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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」
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64.「他の誰かは騙せても」

 頭の中でなにかが暴れていた。


 理性が警鐘を鳴らしている。しかし、それはあまりにちっぽけな力しか持っていない。わたしの動きを止めるに足る声量で響いてこない。


 憎悪が荒れ狂い、ヨハンというおあつらえ向きの出口へと疾駆していた。


「――!!」


 ヨハンがなにかを叫んでいたが、わたしの耳には言葉として届かない。


 切りかかったわたしの刃は、ヨハンの頭上で停止した。そこから先はどれだけ力を込めようとも、一ミリたりとも進まない。ヨハンの魔術――ではない。


「そのまま、理性に意識を集中させてください」


 (さと)すように、くっきりと聴こえた。その声音は確かな輪郭を持ち、相応の説得力を兼ね備えていた。


「そう。そのままです。理性の力を取り戻したら、まずは剣を納めましょう」


 その言葉に大人しく従う。鞘と護拳(ごけん)が、ガチリと音を鳴らした。


 と、思わず足の力が抜けてよろめいた。そしてそのまま膝を突く。


 呼吸が上手く出来ない。空気がまばらに肺に流れては去っていく。鼓動は早鐘のように打ち、頭は痺れたようになにも考えられない。


「そのまま座り込んで、少し休むといい。なに、お嬢さんはひとつも悪くはないです。大人しく深呼吸を繰り返していてください」


 言われるがままにぺたんと腰を下ろす。そして、ゆっくりゆっくり深呼吸をした。吸って、吐く。吸っては、吐く。そのひと呼吸ごとに頭の(もや)が晴れていく。


 その次にやってきたのは全身の震えだった。指が絶え間なく微動し、呼吸がつかえる。気付くと視界が暗くなった。


 そして額に硬い感触が広がる。


 肩と右腕が温かい。そこだけはまともに生きているような、そんな感じがした。


 わたしは今、両肩と右腕を除いて震えに(さいな)まれ続けている。孤独感じゃない。絶望とも違う。恐怖に近いがどうもはっきりと言い切れない。寂寥(せきりょう)、失意、後悔、どれもぴったりと合わない。


 ああ、そうだ。これはよく知っているじゃないか。今まで何度も繰り返し味わってきた、地獄に最も近い感情だ。取り返すことの出来ない、ただひたすらに身を刻んでいく心の刃だ。


 自己嫌悪。そう。それだ。


 自分が今、額を床に擦り付けて、精神的な苦痛に顔を歪めながらきつく目を瞑っていることにようやく思い至った。


 ゆっくりと身を起こすと、両肩を掴んだヨハンの顔が映る。唇を噛み、決然とした表情を浮かべている。


 なぜかは知らないし認めたくはなかったが、わたしの頬に一筋だけ、原因不明の涙が流れた。


 それからは必死で涙を堪えることにだけ集中した。


 ヨハンは肩から手を離し、ケロくんと対峙する。ケロくんの首筋からは、幾筋かの血が流れていた。


「次」とヨハンは言いかけて、首を横に振った。「次、妙な魔術をかけたら殺します。クロエお嬢さんであっても、坊ちゃんであっても、です。いいですね。実に残念だが、私は本気ですよ」


 ヨハンは冷めた目付きをしていた。一方でケロくんは怯え切っているような、弱々しい表情をしている。


「分かったケロ……。正真正銘、僕の降参ケロ」


「どうせ嘘でしょう? その言葉に信用する価値はありません」


 ヨハンの断定的な言葉に、ケロくんは動揺した。「え、いや、本当にこれ以上はなにもする気はないケロ!」


「なら」とヨハンは一歩前進する。そうしてケロくんを見下ろした。ヨハンのほうがだいぶ上背がある。「なにひとつ抵抗する気が起きないようにしてみせましょう。さあ、ケイン。他の誰かは騙せても、私を騙すことは不可能だと思わせてあげます」


 それから、ヨハンはケロくんの耳元でなにごとか囁いてから、彼の目を覗き込んで不気味な笑みを浮かべた。ケロくんは首にナイフが食い込むのも気にせず、がっくりと項垂(うなだ)れた。


「君にとって、これはショッキングな事実ではない。既に起こったことで、取り返しはつきません。ただ、チャンス(・・・・)はある。それに飛びつくかどうかは君次第……。私はどちらでも構わない。しかし、ここまで君が他人に関して過剰反応するのは後悔の裏返しだと見ていますが、いかがでしょう。だとしたら、私は君に絶好の機会を与えましょう。その代わり、君には当然の如く応分の働きをしてもらいます。勿論、その過程で私から君の組成や感情について言及することはない。君はあくまでも友好的なカエルくんとして奉仕するだけです。それが条件」


 ヨハンの意味不明な言葉の前に、ケロくんは俯いたまま返事をした。「分かったケロ。あんたの言う通りにするケロ」


「よろしい、素直さは美徳だとやっと理解しましたか。結構なことです」


 ヨハンの言葉と共に、二重歩行者(ドッペルゲンガー)が消え、ケロくんは支えを失い床にべたりと倒れ込んだ。そして不思議そうにヨハンを見つめる。


「友好の証です。協力者の首に刃を当てたままで、どうして信頼が得られますか」


 言い放って、ヨハンはわたしへと近寄ってきた。靴音が響き、骸骨然とした顔立ちが接近する。


「クロエお嬢さん、ご気分はいかがです?」


 ええ、上々よ。そう返そうと思ったのだが、口がぱくぱくと動いただけだった。ヨハンは眉尻を下げて、ため息をつく。


「今しばらくそうしていてください。もし、ですがね。もしお嬢さんの頭に罪悪感みたいなものが欠片でも(きざ)すことがあるとすれば、それは無視してください。一切、あなたの責任ではない」


 罪悪感。ぼんやりとそんな感覚が胸に広がりつつあった。騎士失格の四文字と共に。


「それと、坊ちゃん。あなたは素晴らしい働きをしました。誇りに思っていいくらいです」


 ふと横を見ると、ノックスがわたしの右腕をぎゅっと掴んでいた。彼は、今のぼんやりとした思考では形容の難しい複雑な表情をしている。


 ノックス、無表情以外にも出来るんだなあ、なんてことをぐらぐらと揺れる頭の中で思った。

紛らわしいかと思いますので、ケロくんの呼び名に関して下記参照。

ケイン=ケラケルケイン・ケロケイン=ケロくん=カエルくん

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