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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」
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56.「ジャックという偶像」

 翌日、早朝から訪問者があった。三時間程度の睡眠でふわふわする頭と、油断するとトロンと落ちてしまいそうになる瞼で出迎えたのは包帯だらけの男だった。


 マミー。砂漠の王墓に現れるという不死の魔物。書物でしか見たことのない存在。いやはや、これはどうも、と頭でぐるぐると下らないことが浮かんでは消える。


「朝っぱらからすまねえな」


「構わないわ」


 そう答えて包帯男――ウォルターをテーブルに座らせた。わたしとノックスが隣り合って座り、向かいにはヨハンとウォルター。それを取り巻くように武闘派の男が三人、いかにもな感じで直立している。奇妙な取り合わせだ。


「姉さん、随分と眠そうだな」


「平気よ」と返しつつも、瞼が閉じそうになる。


 ヨハンは大きなあくびをひとつして、ウォルターに一瞥を向けた。「それで、タソガレ盗賊団がなんの用です?」


「恩人にお礼がしたくてね」


 ウォルターは涼しげに笑う。ただでさえ細い目が糸のようになった。


「お礼なんていらないわ」


「そう言うなって。まあ、少し考えてくれ。……もうひとつ用事があるんだ」


 ウォルターはノックスを見つめる。それから「この子の名前は?」と訊いた。


「ノックスよ」


「そうか……。なあ、ノックス。俺はお前に謝りたい。俺たちに本当の勇気があれば、グレゴリーを止めることだって出来ただろう。本当なら、お前は今頃ハルキゲニアで魔術師見習いだったのによ……。恨んでくれて構わない。すまなかった」


 頭を下げるウォルターと大男たちを交互に見やり、ノックスは首を傾げた。なぜこの人たちが自分に謝罪をしているのかさっぱり分からない、といった具合に。


「……あまりノックスを困らせないであげて。謝罪されても戸惑うだけよ」


「それでも謝らせてくれ。どこかでケジメをつけなきゃならねえんだ」


 それはタソガレ盗賊団の流儀なのだろうか。あるいは、『ジャック』の教えだろうか。


 いずれにせよ、ノックスはもう盗賊たちの世界に巻き込まれることはない。誰かがその手を無理に引こうとするなら全力で断ち切ってやる。


「ノックスはもう、あなたたちとの縁は切れているわ。干渉しないのが本当の優しさじゃなくって? ……ウォルター。橋で言ったことを覚えてる? ノックスのことは見なかったことにする。それでいいんじゃないのかしら」


「そうだろうな」と呟いてウォルターは俯いた。「ところで、これからノックスはどうなるんだ? あんたたちが養っていくなら安心だが……」


「本来行くはずだった場所まで連れて行くだけよ」


「ハルキゲニアに?」


「ええ」


「そうか。……そりゃあいい」


 ノックスはそこで本当の人生を送り直すのだ。傷痕は消えないかもしれない。しかしそれでも、幸せの片鱗に触れる権利くらいあるだろう。


 今までの苦しみがこれからの幸福に繋がっている。綺麗事で、ヒロイックな空想だ。それでも、正しい結末を願うことのなにが悪い。


「もうノックスを脅かさないであげて」


「ああ、分かってる。誓うよ。俺たちのリーダーに」


「リーダーって、ジャックのこと?」


 ウォルターは頷いた。ヨハンが横目でそれを見る。ノックスは相変わらずの無表情だ。


「そう、ジャックだ。……あんたには話してもいいが、ジャックに興味があるか?」


 頷いて見せると、彼はぽつりぽつりと語り始めた。それは繊細なガラス細工を扱うような、慎重な言葉選びだった。


 ジャックは孤児だったらしい。それを以前のボスが拾い上げたのだが、彼はあっという間に派閥を形成し、新たな収入である魔物警護のビジネスを立ち上げて確かな実績を積んでいったのだという。やがてジャックは当時のボスに認められ、正式に次期ボスの指名を受けたらしい。それからというもの、魔物警護の手を広げ、この地域一帯をすっかり掌握した。それが十代の頃だというのだから驚きだ。


 その頃は敵対組織も数多く、タソガレ盗賊団の規模も小さかった。だからこそ抗争は絶えず、そのたびにジャックは前線に立って戦い、あるときにはたったひとりで組織を潰したこともあったのだという。いかにもな、誇張された伝説だ。


「それで、結局ジャックはどうなったの?」


「三年前に消えた。なにも告げずに。今はどこでどうやって生きているのか、あるいは死んでいるのか、さっぱり分からない。けれど俺たちが縄張りにしている地域でジャックの目撃情報は全くない」


 ウォルターは苦々しげに顔を歪めた。ジャックについて語るときは随分と表情豊かになるようだ。いや、素直になる、と言い換えたほうが適切かもしれない。


「で、あなたたちはジャックを探しているの?」


「ああ、そうだ。足を洗って幸せに暮らしているならそれでいいけど、霧のように消えちまったんじゃなにも納得できない。『ジャック派』の求心力が無党派に響かないのもそれが原因だろうな」


