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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」
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69.「漆黒の小箱と手紙」

 アリスが両腕をゆっくりと持ち上げ、両の銃口をヨハンに向けた。


 左肩を撃ち抜かれているにもかかわらず、照準は合っている。血が噴き出し、みるみるうちに彼女を深紅に染めた。


 執念。なにが彼女をここまで駆り立てるのだろう。単に戦闘狂というだけで説明し尽くせるほど安易ではない。


 アリスの表情には鬼気迫るものがあった。


「無駄ですよ。先ほどのように弾丸を遅延させてしまえば私には傷ひとつ付かない。そんなことは理解出来ているでしょう?」


「やってみろ!!」


 アリスの声と二発分の発砲音が響き、弾丸が一瞬でヨハンの身体へと向かう。


 しかし、着弾は叶わなかった。


 ヨハンの周囲には魔術の動きを減退させる膜が張られているのだろう。死霊術師(ネクロマンサー)の丘でハルに仕掛けた魔術だ。一度は目にしているとはいえ、やはり異様な術である。わたしの知識にはない魔術だったが、眼前で繰り広げられるそれを疑うほど意固地ではない。


 遅延魔術。名付けるならそんなところだろうか。


 更に二発分の発砲音。合計四発の魔弾はヨハンに接近するにつれて速度を落としていった。


「アリスさん。あなたの負けです」


 ヨハンの言葉と共に、アリスの腕はだらりと落ちた。唇を噛み締め、荒く息をしている。きっと彼女は、ヨハンを撃ち倒す方法を考え続けているのだろう。しかし、魔弾以外に有効な攻撃手段を持たないのか、次の一撃はいつまで経っても仕掛けられはしなかった。


 ヨハンの腕に押さえつけられたケロくんが不意に暴れ出し、拘束を抜け出した。まずい、と思ってサーベルを構えたが、意外にもケロくんはアリスへと一直線に向かっていった。


 そして彼女の前で大きく腕を広げて立ちはだかる。


「あ、アリスをいじめるなケロ!」


 そう叫んで、ぽろぽろと大粒の涙を零した。


「やめな、ケイン」と呟いてアリスは俯いた。髪で覆い隠されて、彼女の表情は窺えない。


「やめないケロ! アリスは今、本調子じゃないケロ! でかい魔物を何頭も倒して、その疲れが抜けてないケロ! 本当なら――」


「やめてくれ。あたしに恥をかかせたいのかい?」


 アリスが静かに遮ると、ケロくんはしょんぼりと項垂(うなだ)れた。それでも、彼女の前で両手を広げ続けている。


 恩人。ただそれだけで彼女の盾になれるものだろうか。


「あたしの負けだよ。ヨハン、だったね。あんたには……」言葉を切る。そこには屈辱が凝縮していた。「あんたには、勝てない」


 唇に血が滲んでいた。それほど強く噛んでいたのだろう。敗北はアリスにとってなによりも、もしかすると死よりも恐ろしく、また、苦しいものなのかもしれない。そう思わせるくらいの迫力があった。


「勘違いしないでください」と言うと、ヨハンは身をかがめて遅延魔術を解いた。弾丸が元の速度を取り戻し、窓の向こうへ消えていく。そして立ち上がった。


「私は交渉のテーブルに乗ってほしいだけです。敗北を認めさせることは目的じゃない。あくまで素直に話を聞いていただくために通過すべき障害だっただけです」


 素っ気ない口調。


 確かにヨハンの言う通り、アリスを屈服させなければまともに話など出来るはずがない。それを遺漏(いろう)なく遂行し、意のままに状況を展開させている彼はまさしく悪魔的だった。


「なんだい。早く言いなよ。あんたも理解しているだろうけど、あたしは負けたからといって全て思い通りになるような女じゃないよ」


 強がり、というわけでもなさそうだ。あくまでも事実として伝えたのだろう。今までの様子を見ていれば、彼女が言葉だけの虚勢を張る人間でないことは把握出来た。


 ヨハンはケロくん越しに返事をする。「ええ、承知しています。勿論、あなたにも拒否権はありますし、無理にどうこうしようなんて考えていません。ただ、あなたにとって重要であろう物を渡したいだけです」


 言って、ヨハンはケロくんを無視して封筒をアリスに手渡した。魔力は(こも)っていない。少なくとも、わたしの認識する範囲では。もはや、ヨハンのなすことに対してどう判断や評価を下せば妥当なのか分からなくなっていた。


