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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」
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53.「せめて後悔しないように」

 膝は足先より硬く、従って腕の負担も大きかった。それでも、なんとか刃は通った。


 筋線維を切断した確かな手応え。間を置かず、切り返す。一撃、また一撃と、連続で膝を切り刻んだ。骨は避けるように、周囲の肉だけ裂いていく。


 不意にキュクロプスの巨体が揺らぎ、ぐらりと右に身体が崩れる。奴は体勢を維持するべく、傷を負った右手を地に突いて身体を支えた。


 真っ直ぐ伸びた右腕。絶好の的だ。


 サーベルを中空に放り投げる。放物線の先は手首。サーベルの落下地点へと駆ける。


 跳び上がり、柄を握り、サーベルの落下の勢いに全体重を乗せて振り下ろした。


 巨大な地鳴り。巨人の身体は横臥(おうが)するように倒れた。盗賊たちの猛り声が響き渡る。しかし、まだ終わってはいない。奴の目は見開かれ、こちらを凝視している。呪力を通して、薄気味悪い視線が注がれている。


 手首から先が消えたとして、全身が凶器であることに変わりはない。キュクロプスの立場からすればわたしたち人間はあまりに小さく、貧弱な生命だ。だからこそ、思い知らせてやりたくなる。


 それまで比較的大人しかったキュクロプスは滅茶苦茶に暴れ出した。両腕を振り、身をよじって、敵の位置も確認せずに抵抗を示している。しかしながら、それは圧倒的な暴力だった。大地は絶えず揺れ動き、土くれは弾丸のように飛び散る。なんとかかわしつつ、周囲に注意を払う。盗賊たちは、潰される者もいれば、吹き飛ばされる者もいた。誰もが一撃のもとに生命を儚く散らせている。


 歯噛みする。焦りが全身を覆う。早くあの憎い巨人に突っ込んで、その喉を掻き切ってしまえと頭の中で自分の怒声が響いた。でないと犠牲は増える一方だぞ、と。


 落ち着け。今は回避に徹しろ。奴の動きが収まるまで、無暗に突っ込んではいけない。取り返しのつかない意想外の一撃でこれまでの全て――そして、これからなさねばならない使命の全てが霧散する。落ち着け。


 そう言い聞かせても、盗賊たちの口から溢れる阿鼻叫喚は呼吸を狂わせた。騎士としての責任が心に爪を立てる。こうして焦りに心乱されているうちに、消えるはずではなかった命が理不尽な死を辿っている。


 騎士団長。わたしは、どうすればいいですか。絶命のリスクを負ってでも、今前進すべきですか。


 騎士時代、迷ったときはいつでもそうやって彼の指示を仰いだ。冷静に、的確に、物事を判断してくれる。ただ、わたしが騎士団の一桁ナンバーを得た頃から、指示を与えてくれることはなくなった。「お前は、どうすべきだと思うんだ」と反問が返ってくるのみ。判断材料は揃っている、どれが正しいのかも拮抗している、あとは自分の心に聞け。そうも言っていた。そして、選択に責任を持て、と。


 どうすべきか。決まっている。わたしの思う騎士道に則したほうを、そして、後悔しないほうを選ぶだけだ。責任は、この身で取ればいい。


 キュクロプスの喉目がけて一直線に駆けた。その巨大な眼がこちらを凝視している。迫る腕、振り下ろされる拳を避けつつ前進する。


 巨大な体躯はそれだけ凶器になる。ゆえに騎士団での大型魔物討伐の際は、敵が倒れたあとでも念を入れて身体の末端から切り刻みつつ、抵抗しなくなってもその身をバラバラにするまでは決して油断せず、手順通りに切断していくのが慣例だった。たとえ相手の弱点であっても、直線的に飛び込んでいくことはない。手練れの騎士であっても、だ。


 敵の喉が目前に迫る。更に速度を上げて接近する。あと五メートル、四メートル、三メートル。


 と、目の前に手刀が振り下ろされた。飛び散った石がかすり、手足に鋭い痛みが走る。人間は脆い。これしきのことで肌が裂ける。巨人に関わらず、強靭な魔物からすれば笑ってしまうほど呆気ない肉体だろう。


