6.「魔術師(仮)」
人形使い。人形に魔術を流し込み、魔力のこもった武器――『魔具』として使役する使い手。人形使い自体が王都でも数人しかおらず、『魔具制御局』に正式登録されている人形の魔具も数少ないはず。手のひらサイズの人形を操るならいざ知らず、人間と同じサイズの物体に常時魔力を注ぎ続けられる者なんて聴いたことがない。それも、戦闘目的ではなく単なる生活の便宜のために使役するなんてことがあってたまるか。こんなに練度の高い人形魔具と、その使い手が制御局に未登録のままのわけがない。一流の魔術師と、正規に作られた魔具は必ず制御局への登録を受ける必要がある……というより、登録のない魔具や魔術師の質なんてたかが知れているのだ、本来は。
ニコルの言葉が胸に蘇る。
広い世界。
そこには自分の知らない事実が山ほどあるのかもしれない。しかしながら、今まで培ってきた知識や経験をあっさり投げ打てるほど素直ではなかった。
見れば見るほどハルは人間でしかないし、ネロに強大な魔力などなさそうだ。歳の離れた姉弟のごっこ遊び。そう考えるのが妥当だろう。
だから、大人げない考えは隠し通すことに決めた。ハルはともかくとして、ネロはほんの子供なのだ。事実であろうとも否定するのは気が引けたし、なにより彼らには感謝している。
転移魔術が実行されてからここに至るまでの記憶が抜けていた。この地に飛ばされ、ベッドで目を覚ますまでの間は決して安全ではなかっただろう。夜は魔物の時間だ。この土地にだって跋扈しているに違いない。酔っ払いと思われようと泥棒と警戒されようと、ベッドまで運んで保護してくれたことは事実なのだ。本当に、ありがたい。
それとともに、妙な焦りが心に生まれていた。早く王都へ行き、ニコルの裏切りを報告しなければならない。
それを信じてもらえるかどうかは全く心配していなかった。王宮には真偽師がいる。彼らにかかれば、あらゆる嘘は暴かれてしまうのだ。法廷や監獄で、背反者やら罪人やらを相手にしていることがほとんどだが、ひとつ例外がある。王への謁見の際、事前に真偽師による審査が必ず入る。加えて、謁見中も真偽師が王のそばから離れることはない。真実は、王都ではなにより貴重なものなのだ。だからこそ、そこにたどり着きさえすれば……。
「……お姉ちゃん」
不意に話しかけられて、思考を中断する。
「どうしたの?」
「く、クロエお姉ちゃんはどこから来たの?」
ネロは先ほどよりはいくらか緊張のとけた様子をしていた。人形使い宣言は一種の、親交のための儀式的なものなのかもしれない。子供って、よく分からない。
「お姉ちゃんはね、こわーいところから来たんだよ」
「ひっ!」
面白半分におどかしただけで、ネロはハルのところまで一目散に駆けていった。そしてまた彼女の足にしがみつく。
ハルはハルで「クロエ、まだ酔っぱらってるんでスカ?」なんてやり返してくる。
嘘じゃないんだけどな、と思わず苦笑してしまう。全人類が恐れる魔王の城で、魔王と対峙してきたのだ。
「ハル、ニンジンは入れないで」
「マスター、好き嫌いはダメデス」
ハルは大鍋に容赦なく、ニンジンを投入していった。
魔王が生きているなんて知らなければ良かった。そう思いたくなるほど、平和な光景である。けれども、今さらなにも知らない自分に戻ることは出来ない。騎士として、裏切られた新婦として、真実を知る者として、なんとしてでも王都を目指さなければならない。
「ネロ。ハル。教えて欲しいことがあるんだけれど」
ハルがわたしの顔に視線を向ける。ネロは彼女の足にしがみついたままだ。
「ここから王都へは、どうすればいけるの?」
ハルは首を傾げる。「オウト? 自動? ああ、嘔吐でスカ。お手洗いは奥の突き当りデス」
「違う違う! 王様のいる場所よ」言って、思わず吹き出してしまった。
「ああ、グレキランスのことでスネ」
一瞬、ハルの言った単語の意味が分からなかった。グレキランス……グレキランス。ああ、とわたし自身も得心する。王都の正式名称がグレキランスなのだ。ただ、王都の人民は誰もその名を口にしない。なぜかは分からないが、ただただ王都としか呼ばないし、国王本人の口からもグレキランスの名が出たことはないのではないかと思ってしまうくらいだ。
「グレキランス……?」
ネロは不思議そうに繰り返す。
「ずっと遠くにある国のことデス。クロエはそこに行きたいようでスヨ」
「ずっと遠く?」
思わず聞き返してしまう。ここは一体どこで、王都からどれだけ離れているというのだろう。
ハルは頷いて答えた。「ずっと遠く、デス」
具体的に答えられないのか、はたまた答える気がないのかは知らないが、どれだけ遠くとも行かなければならないのだ。
「方角はどっち?」
「サア」
「地図ってあるかしら?」
「サア」
「お願い! 早く王都に行かなきゃならないの」
「なら、庭を直してから行ってくだサイ」
ばっさりと切り捨てるような口調だった。
ハルは玄関のドアを開けると、こちらに目くばせをした。来いということだろう。立ち上がると目が眩み、多少よろめいてしまったがネロはなにも言わなかった。たぶん、見えていないのだろう。わたしはネロを残して外に出た。
夕暮れの真っ赤な光が、射るように注がれていた。思わず目を細める。右手には小川を挟んでまばらな林が広がり、振り向くとぽつぽつと木々の生えた丘が続いていた。のどかな平地の川沿いに建てられた小屋。それがネロとハルの住まいらしかった。
ハルは橋を渡り、林へと歩いていった。ときおりこちらを振り向いては、合図するように立ち止まる。わたしは心持ち早足で彼女を追った。もうじき夜が来て、暗がりが濃く深くなるにつれ、魔物が活動を始めるだろう。
もし、と想像する。もし今、強力な魔物と戦闘になったとしたら、わたしは二人を守れるのだろうか。魔具なしで、そいつに対抗出来るのだろうか。騎士団員とはいえ、完璧と言えるほどの自信は持てない。
ハルは林の奥まった場所で足を止めた。その隣に並び、それを見つめる。
「クロエ。アナタがなぜグレキランスを目指すのかは分からナイ。けれども」
それなりの理由はあるのでしょウネ、と続けた。
林の奥には、抉られたようなクレーターが出来ていた。そこにあったであろう木々は一本たりともなく、その残骸さえ見えない。
ハルは沈黙している。それは理由を要求するような、実に人間じみた沈黙だった。
【改稿】
・2017/11/11 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2019/02/18 誤字修正。