 彼ら『ジャック派』は去った人間にこだわり続けている。アカツキ盗賊団における『親爺』の教えとは全く違う。どちらが正しいとも決めつけたくはなかったけど。


 どうして彼が盗賊団から去ったのか。敵対組織の陰謀だろうか。それとも自発的に姿を消したのだろうか。


 オッドアイの、一見知的に見える優男。あの肖像画が本当のジャックをどれだけ反映しているのかは分からない。ただ、少なくともタソガレ盗賊団の『ジャック派』はそれを偶像のように見ている。


「ジャックに会ったらウォルターが探してた、って伝えてあげる」


「……ああ、頼むよ」彼は寂しげに笑った。「ジャックがいたら、今みたいに俺たちはバラバラじゃなかった。俺はジャックが歩もうとした道をなぞっているだけなんだ。とびきり下手くそで、あくびが出るほどトロくさい模写さ」


 ジャックに対する心酔。自分への卑下。しかしウォルターは第二のジャックとして組織をまとめあげようとしている。


「ねえ」頬杖をついて訊ねた。「なんで決闘のとき、最後まで戦ったの?」


 ウォルターは天井を見上げて、暫し黙っていた。コツコツコツと指でテーブルを叩く(さま)は、話すかどうか迷っているというよりはタイミングを見計らっているように見えた。


 やがて彼は「頭のネジが飛んだのさ」とだけ呟いた。それは答えというより、ひとり言のようだった。


 それから誤魔化すように肩を竦める。「確かに、姉さんに任せとけばこんなに苦労はしなかったろうな。なんせ巨人を倒しちまうような人なんだから。あんた一体何者なんだ?」


「騎士よ」


「騎士? なんだそりゃ」とウォルターは首を傾げる。その目は先ほどと打って変わって、探るような鋭さがあった。


 グレキランスの騎士であることを告げると、彼は頭を抱えてクツクツと笑い声をあげた。それから困ったように顔を歪める。


「いや、まいったね。姉さんは冗談を言うタイプじゃないと思うが、ちょっと信じられないな。でも、本当なんだろうよ」


 ウォルターの反応が正しいのだろう。海峡と険しい山の先、道のない場所から来たなんて簡単に信じられるものではない。勇者と魔王については伏せておくことにした。妄想じみた話を重ねたところで意味があるとは思えない。


「そんな騎士様に俺たちは助けられたわけだ。正式にお礼をしなきゃな」


「だから、必要ないわ。見返りが欲しくてやったことじゃない。友達を妙な争いに巻き込まないためよ」


「決闘への協力は姉さんにも思惑があったんだろうけど、巨人は別件だ。あの場で俺たちのために戦う義理はないはずだろ?」


 全く、この男は。なにも分かっちゃいない。世界は目に見える損得が全てではない。


「騎士としての義務よ。ウォルター、あなたの感謝は確かに受け取っておくわ。それで充分」


 しかし彼はしぶとく食い下がった。「あんたの信義の問題かもしれねえけど、それで俺たちは救われた。犠牲は出たが、生き残ったメンバーは全員、姉さんに命を拾われたんだよ。だから出来る限りのことをさせてくれ」


 どうしても引き下がってくれそうにない。


「なら、ひとつだけいいかしら」


 ウォルターは安堵したように笑顔を浮かべた。「ああ。遠慮なく言ってくれ」


 そしてわたしは、ウォルターの耳元で囁いた。あまりおおっぴらに言いたくはなかったからだ。


 それを聞いたウォルターは呆気にとられたように口をぽっかりと開いた。そして「服一着分の金なんてお安い御用だが、そんなものでいいのか?」と口にした。


 ヨハンがニヤニヤと笑う。ノックスは不思議そうにわたしを見つめている。なんだか恥ずかしくなって顔を逸らした。「べ、別にいいでしょ。服は大事なんだから」


「そりゃあ金なら造作ないが、これで借りを返せたとは言えねえ。いつか相応のお礼はするよ」


「だから、いいってば」


 見かねたヨハンが口を挟む。「まあまあ。好意として受け取っておきましょうよ。いつか思わぬところで救われるかもしれない。生きていると不思議な縁がありますからねぇ」


 ウォルターが取り巻きに目線を送ると、大男のひとりがテーブルに布袋を置いた。そしてわたしが中身を確かめる前に去っていった。




「これは驚きましたねぇ」と、ヨハンは勝手に袋を開けて声をあげた。中を覗き込むと、金貨がぎっしりと詰まっている。ちょっと見ただけでも、仕立ての良いドレスを優に十着は買える金額であることが理解出来た。


 去ったウォルターを追うつもりはなかった。そこまでの恥をかかせるわけにはいかない。ただ、なんとなく悪いような気がしてならなかった。


「受け取っておくといいですよ。これが彼らの最低限の気持ちですから。それに、道中なにがあるか分かりませんからね。先立つ物は必要でしょう。あ、宿代と食事代を返してください」


 ニヤニヤと手のひらを差し出すヨハンに、ちゃりちゃりと数枚渡す。やはり彼は下衆な感じが拭えない。


「これで貸し借りなし」


「ええ、確かに受け取りました」


 大きく伸びをして、窓から差し込む日光を見つめた。曇った空から落ちる、ささやかな陽射し。


 それからノックスにさりげなく視線を向ける。汚れたシャツに、ぶかぶかのズボン。盗賊のお下がりのままだ。


「さて」とノックスに声をかける。「美味しいスイーツを食べに行きましょう」


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