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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」
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52.「赤の世界」

 呼吸を整える。


 おそらく、一瞬で勝負がつくことはない。災厄の巨人。その体躯も、生命力も、一撃の威力も、グールとは比較にならない。


 誰ひとり(うしな)うことなくキュクロプスを討伐するのは夢想だろう。しかし、ウォルターの意地に共感し、心揺さぶられた人々をここで死なすわけにはいかない。犠牲を数える暇があるなら、剣を振るえ。


 わたしは奴の、すぼまった足先を目指して駆けた。その明らかな欠点から切り刻むために。


 キュクロプスの足先は、わたしの背よりも大きかった。魔術師でも騎士でもない人間が、どうしてこれに対抗できようか。しかし、勇敢なことに、盗賊たちは意志をひとつにしてこの怪物に立ち向かおうとしているのだ。


 足先まで残り二メートルのところで、跳び上がった。両手でサーベルを振り上げ、落下の速度を乗せて一気に切り下ろす。丁度、切先が足先の頂点に届くように。


「ああああああああ!」


 わたしの咆哮を、キュクロプスは聴いただろうか。すると、その視線はこちらに注がれているかもしれない。あの、不気味な呪力を()びた目。しかし、今意識すべきは斬撃だ。


 腕に、ずっしりとした抵抗を感じた。それでも、力を緩めずに振り抜いた。血しぶきで、一瞬目の前が赤く塗り潰される。やがて両足に着地の感覚が訪れた。


 キュクロプスを振り仰ぐと、ぶるぶると戦慄(わなな)く瞳がわたしに注がれていた。その震えは怒りだろうか、驚愕だろうか。


 巨人の拳が、僅かな予備動作を伴って血しぶきに濡れた地面を打った。きっちり奴の拳分、後退してかわす。目の前に現れた巨大な拳。一拍置いて、それは大きく開かれた。手のひらは、それ自体が奇怪な生物の如く見える。次の攻撃を予測し、剣を引いた。引き絞った弓をイメージする。決定的な瞬間を計るかの如く。


 空気が押し出されるような圧迫感を全身に覚えた直後、巨人の平手は大地を薙ぐように放たれた。その攻撃は、想定した通りだ。そして、致命的な一撃がこちらに到達するまでの速度も想像と誤差はない。


 盗賊たちの叫びが聴こえた気がした。それは「姉さん」だとか「やめろ」だとか「クロエ」だとか、様々だった。言葉にならない悲鳴のようなものもいくつか混じっていたように思う。振るわれた腕のスピードで吹き飛ばされた血が、彼らの視界を覆ったのだろう。


 それから、静寂。


 キュクロプスを仰いだ。奴は不思議そうに自分の右手を眺めている。小指と薬指と中指はどこに消えたのだろう、といった具合に。


 逆にこちらはサーベルの刃を見つめる。刃こぼれはない。まだまだ斬れる。先ほど、迫り来る平手から無傷でいられるよう、巨人の指を一部切り飛ばしたように。


 一瞬で三撃。集中力を高めてもこれが両手持ちの限界だった。騎士としての研鑚(けんさん)をもってしても、だ。


 わたしは再度、足先を刻む。赤の世界を切り進みながら、キュクロプスの動きに注意を払う。その目は相変わらずだったが、口元は威嚇するように大きく歪み、唸り声が漏れていた。


 一層、精神を集中させる。より強烈ななにかが来る予感がした。


 キュクロプスの身体が反転する。器用に片膝で身を翻し、その勢いのまま拳が打ち下ろされた。轟音と共に、大地が不安定に揺れた。思わずバランスを失いそうになる。


 瞬間、指の足りない拳が打たれ、代わりにもう一方の腕が引っ込む。


 今のところぎりぎりで避けていたが、冷や汗が頬を流れた。これが交互に連発されるとなると、どうやり過ごして反撃すればいいだろうか。さすがに、渾身の力で振り下ろされる拳を瞬時に八つ裂きに出来るとは思えない。


 拳は次々に地面を打ち、そのたびに轟音と震動が襲う。そしてはじけ飛ぶ土や岩が身体をかすめていった。


 次第に足場は悪くなる。見誤れば、死。偶然変化した地形に足を取られても死。しかしながら、距離を置こうにも反撃しようにも、タイミングが掴めなかった。拳の速度はほぼ一定で、威力も変化がない。つまり、人間が呆気なく消し飛ぶ程度の攻撃が延々と続いていることになる。


 考えあぐねていると、窪地の縁から咆哮が響いた。それはいくつも重なり合って、共鳴する。そして雨のように奴の身体に刺さる矢。


「クロエの援護をしろ!! でくの坊を打ち倒すぞ!!」


 ウォルターの叫びは、拳の嵐のなかにあってもはっきりと耳に届いた。それは吉報のように、また、凶報のようにも響く。反撃の好機か、悲劇の先触れか。しかし、彼らの覚悟を無為にするわけにはいかない。


 盗賊たちの刃が足の傷を抉ったのか、僅かにキュクロプスの拳が止まった。一瞬の隙を縫って前進する。


 キュクロプスは先ほど、片膝で身を翻して見せた。右膝に重心を集め、くるりと器用に回って見せたのだ。咄嗟のときに頼る場所は、重要に決まっている。


 加えて、もし、だ。


 もし奴の膝が片方のみ十全に動き、もう一方はほとんど機能しないか、動いても相当に鈍いものであるならば。


 それは充分、賭けるに値する。この畸形(きけい)のキュクロプスには、随分多くの欠陥があり、同時に違和感が渦巻いている。


 駆けながら精神を研ぎ澄ます。一閃。刃の銀が、空間をふたつに切り離す様を頭で反復する。


 キュクロプスの右膝手前で、地を強く蹴った。サーベルを引き、最低限の力を残して刃の位置を維持する。


 息を止め、歯を食い縛った。足は止めない。そのまま駆け抜けるんだ。


 右膝の真横を通り抜ける瞬間――刃が奴の肉に到達した瞬間、わたしは全身の力を手足に集め、一気にサーベルを振り抜いた。


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