 わたしの常識(・・・・・・)を逸脱した存在。『最果て』にこんな奴がいるとは微塵も思わなかった。


 封筒を受け取り、アリスはゆっくりと封を切った。腕が痛むのか、時折顔を歪める。


 中身は手紙のようで、アリスは手に取って読み始めたが、みるみるうちにその目は見開かれていった。口元は緩んでいる。心配そうにちらちらと振り返るケロくんも、彼女の視界には入っていないようだった。


 読み終えたのか、アリスは顔を上げた。


「ケイン、どいて頂戴。あの男と話がしたい」


 ケロくんは困惑を顔に浮かべたが、大人しく身を横にずらした。これでヨハンとアリスが対峙したかたちになる。


「訊きたいことがあるんでしょう? どうぞ、仰って下さい」


 そう促したヨハンを、アリスは睨んだ。「これは本物?」


「当然です」


「ここに書かれていることも、本物?」


「筆跡に関してはあなたがよくご存知でしょう。無論、本物です」


「ああ、そう……」


 呟いて、アリスは項垂れた。


「アリスさん。それを読んでどうするかはあなた次第です。私は干渉するつもりはありません。ただ、内容を疑ってほしくはありませんね。インクで書かれていますが、中身は血文字同然です。それが書かれた場に居合わせたのですから、当然内容は知っています」


 ヨハンの言葉に、アリスは答えなかった。ただ沈黙している。


「アリスさんに関しては以上です。で、次は君です、カエルくん。いや、ケイン」


 そういえば、ケロくんの名前はケロケインだったか。しかし、覚え(づら)い。


 ケロくんはぶるりと身を震わせてヨハンを見つめ返した。「なんだケロ」


「君には先ほど伝えた通り、応分の働きをしていただきたいと思っているんですが、その返事をいただけませんか? あなたの報酬も約束します」


「報酬について先に教えるケロ」


「あなたの身の安全。勿論、恒久的なかたちでの」


 ケロくんは暫し逡巡していたようだったが、やがてはっきりと頷いた。「分かったケロ」


「よろしい」とヨハンは呟いて、鞄から真っ黒な小箱をひとつ取り出した。分かり易いほど、魔力が満ちている。「今後これを使って連絡を取りますので、失くさないように頼みます」


 頷いて、ケロくんは箱を手に取った。


 魔具だろうか。あるいは、ヨハンの魔術をかけただけの代物だろうか。いずれにせよ、今この場でわたしに説明を加えるつもりはないようだった。


「さあ、用は済みました。行きましょう」


 そう残して、ヨハンはいち早く部屋を出て行った。彼が消えても、アリスに敵意は戻りそうになかった。それだけの動揺が彼女を覆っているのだろう。


 ノックスの手を取り、去る前にアリスに呼びかけた。「アリス。こんな状況で言うことじゃないかもしれないけれど、ひとついいかしら?」


「なにさ」


 関心の薄い声だった。アリスは今、わたしどころではないのだろう。


「この子――ノックスを『関所』の魔物から守ったのはあなたなの?」


 アリスはノックスを、ぼうっとした目付きで見つめた。「そうだよ。……あんた、よく生きてたね。偉いじゃないか」


 そして、口の端にほんの小さな笑みを浮かべた。ああ、本当はこういう笑いかたをするのだろう、彼女は。


「ありがとう」とノックスはアリスに対して告げた。あまりに自然に、そして相変わらずの無表情で。


「あたしは好きで守ったんだよ。ガラの悪いオネーチャンが気まぐれを起こしただけさ」


 戦闘狂。それはやっぱり一側面でしかない。こういうアリスもいるのだ。


「それじゃ、もう行くわ」


 踵を返したところで、アリスに引き留められた。「待ちなよ」


「なにかしら」


「お嬢ちゃんとの決着はついていないからね。今じゃないけど、いつか必ずあんたを殺す。いいね?」


 思わずため息が漏れた。「ええ、楽しみにしておくわ」


 外に出て、まず時計塔を見上げた。崩れ落ちた最上部。怪鳥ルフの巣。『関所』を襲った巨大な鳥型魔物。


 おそらく、アリスは『関所』で喰われたあと、その嘴の中で魔弾を充填したのだろう。そして、この廃墟に到着した瞬間から戦闘を開始した。五、六体の雛と、成体のルフ。それを全て討伐したのだ、彼女は。ヨハンには出し抜かれたかたちになったが、純粋な戦闘能力でいえば彼女は一流だ。


 今後敵として現れることがあれば、と思わずにはいられない。


 そのときには、フェアに、全力で戦うしかない。


発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・遅延魔術の初出→17.「夜明け前~ハルと死霊術師~」

・「ノックスを『関所』の魔物から守ったのは~」→40.「黄昏と暁の狭間で」

・怪鳥ルフ→37.「暁の怪鳥」

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