 歯を食いしばり、喉を守る如く振り下ろされた手に斬撃を放つ。サーベルを振るう両腕に鈍い痛みがじわじわと広がった。


 手の甲を切り裂き、指を落とし、喉への道を切り開く。あと二メートル、一メートル。


 攻撃圏内に入った。剣を引き、次の斬撃を準備する。そして、跳び上がった。




 ――わたしの目に入ったのは、鋭い刃の群と、暗く伸びた薄気味悪い洞窟だった。刃は頭の上で、わたしの身体を砕くように、上下から迫って来た。


 キュクロプスが顎を引き、最期のチャンスとして敵を噛み砕くべく仕掛けたのだと気付いたときには、既に手遅れだった。


 咄嗟にサーベルを下の歯に引っ掛けて、わたしは更に前進した。強靭な歯に砕かれるよりは、その口に飛び込むことを選び取ったわけだ。はっきりと意識した選択というよりは、死を回避するための無意識的な選択だった。


 口内に侵入すると、待ち受けていたかのように巨大な舌がわたしの身体を打った。全身に痺れるような痛みが走り、下顎の歯肉に叩きつけられる。そしてわたしの身体は、舌と歯肉の間で圧迫される。息が出来ない。全身が悲鳴を上げていた。


 朦朧としながらも、サーベルを握った右手に力を込める。全身が圧迫されている状況では、両手で握り直すことはできない。しかし、躊躇(ちゅうちょ)していたらじき身体の骨が砕け、意識も消え失せるだろう。そして、命も。


 なら、すべきことはひとつだ。呼吸を止めたまま、わたしは集中力を高める。精神を研ぎ澄まし、初撃に意識を注ぐ。


 手応えはあった。瞬間、全身の圧迫感が消える。ただ、舌を切り落としたわけではなかった。案の定、薄暗闇のなかで舌は暴れるように再び猛進してきた。


 左腕が上がらない。おそらく、先ほどの打撃と圧迫によって深刻なダメージを負ったのだろう。


 なら。




 高速で斬撃を繰り出す前に、決まって想像するのは風だ。それと、散る花弁。草原に吹くつむじ風と、踊る深紅の花びら。


 一瞬のイメージが全身に浸透し、右腕は重さを忘れる。そして、速度の限界も同様に消える。


 その瞬間、耳は鋭い風の声を聴き、眼前には剣の軌跡が無数に閃く。


 不意に身体が揺れる。そして外の光が目の前に広がった。刃の風に耐えきれず吐き出したのだろう。


 キュクロプスの眼がわたしを捉える。


 少し、サービスしてやろう。


 ニッコリと微笑んで、剣を構えなおす。そして表情を引き締め、奴の喉元に突進した。風と花のイメージは、まだ消えていない。腕は軽く、切れないものはない。


 喉からうなじへと、肉を裂き、骨を断ち、駆け抜けた。そして身を翻し、残った部分を切断する。


 地鳴りがして、キュクロプスの首は落ちた。


 もはや巨人は指一本動かすことはなかった。


 呪力が、ふっ、と消えた。それから、キュクロプスの身体が徐々に蒸発していく。


 なるほど。




 盗賊たちの戸惑うような声が広がった。歓声もあれば、ただ喘ぎつつわたしを見つめているだけの者もいる。しかし、どの目にも、ある感情が宿っているように見えた。


 懐かしい。そう感じてしまう。市民の前で魔物を討伐したとき、彼らは口では感謝を述べる。一方で、その両目には畏怖や忌避がありありと浮かんでいるのだ。怪物を殺す者は、やはり怪物だろう。はじめはやり切れない思いになって枕を濡らすこともあったが、もう慣れきってしまった。それらを当たり前のものとして意識しなくなったのはいつ頃だったろう。


 屈強な男に支えられつつ、ウォルターが歩み出た。彼は痛みに顔を歪めながら「ありがとう、クロエ。あんたがいなけりゃ、俺たちは全滅してた」と言った。


 彼の目は複雑な感情を宿していた。自分の無力さと、散っていった仲間たちへの悼みと、そして感謝。そこに、化け物を見るような色は一切ない。


 周囲を見回すと、ちらほら同じような目をした男たちがいることに気付いた。


 ああ、と思わず息が漏れる。彼らはわたしを認めようとしている。恐ろしい怪物ではなく、自分たちを救った恩人として。


 賛辞が欲しかったわけじゃない。認めてくれと思ったこともない。尊崇や英雄視も、不要だった。


「姉さん。俺たちはあんたに感謝する。タソガレ盗賊団を救ってくれた」


 盗賊たちから、割れんばかりの歓声が響いた。勝利への歓喜だ。なんて単純な奴らなんだろう、と思ってしまう。けど、悪くなかった。どこか、報われた気になって頬が緩む。


 涙をこらえるのは、結構大変だ。


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