿論、昨日の一件でヨハンに感謝はしている。しかし、それとこれとは別だ。
「つまり、わたしは疫病神みたいなものだから、喋るな動くな、ってことでしょ? 余計な面倒を起こさないために」
ヨハンは長いため息をついた。「自警団長は気難しい人ですから、下手なことを言うと今夜は野宿ですよ? 特に村の内部のことに関しては敏感です。喋るなとは言いませんが、村についてはあまり触れないでください。いいですね? お綺麗なお嬢様らしくしてください。せっかくセンスの良いファッションをしているんだから」
納得がいかない。
褒め言葉でなだめすかそうとしているその魂胆も気に入らない。
どう言い返そうかと思案していると、不意にノックスのことが気にかかった。彼を見ると、相変わらずの無表情ではある。もしかすると、こんなやかましいやり取りを傍で聞くのも慣れっこなのかもしれない。
ノックスを売り渡した両親。そして、グレゴリー。
もしかすると、わたしもそいつらと同じに見えているのかもしれない。
ぞっとした。
「分かったわ。もうやめましょう。……ごめんなさい、わたしがどうかしてた」
「そう神妙にならないでください。お嬢さんの言い分も理解出来ますから」
ヨハンは困惑を顔に浮かべていた。あっさり引き下がるのが腑に落ちない、といった具合に。
やがて柵付近の家屋前でヨハンは足を止めた。随分と村外れの場所である。
「ここが自警団長の家です」
やけに小さい。まるで小屋だ。おそらく独り身なのだろう。
窓にはなんの明かりも灯っていなかった。外出中なのでは、と口にしようとした瞬間、小屋の扉が開いた。
中から現れたのは、がっちりとした体躯の男だった。タソガレの武闘派連中と比較しても遜色ないくらいの体型。露出した腕にはいくつもの切り傷。その精悍な顔付きは、夜毎の戦闘を切り抜けてきた威厳を備えていた。茶のがっしりしたジャケットに、同系色のズボン。臙脂色のブーツは随分くたびれていた。腰に下げた剣は、鞘の形状から考えるに両刃だろう。
戦士。そんな印象だ。
「おや、ヨハンさんじゃないですか。これはこれは」
顔を綻ばせて会釈する姿は、割と穏やかな人格を思わせた。ヨハンが言うほど気難しそうには見えない。
「お久しぶりです」と返すヨハンに、自警団長は手を差し出した。そしてがっちりと握手をする。
男はわたしとノックスに視線を向けて問いかける。「そちらの方は?」
「クロエお嬢さんとノックス坊ちゃん。ハルキゲニアへの旅の同行者です」
「これはこれは、どうも。私はクルスと申します」と言いながら男はお辞儀をひとつ、握手をひとつ。配慮のある握力だった。
「坊ちゃんも、どうぞよろしく」
ノックスにも同様に、お辞儀と握手。律儀な男だ。
「ハルキゲニアへ行くということは、ここで一泊するのですね?」
「ええ」「はい」わたしとヨハンの声が重なった。
自警団長――クルスはその様を見て微笑んでいる。
彼の前で、どのような警戒が必要だというのだろうか。確かに守護者然とした風貌だが、温厚な面しか見えてこない。あるいは、秘めた性質があるのかもしれない。
しかし、わたしのなかではすっかり警戒心が消えていた。
「自警団員の小屋を紹介しましょう。クロエさんと坊ちゃんはそこで一泊するといいです。なに、心配は必要ないです。どの団員も客人を大切にしますから。ヨハンさんは前と同じように、共に戦っていただけますかな?」
「勿論です」
「これは頼もしい。ヨハンさんが前回いらっしゃったときは魔物の数が丁度増えましたからな。いやはや、素晴らしいタイミングで手助けをいただきました」
クルスは誠実に語る。彼は魔力と魔物の関連性を知らないらしい。気の毒だったが、却ってなにも伝えないほうがいいだろう。
「クルスさん。今夜はわたしも戦っていいかしら?」
申し出ると、彼は不思議そうに首を傾げてから、ようやく腰のサーベルに目を落とした。
「帯剣しているようですね。しかし、お嬢さんに戦わせるのはさすがに私も忍びない……」
すかさずヨハンが口を挟む。「クロエお嬢さんは私よりも遥かに強いです。彼女がいれば今夜の警備は必要ないくらいでしょう」
「うーむ」とクルスは唸った。「ヨハンさんの言葉を信用していないわけではないのですが……」
案外、固い考えをしている男だ。
「なら、最初の一体をわたしに倒させて。それで戦力にならないようなら大人しくするわ」
「……分かりました。そこまで言うのなら、手助けしていただきましょう。ありがとうございます」
言って、クルスはぺこりとお辞儀をした。
「ノックス。今夜はひとりでも大丈夫かしら?」
「大丈夫」
相変わらずの返事だ。
そのやり取りを聞いて、クルスは「警備の者をつけておきますから、坊ちゃんもご安心なさってください」と告げて柔らかく笑んだ。
どうやら、話は穏やかに決着したようだ。気をつけることなんてなにもない。
わたしたちは自警団長クルスの小屋と、その隣にあった団員の小屋を使用していいらしく、その好意に甘えることにした。とはいえ、夜間はどうせ戻ることはない。「夜まで退屈でしょうから」とのことでわたしたちはクルスの小屋で休憩することになった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・ユートピア号→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて
・魔力と魔物の関係性→魔力に引き寄せられる、という魔物の一般的な習性。詳しくは『9.「視覚共有」』にて




